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2013年07月23日

「大転換期を生き抜く」1-5 お金のしくみについて お金ってそもそも何??

みなさんこんにちは 😀
「大転換を生き抜く」シリーズでは、今までバブルやアベノミクス等を事例に、実体経済と金融市場について調べてきました。今まで触れていた実生活におけるお金とは違うお金の姿を知り驚きました  と同時に、「お金って汚い」「お金って不思議」・・・・などいろいろな感情が湧き出てきました。なんで、お金って「汚い」イメージがあるのだろう?お金ってそもそも何?
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古代市場の起源まで遡ってお金の歴史を紐解き、現代のお金について探ってみたいと思います☆

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1、お金の歴史を遡る
まだお金が存在しなかった時代には、物々交換で生活に必要なものを手に入れていました。「牛と羊は同じ価値だ」と共認できたからこそ交換ができたのですね しかし、物々交換は、あまり便利な方法ではありません。交換できるものは、運べるものの量に規定されてしまうからです そこで市場を拡大させるために’お金’が発生したと言われていますが、単に利便性の高さだけで説明が付くのでしょうか まず実際に、お金がどのように変化してきたのかをみてみましょう 🙂
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〔貝殻貨幣〕
最初にお金として世界的に広く使われたものはタカラ貝でした。お金は「必需性に基づいたもの」から「希少性に基づいたもの」へと変わってゆきました。
  ↓
〔金属貨幣・鋳造貨幣〕
貴金属は腐ったり、磨り減ったり、なくなったりすることがあまりありません。また、自由に分割したり足し合わせたりすることもできますし、少量でも交換価値が高いので持ち運びにも便利です。こうして長い年月が経つうちに世界中のほとんどの地域で金・銀・銅などの金属がお金として使われるようになりました。お金の量は「どれだけ金(銀・銅)が発見されるか」にかかっていました。
  ↓
〔預り証・兌換紙幣〕
中世の後期、最も価値の高いお金の単位は金のコインでした。その金の純度をチェックするのは金細工師の役割です。金細工師の家には、大きな金庫があり、当時のお金持ちは金貨を強盗や空き巣から守るために、その金庫に預けていました。金細工師は金貨と引き換えに受領書を渡していました。
金貨を引き出さなくてもその受領書でやり取りすれば、それで済むことです。次第に人々は金貨を使って取引するより、直接、受領書を使って支払する方が便利で安全であることに気づき、その受領書が紙幣の役割をすることになります。
こうして人々が紙幣で取引をし始めると、金細工師の金庫の中にある金貨は眠ったままになります。「もし預金者全員が一度に金貨を引き出しに来なければ、この金貨を担保に紙幣を発行してもよいのではないか」そう考えた金細工師は、お金に困っている人に紙幣を貸し出し、その貸し出し料として利子を受け取るというビジネスを始めたのです。
こうして13世紀のイタリアで近代式銀行業が始まりました。この時から、お金は銀行から紙幣融資を受けた時に生み出されるようになったのです。それは、金の預り証だったはずの紙幣が金よりも多く出回るようになったことを意味します。
   ↓
〔不換紙幣〕
1929年、ニューヨークのウォール街で株式が大暴落したのをきっかけに、世界大恐慌が起こりました。経営がおかしくなった企業は、銀行に駆けつけて預金を引き出します。はじめのうちは要求に従っておとなしく銀行券を渡していた銀行も、苦しくなった企業が増えるにつれ、預金引出しを渋るようになりました。そうなると預金を引き出すのに銀行券をもらうのが不安になり「金で返せ」というようになります。
しかし、それだけの金貨が銀行にはありませんでした。既にみてきたように、銀行は手持ち以上の銀行券を発行していたのです。                       
金との交換を保証できなくなったお金の価値は、為替市場で決められるようになりました。そして、金という「実質的な財」の制約から解放され、単なる数字となったマネーは、コンピューターの発達に乗って、利益を求め世界中を駆けめぐるようになります。
(参考)
「お金の歴史」① 貝殻貨幣~金属貨幣~鋳造貨幣
「お金の歴史」② 兌換紙幣~金本位制の崩壊
「お金の歴史」③ 金為替本位制~変動相場制~投機マネー 

