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2013年06月20日

『大転換期を生き抜く』1-2. 国家と市場の基本構造(闘争適応と共生適応)

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■はじめに
 前回の記事では、我が国が1970年頃に物的豊かさを実現したことをデータをもとに示しました。この「豊かさの実現=生存圧力の克服」という事実は、全生物を通じて初の快挙。36億年かかってやっと到達した未踏の領域です。別の見方をすれば、未踏の領域ゆえに、何が起こるかわかりません。したがって、「豊かさの実現=生存圧力の克服」という認識は、これからの人類がどこに向かっていくか、その岐路として、大変重要です。本シリーズでもたびたび出てきますから、是非、覚えておいて下さい。
 さて、今日の記事は、これを受けて「国家と市場」をテーマにします。
 私たちに豊かさをもたらしたのは、市場に流通する物品やサービスであることは疑いようがありません。が、それだけで豊かさを達成できたのかというと、そうではありません。社会基盤を整備したり、諸外国との関係を維持してきた「国家(日本国)」。この存在なくして、私たちは豊かさを享受することはないでしょう。国家と市場、両者がどんな関係にあって、今、どうなっているのか。順を追って見ていきましょう。

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■事例から見る「国家と市場」の関係
1)政治と経済
アベノミクス・・・これ、最近では一番わかりやすい国家と市場の関係です。政治家の安倍首相が「経済を活性化させます」と言う。と同時に、日銀と協調して(総裁を入れ替えて)「規制緩和します」と言わせる。すると、どういうわけか、円安になって株高になった。海外に製品を輸出している大企業(トヨタとかキャノン)は、それだけで大儲けです。これにあわせて、テレビや新聞は「株価も上がっているし、景気が一変した。アベノミクスのおかげだ」と言う。結果として、庶民の実感はともかく、全然ダメだった民主党に代わって、自民党が頑張っているように見える。・・・何が言いたいのかというと、政治と経済は協力関係。ほとんど一体、ということです。
2)市場を規制する国家
 今度は別の見方をします。国家の一角をなす司法、この役割は何かを考えてみましょう。結論を先に言うと「市場を規制するのは国家しかない」ということです。じゃぁ、どうやって規制するか。その根拠は、法律です。日本は法治国家ですから、法律は絶対。破ると、逮捕されます。では、なぜそういう強権が残されているのかというと、市場は、その気になったら、どこまでも身勝手にやってしまうから。強権でもってブレーキをかけないと、際限なく私権闘争を加速させてしまうからです。そういう目で、一度、法律を見てください。なんと多くの法律が“身勝手な私権闘争を規制する”ものであるか。その事に驚くはずです。
■国家と市場の史的総括
 なんだか、これだけだと国家と市場の関係は、ハッキリわかりません。こういうときは、歴史を見てみるに限ります。国家と市場がどのような生い立ちにあるのかを知る、ということです。
1)国家の形成

『社会統合組織の史的総括 国家と教団』
 新しい社会統合組織を考える為にも、まず過去の社会統合組織について簡単に押さえておこうと思う。
A.国家
社会統合は、剥き出しの武力(強制共認)から、私権の追共認(受容共認)へ、更に法制共認(自主共認)へと移行していった。
○武力統合の時代
戦争の外圧⇒暴力装置(軍隊、収奪=徴税、監獄)による絶対支配

○私権統合の時代
私権獲得の強制圧力⇒力の序列共認=力の追共認

○法制統合の時代
力の序列共認⇒身分序列(資格を含む)の共認を主柱とする法制共認
(後略)

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 ものすごく端的に述べられています。ちょっと補足すると・・・
 国家の形成は、古代文明まで遡ります。彼の地になぜ、あのような巨大国家が形成されたのか。その発端は、戦争でした。イラン高原あたりで起こった戦争が、玉突き的に拡大して、勝ち抜き戦になり、トップに立ったのが国王。王が率いる軍勢が、一般大衆を武力で支配し、彼の地に国家を建設したのです。
 そのとき「この国をどうやって統合するのか」が真っ先に問題になります。戦争に次ぐ戦争で、生まれ育った集団を失った人々が一般大衆です。行く当てがない人々が数万~数十万人。もはや、対面の話し合いは成立しません。一方で、王の周りには、寝首をかくことを虎視眈々と狙う者がいます。また、国の外を見れば、隣国からいつ攻め入られるかわかりません。略奪闘争を経て誕生した古代国家は、悲しいかな「自分以外は全て敵」の世界。
 国家とは、その発端から「私権闘争をどうやって統合するか」に注力せざるを得ない超集団であり、その統合方法の変遷が上記の引用ということです。
 
