2013年06月09日
出版業の新しい可能性を探索する(前編)
【業界分析と展望シリーズ】、今回のテーマは『出版』です
出版産業は今までもこれからも社会共認形成(世論形成)で鍵となる産業の一つであることは間違いありません。
しかし、現在の出版業界は構造不況、経営苦境に陥っているようです。
出版業界の問題点は何か? 今後の可能性はどこにあるのか?
様々な角度から可能性を探っていきます。
※画像引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/aquarius1969newage/62731669.html
問題意識はいろいろあります。例えば。。。
・出版市場は1990年代後半から年々縮小しているが、その原因構造は?
・出版物の粗製濫造と情報中毒は克服されるのか?
・出版の社会的役割、これから求められる情報の中身は何か?
・委託制度、再販制度といった業界特有の仕組み、流通は今後どうなってゆくか?
・活字媒体とインターネットとの関係は今後どうなってゆくか?
・大手マスコミは可能性無し。地方誌、企業誌、ミニコミ、フリーペーパーの可能性は?
・出版不況を超えて登場している、注目すべき事例は? などなど。。。
まずは、出版を取り巻く社会状況から整理してみます
■出版市場は長期低落(縮小)傾向
出版科学研究所によると、2012年における書籍・雑誌の推定販売金額は、対前年比3.6パーセント減の1兆7398億円。ピークの1996年(約2兆6500億円)に比べ、3分の2程度の水準にまで落ち込んでいます。
内訳を見ると、書籍が対前年比で2.3パーセント減だったのに対し、雑誌は4.7パーセント減。
雑誌の退潮ぶりは、新規創刊点数の減少にも表れています。12年の創刊点数は前年より22少ない97、47年ぶりに100の大台を割り込んでいます。休刊点数は150程度とされ、7年連続で休刊点数が創刊点数を上回っています。
出版市場縮小に伴い出版社数も2001年約4500社に対して2011年約3700社と10年で15%減。書店も30%近く減少。
出版各社はこの厳しい市場縮小と淘汰圧力の中で、生き残り競争を戦っているのです。
※画像引用元:http://tanayuki.seesaa.net/article/140498610.html
■出版不況の正体は?
○出版市場はなぜ縮小しているのか?
一般的によく言われる要因は、1 ) 日本の人口構成比率の変化・少子化と生産年齢人口の減少、2 )インターネット・スマートフォン・タブレットの普及、3 ) 図書館・新古中古書店の利用拡大(ブックオフなど)、4 ) 消費者の情報収集手段の多様化と情報の階層化、5 ) 時間・お金の使い方の変化、6 ) 所得の実質的な減少と格差社会の2極化、7 ) 情報源や娯楽としての出版物の価値の低下、などですが、どうもスッキリしないし、言い訳がましい感じもします。。。
○物的市場の縮小→出版市場の縮小
やはり一番の原因は『物的市場の縮小』にあると考えるべきでしょう。
「出版産業の成長率とGDPの比較」データにあるように、GDPと出版はパラレルに変動しています。
出版というと物的市場とは別領域の情報や認識を扱っているように思うかも知れませんが違います。出版は不況に強い(安い娯楽だから)という意見が一部にありますがそれも違います。物が売れない時代には本・雑誌も売れないというのが実態です。
要するに出版物の大半は、物欲を刺激するための情報、あるいは恋愛や性、娯楽などを含む欲望を刺激するための情報が主であると考えた方がよさそうです。
だから、物欲や欲望の衰弱に伴う市場縮小とともに、出版市場も縮小しているというのが事の本質でしょう。
実際に、書籍に比べても雑誌の退潮ぶりが顕著であることもこれを裏付けています。
※インターネットの普及も出版市場縮小の一因ではありますが副次的要因に過ぎないと思われます。
※「活字離れ」と言われる現象?も事実関係がはっきりしません。読者側の要因なのか、供給側の要因なのか、考える必要があると思います。
※画像引用元:http://tanayuki.seesaa.net/article/140609211.html
■市場主義に代わる、新しい「中身」をいかに生み出すか
なお、物的市場の縮小は、豊かさの実現(貧困の消滅)→私権圧力の衰弱に伴う必然的な現象です。
現在、アベノミクス論者は、景気を回復して所得を増やせば、欲望が刺激されて消費が増えると言っていますが、それはありえません。
つまり出版業界ついて言えば、人々の欲望(物欲、恋愛、娯楽etc)を刺激するような情報分野は、今後縮小する一方であり、ほとんど可能性はないということになります。
これからの課題は、こうした分野に変わる新しい中身をいかに生み出せるかということに尽きます。
実際に出版社、制作・編集者の一番の苦悩は、何が求められているのか? これから何をつくればいいのか?ということであると聞きます。
■出版業界特有の仕組みと問題点
出版物はどのように製作され、流通し、書店に並ぶのか? 実は一般の商品とは異なる業界特有の仕組みがあります。
○定価販売は必要か?