2)市場の形成

『超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である』
交換取引は、武力闘争(およびその帰結たる身分制度による私権拡大の封鎖)からの抜け道として登場した。それどころか、最初に交換関係が登場した動機は、額に汗して働くよりも、(相手にこの品物が大きな可能性を与えてくれると信じ込ませることさえ出来れば)交換によって得る益の方が、ずっと大きいからである。
実際、古代市場も、女の性的商品価値を一層高めてくれそうな宝石や絹や毛皮を主要な交易品として、拡大していった。(なお、近世→近代も、呉服や毛織物やレースが起点になる。)それに対して日常の主食品(米や麦やイモなど)に対しては、その様な幻想的な可能性など描き様がない。
この幻想共認(幻想への可能性収束)によって作り出された、市場商品の価格と一般農産物の価格との価格格差こそ、市場拡大のテコとも原動力ともなった市場の秘密の仕組みである。(異国の食品や、無農薬の食品は、幻想共認の形成が可能であり、だからこそ一定の市場化も可能なのである。)
そこでは当然、農耕の労働価格は、幻想商品の労働価格にくらべて、異常に低くなる。この価格格差(価格差別ともいえる)の秘密こそ、途上国が一貫して貧困状態に置かれ続けてきた真の理由であることは、いうまでもない。(後略)

 こちらも、端的に述べられていますので、ちょっと補足すると・・・
 古代国家の統合方法として最も安定的なものは「身分序列」による統合です。で、この身分序列は、基本的に生涯固定。エジプトの王家あたりを考えればわかりますが、完全に世襲制です。農奴は、逆立ちしても王にはなれません。このやり方は、下克上のような反逆を未然に防ぐ(野望の芽を摘み取る)意味で、大変有効なものです。
 一方、そのような社会は、万人にとって、私権(私益)を拡大するチャンスがほとんどない社会になります。農民は、一生農民のままですから、自分が生産する農作物以上の私権は、原理的に、一生獲得できないことになります。ところが、そこに「市場」が入り込む隙がありました。当事者は、商人たちです。
 当初の商人は、諸外国との交易を生業にしている遊牧民と考えられています。彼らは、遥か彼方の国から、珍しいものを仕入れては王に売り込みます。そのやり方は、口八丁手八丁。自分の国では生産できない、たとえば絹織り物なんかを見せて「これは王妃にピッタリですね!」と王に言います。すると王は「う~ん、美しい。欲しい!いくらだ?」と聞く。ここまでくれば、商人の勝ちです。相手は大金持ちですから、仕入れに要した何十倍を吹っかけても買ってくれるわけです。まさに「額に汗して働くよりも交換によって得る益の方が、ずっと大きい」ことになります。
 身分序列の構造上、王には庶民から搾取した富が蓄積されていきます。その一方で、商人たちは、王が蓄積した富を、互いの合意の上で掠め取って、武力とは異質の“資力”として蓄えていくわけです。「交換取引は、武力闘争からの“抜け道”」と言われるのはこのため。ビジネスのやり方は違いますが、「抜け道」という大きな見方は、現在にも通じるところです。
■市場は社会を統合できない
 だんだんと国家と市場の関係がわかってきました。大きく見れば、国家という統合体に、交換取引をベースにした市場が入り込むような構造。それを示す投稿を引用します。