ひとつは『再販制度(再販売価格維持制度)』、法律で定価販売が義務づけられていることです。
書籍・雑誌の定価販売が義務づけられている根拠は諸説あるようですが、実ははっきりしません。業界からは「文化的価値を守るため」と主張されますが、常識的に考えて、「有力な生産者または販売業者によって小売業者の価格競争を制限して安定した利潤を確保するため」と考えるのが通常です。
要するに価格競争をしなくて良いように特別扱いされている領域なのですが、最近ではこれも疑問視され、オープン価格化の議論もあります。
そうなると出版業界の生き残り競争はますます激しくなります。
※画像引用元:http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20071108-90002884-r25
○返本率はなんと4割!
もうひとつは『委託販売制度』、出版社が各書店に本の販売を委託し、書店は売れなかった本を仕入れ値と同額で出版社に返品できるというもので、返品制とも言われます。
問題は返品される本の割合=返本率なのですが・・・・なんと4割!なのだそうです。
返本は一部再出荷もありますが、基本的に廃棄されます(特に雑誌(返本率36%)はほとんど裁断へ)。資源の無駄遣いです。
なぜこのような壮大な非効率が起こるのでしょうか?
※画像引用元:http://www.garbagenews.net/archives/1565633.html
図にあるように、著者・出版社側は「すぐに現金になるからガンガンつくる」(実際に書店で売れるかどうかに関わらず出荷時点で支払いを受け取ることができる)、取次・書店側は「どうせ返品できるからガンガン仕入れる」という感じでしょうか。。。無責任体制による過剰生産に見えます。
これは実は、市場拡大を前提としたリスク分散システム、拡大再生産を支えるシステムです。
効率的かつスピーディに市場を拡大させるのに有利なシステムとも言えます。
しかし市場の拡大が限界に達すると適応できないシステムなのです。
※画像引用元: http://ageha10.blogspot.jp/2010/05/23-56-4-06q3-40-09q3-40-09q3-4it-media.html
■拡大再生産を前提とした制作流通システムが粗製濫造と情報中毒を招く
こうした市場拡大期につくられた制作・流通システムが、出版業界を自転車操業に追い込んでいる面も無視できないと思います。
次々と新作を打ち出さなければならない圧力に駆られながら、売れる商品を生み出せない、粗製濫造に陥る、じっくりモノを考える時間も奪われてゆく、読者も離れてゆく、、、マッチポンプです。
出版不況のもうひとつの大きな要因は、書籍流通を含む出版業界の劣化が原因ではないかとも思います。
出版業界の問題は様々ありそうですが、焦点を絞ると次の2点になりそうです。
★物的市場の縮小とともに出版市場も縮小。市場主義に代わる、新しい「中身」をどう生み出してゆくか?
★市場拡大を前提とした制作流通システムは限界。どう変えてゆくか?
この問題を考える上で、出版の歴史を遡り、分析をもう一段深めてみたいと思います。
着眼点は、どのような時代(変化)に、どのような需要が生まれ、どのような出版物が登場、普及したのか? 何が活字媒体を普及させたのか?
■出版の歴史を概観
日本出版史 http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050227.html
日本の出版取次構造の歴史的変遷と現状 http://www.info.sophia.ac.jp/sophiaj/Communications/CR-no35-che.pdf
■出版の歴史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%89%88
印刷技術が普及するまで、本は写本によって伝えるほかはなかった。中国で7世紀頃から木版印刷が行われ、高麗では金属活字の技術もあった(高麗版大蔵経)。日本でも平安時代末期以降、「百万塔陀羅尼」「五山版」など仏典の印刷が行われていたが、主に寺院内など限られた範囲の流通に留まっており、広く一般に流通するものではなかった。
●ヨーロッパ
1450年代にドイツのグーテンベルクによって活版印刷の技術が完成され、「グーテンベルク聖書」などが刊行された。初期の印刷物はまだまだ高価であり、限られた階層しか利用できなかったが、やがて出版産業は本格化する。揺籃期における出版人として、アルドゥス・マヌティウスなどが知られている。ルターに始まる宗教改革の時期にはパンフレットが大量に作られて流通し、印刷業も発達していった。
●日本
戦国時代にキリシタン版と呼ばれる活版印刷が行われ、また朝鮮半島から印刷技術が伝えられたのが刺激となって、江戸時代初期には「古活字本」が作られるようになる。古活字本の一つとして「嵯峨本」が有名である。これは京都嵯峨の角倉素庵が本阿弥光悦らの協力で出版した豪華本であり、嵯峨本自体は少部数の製作だったが、後に大きな影響を与えた。
江戸時代には木版印刷による出版が盛んになり、浮世草子、黄表紙、洒落本、滑稽本などが出版され、一般にも広く読まれた。版元として蔦屋重三郎などもよく知られている。
明治時代になって活字を使った近代的な印刷術が急速に発展し、自由民権運動とともに政治的な主張を唱える新聞・雑誌も盛んになった。政府は一方では出版を奨励しつつ、他方で出版条例(1869年)、新聞紙条例(1875年)などを制定して言論活動を取り締まった。
雑誌としては明治中期以降、文学作品や評論などを掲載する「国民之友」「太陽」「中央公論」「改造」などが次々に創刊され、広い層で読まれた。また、教育の普及とともに文学を好む読者層が成立し、新聞や雑誌に連載された小説が単行本化されて再読される、といったパターンも次第に定着していった(尾崎紅葉、夏目漱石らの小説)。
当時は出版法(雑誌は定期刊行物として新聞紙法)に基づき内務省検閲局による検閲が行われ、書籍は発売3日前に、新聞雑誌は発売日に届け出ることになっていた。昭和に入ると1934年の法改正で言論弾圧が強化された。やがて、第二次世界大戦に突入し、出版など言論の自由は完全に失われた。
第二次世界大戦が終わり、出版法などが1949年に廃止されるが、被占領期にはGHQによって検閲が秘密裏に、より広汎に行われた。日本国憲法施行後もそれは続けられた。今日の日本では日本国憲法によって、検閲の禁止、言論や表現の自由が規定されており、何人でも出版を行うことができる。一方で行き過ぎた取材によるプライバシーの侵害など別の問題も浮上してきている。また、紙媒体ではなく、インターネットを利用した電子出版も行われるようになっている。
■社会の変化と出版。何が活字媒体を発展させたのか?
○宗教勢力と金融勢力による共認形成
人類史における文字文化は交易記録をつけたのがはじまりと言われますが、その後も長らく文字や書籍は、武力勢力(国王)、宗教勢力(神官)など、一部の支配階級の専有物でした。
古代から中世にかけての書籍(印刷ではなく写本が中心)は宗教書が多くみられます。
日本の出版史においても、古代~中世までは寺院による仏典(百万塔陀羅尼、五山版)の印刷が主です。
印刷技術の登場により大量の出版が可能になりますが、これを活用した事例として、ルターの宗教改革があります。
ルターは非常に多くの出版物を残したことでも有名で、1519年ドイツ全国の出版物が約110冊、そのうち約50冊がルターの書いたもの、翌1520年、ドイツ出版総数200冊そのうちルターが133冊だとか。
宗教改革が始まると、その支持派とカトリック教会擁護派の双方とも当時普及した印刷術を利用して多数のパンフレットやビラを作成し、激しい宣伝合戦をおこなっています。
宗教改革の背後には旧宗教勢力と新金融勢力の闘いがあったことが知られていますが、時代の大きな変化の中で、新しく興隆した金融勢力が、出版を武器に共認形成力の勝負を賭けたと見ることもできます。
この時代には既に出版物が、大衆的な共認形成の重要なツールとなっていたことが伺えます。
※画像:ルターの首引き猫 http://www.y-history.net/appendix/wh0903-007.html
○中世から近世へ:活字媒体の大衆化
日本における出版事業は寛永年間(1622-1644)、京都ではじまります。寺社や貴族など文化人が多く、啓蒙書、仏書、漢籍など、ごく一部の上流知識人向けの出版が中心でした。
その後出版の中心は大阪へ。西回り航路の物流から都市が繁栄し、井原西鶴、近松門左衛門など人気作家の登場もあって、出版が庶民文化として拡がります。その後出版の中心は江戸へ。
江戸時代に活字媒体の大衆化が実現したのはなぜでしょうか?