『超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない』
mf4.jpg「身分」も「お金」も、評価指標として夫々の社会で固く共認されており、その共認圧力が夫々の社会での最大の圧力源=活力源にもなっている。しかし、この両者には大きな違いがある。
その違いは、根本的には、身分を作り出す国家が闘争圧力に対応した「集団(統合)適応」の存在であるのに対して、お金を作り出す市場は闘争圧力からの抜け道としての「共生(取引)適応」の存在である点に由来している。
身分(という評価指標)は、肉体的に備わった統合原理である力の序列共認を下敷きにしており、それが上から下まで貫通する身分という観念に置換された事によって、社会全体を統合する機能を持ち得ている。
それに対してお金は、私的な交換の場での評価指標にすぎず、交換の行われる局部・局部では統合機能を持ち得ても、社会全体を統合する機能は持ち合わせていない。
「闘争(能力)適応」や「集団(統合)適応」なら、その最先端の闘争機能や統合機能は、闘争圧力に対応する最先端機能であるが故に、全体を収束⇒統合することが出来る。しかし、もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応することが出来ない。つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない
これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。
事実、市場は社会生活を営む上で不可欠の社会基盤(道路や港湾や上・下水道etc)さえ、決して自らの手で構築しようとはしなかった。それどころか、自ら(=市場の拡大)が作り出した貧困(⇒福祉)や戦争さえ、その遂行と尻拭いの全てを国家に押し付てきた。そして自力で拡大することが出来なくなった今では、自分自身の拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家(地方を含む)は700兆もの借金で首が廻らなくなって終った。
ここまで来れば、市場が国家の寄生物でしかないことは、誰の目にも明らかだろう。
要するに、市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。カビがどんどん繁殖すれば、やがてカビ同士がくっつく。世間では、それをグローバル化などと美化して、そこに何か新しい可能性があるかのように喧伝しているが、それも真っ赤な嘘であって、市場が国家の養分を吸い尽くせば、市場も国家も共倒れになるだけである。国債の暴落をはじめ、その可能性は充分にあると見るべきだろう。

 国家は、その生い立ちからして、隣国との戦争に勝つことや大衆の統合を目指す(適応する)ための存在でした。それを「闘争(能力)適応」もしくは「集団(統合)適応」と呼んでいます。
 一方、市場は、その生い立ちからして、王の富を掠め取る“抜け道”を確立することで生き残って(適応して)きた存在です。国家にもたれて、その恩恵だけを受けて(=暗に要求して)、共に生きるしかないことから「共生(取引)適応」と呼んでいます。このような国家と市場の関係をたとえて、上記では、「モチに生えたカビ」と呼んでいます。カビは宿主となる相手がいないと生きられないという意味で「寄生」とも言われています。

 ・・・これは、僕が強く感じることなんですが・・・昨今、「市場は社会を統合する機能を持たない」ことを痛感します。東日本大震災以後の政府と経済界の関係です。
 経済界は「電気代が上がると儲けが減る。早く原発を再稼動させろ」と要求します。が、被災地の支援や復興は「国の仕事だ」と言います。「被災地の復興が大切だ」と奇麗事を言う一方で、その手助けは、国から仕事として発注されない限り、一切やりません。千年に一度の大地震と大津波があったうえに、4機もの原発の蓋が飛んでしまった。誰が考えても未曾有の国難であるにも関らず、経済界からは、それでもなお手前勝手な要求しか出て来ません。もはや、経済界=市場が、社会を統合する機能を持たない(そういう発想が起こりえない)ことは、考えるまでもないでしょう。
■まとめ
 さて、今日の記事はこれくらいにします。国家と市場の基本構造、わかっていただけたでしょうか。
 
 交換取引をベースにする「市場」は、当初から、国家(国王や官僚)に取り入って、合意形成の上で、国家の富を掠め取ってきました。このやり方は、今でも変わっていません。いや、むしろ、資本力(資力)が武力を上回った中世以降(日本では明治以降)、国家と市場の力関係は、逆転していると言えるでしょう。すなわち、統合機能を持たない市場の要求が、国家の統合機構に多大な影響を及ぼしているということです。
 事実、法によって市場の暴走を規制する立場の国家=行政(官僚機構)は、市場の虜になっています。既得権(=カネ)に群がる高級官僚は、誰もが知るところ。その結果、規制するはずの法律は骨抜きにされて、市場の暴走を助長することになっています。私たち大衆は、そのしわ寄せばかりを被って、なんとも報いのない状況におかれていると言ってよいでしょう。
 
 この状況を好転させるには、自らを市場に委ねてもダメです。統合という発想を持たないところで何をやっても、身勝手な私権闘争に加担するばかりになるからです。一向に収束しません。
 今一度、見直すべきは「集団」とその「統合」。国家を成すのは、私たち大衆であり、私たちが持つ「活力」は、すなわち「国力」です。その力をどこに振り向けていくか。今後10年、もっと先を見据えてどうして行くかが、今、私たちに問われているのです。

 

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