多くの庶民も寺子屋で読み書きを習うようになります。また都市を中心に大衆娯楽が流行、富を蓄積した階層からいわゆる文化人も登場します。
こうした活字需要の背景にあったのは、市場経済が徐々に浸透し複層社会化が進行したこと(単一集団内で完結していた行為や関係が複数の集団間の複層的な行為や関係になってゆくこと。都市化・市場化→情報化社会へ)、加えて平和安定期であったため、武士、商人だけでなく大衆も含めて解脱欠乏が上昇したことがあったと考えられます。
※画像:嵯峨本「伊勢物語」 http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/catalog/c046.html
○近世の出版:「娯楽」「性」の開花
近世において活字媒体普及の中心動因となったのは「娯楽、性」です。
江戸の有名な版元、蔦屋重三郎もはじめは吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の出版販売から出版業に関わっていきました。そして当時の江戸では浮世絵、洒落本、狂歌本など、娯楽系の出版が大流行します。また娯楽を突き詰めると性の世界になるわけで、春画などの性描写も拡がりました。
性的描写の取り締まりはどの時代も問題となるのですが、性と出版はもともと結びつきが強いと考えた方が良さそうです。
※画像:吉原細見 http://coco.asablo.jp/blog/2010/12/05/5558338
「娯楽」「性」のジャンルは近代以降も出版普及の中心でありつづけるといってよいでしょう。現代の雑誌の大半はこのジャンルですね。
記事の前半で「物的市場の拡大(縮小)と出版市場の拡大(縮小)はパラレル」であると述べましたが、「娯楽」「性」の情報によって人々の欲望を刺激することが、近代の物的市場の発展に寄与したとも言えます。
○近代の出版:「教科書」と「ジャーナリズム」
近世末~近代に登場する出版ジャンルとして注目すべきは、「教科書」と「ジャーナリズム」(新聞・雑誌)です。まさに近代の申し子です。
「教科書」はもちろん近代国家による共認形成が目的です。学校制度とセットになって、富国強兵と市場拡大を旨とする近代国民国家を形成するためです。大衆発の需要というより、上からの要請です。
明治以前、江戸時代の寺子屋でも往来物(民衆の実生活に即した、往復書簡を集めた形式の書籍。現代風に言えばビジネス書に近いかもしれません)などの教科書は用いられていましたが、寺子屋が「民」による現実的な要請であったのに対して明治の学校制度と教科書は「官」によるもので、基本的に性格が異なります。
教科書という出版物の性格として、次世代に伝えるべき事実情報や知恵の蓄積という面もありますが、一方でかつての宗教書(聖書など)が持っていた、上からの一律内容の共認形成という側面も大きいと言えるでしょう。
なお今日のような全国的な出版流通機構(三都だけでなく地方津々浦々まで)のベースとなったのは、 明治時代における「教科書ルート」であると言われます。
※画像:明治期の教科書 http://www.aichi-pref-library.jp/colle/c-meiji2.html
「ジャーナリズム」と出版についてはどう捉えたらよいでしょうか?
大衆発の社会情報需要or知る権利に応えるという建前をとっていますが、実態はもっと複雑です。
娯楽情報などによって人々の欲望を刺激し市場拡大を推進する機能も持ち合わせています。
また、権力(国家勢力、金融勢力)発の共認形成(もっと言えば染脳)という側面も強い。ルターの時代の情報戦と似ています。
むしろ、市場拡大推進と権力発の共認形成、これが現代マスコミの本質と考えるべきです。
ジャーナリズムと権力(国家勢力、金融勢力)の歴史を見ると、江戸時代あたりから異端思想、政治批判、風俗紊乱等への統制がはじまり、明治時代には出版条例、新聞紙条例による言論統制が行われています。
共認原理の時代、つまり大衆統治のためには共認形成のコントロールが重要な時代に入ったと言えるでしょう。
戦後にはGHQ指令によるプレスコードがあり、戦前より徹底した全面的な言論統制が行われました。GHQ支配は数年間で終了したと言われますが、、、今日のアベノミクス翼賛報道、TPP報道などを見ると、今も言論統制or偏向報道は続いていると考えるべきです。
現代は権力と一体化したマスコミという特異な存在によって、社会的な共認形成機能は極めて危険な状態にあると認識すべきです。
これをどう突破するか?
※画像:横濱毎日新聞 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/u1print/u1c/u1ce/IPA-pri190.htm
出版の歴史を概観して見えてきたことをまとめます。
★社会が大きく変動する時代に、出版の役割も大きく変化してきた。 「宗教」「娯楽・性」「教科書」「ジャーナリズム」など。
★現代では大手マスコミに代表されるように多くの出版物が旧来の市場主義、権力発の染脳に絡め取られ閉塞している。
現代は社会の大きな転換期を迎えています。これからの時代に求められる情報の「中身」は何でしょうか?
大衆の新しい意識潮流に応えることで突破口を拓く、新しい出版のありかたが期待されていると捉えることもできます。
(中編、後編へ続きます)
- posted by iwaiy at : 17:22 | コメント (0件) | トラックバック (1)
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