お金の変化によって市場は拡大してきました。
では、お金の役割を纏めてみます。
・物々交換から始まった、市場における交換取引
・市場の拡大を加速させる手段として、交換取引を効率化する為につくられた共通指標としてのお金
・共通指標として成立したお金は、常に社会の共認を必要とする。=社会的な評価共認の元で交換取引を加速させたものが「お金」

・しかし金融市場というバクチ経済が急速に発展した事により、実体経済との乖離が進み、普通の人々が日常生活で使うお金と、国境を超えて行き交う数字としてのお金は最早同等のものとは言えない状態となっている。いよいよ、お金の価値が疑われ始めているのが現在の状況。
 
他者、あるいは他集団との交換取引は、物々交換の時代であっても市場第一の時代であっても、物流の根幹にあるのは「共認」ですね。そこに、幻想価値が介在していたとしても、お互いがそのものの価値を「同等」と認める(認めさせる)ことで市場における交換取引は成立してきました。こうして考えるとお金とは、単なる評価指標(モノサシ)に過ぎず取引の介在物でしか無いことがわかります。しかし、単なる介在物であるという認識を持っている一方で、現代我々がこの「お金」に持つ印象はあまりいいものばかりではないように思います。
このお金の役割としての実態と、我々が持つ認識(or感覚)のズレはどこから来ているのでしょうか?
 
次章では、その切り口になると思われる大衆の意識潮流の変遷に焦点をあててみたいと思います。
2、意識潮流の変遷
前述でも述べた、お金に対する我々の違和感。その違和感の度合いは、近年さらに加速しているようにも感じます 🙁 その原因の一つは、昨今も続くお金に纏わる不正などのニュースなどではないでしょうか
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お金は生活をする上で必要なものだけど、使い方を誤ると 👿 皆の不審 👿 を招くことが多々あります。
すなわち、皆の共認を得ることができない使い方=不正ということですね。
逆に言えば、皆が認める形でお金を使っていけば、それは「健全」な運用
だと言えます
しかし、もっと本質的には、現代は“何をするにもお金の掛かる時代”です。この現実の中において、単なるモノサシでしか無かったはずのお金そのものが、権力を帯びてしまった事にこそ問題があるのです 「金さえあれば何でもできる」「世の中、金が全て」等といった発想が示すように、お金の持つ麻薬性 😈 にこそ、多くの人々が「お金=悪いもの」と言った印象を抱く結果を招いているのではないでしょうか。
そして、実際にお金の発行権をめぐる権力闘争や騙し合いが絶えない社会であるのも事実です。
(参考)
超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会
では、この皆の意識の収束先、共認される中身は過去から現在においてどのように変化してきているのでしょうか 以下記事では、過去から現代に渡る大衆の意識潮流の変遷を端的に示されているので紹介します 😀

(前略)
ところが’70年頃、先進国では物的な豊かさがほぼ実現され、貧困の圧力が消滅してゆく。その先頭に立つことになったのが、日本である。
貧困が消滅すると、私権を獲得しようとする欲求=私権欠乏が衰弱してゆく。
従って、物的欠乏も衰弱し、市場は縮小せざるを得なくなる。
また、私権圧力が衰弱すると、誰も必死に働こうとはしなくなり、全般的に活力が衰弱し、指揮系統も機能しなくなってゆく。
(中略)
貧困の圧力に基づく、私権を獲得しなければ生きていけないという否も応もない強制圧力=私権圧力の衰弱とは、力の原理の衰弱に他ならない。
力の原理が衰弱していけば、人々が、その強制から脱して、人類本来の共認原理に回帰してゆくのは必然である。(※共認原理とは:実現論1_4_11)
かくして人々は、’70年以降、最も深い潜在思念の地平で、次々と私権収束から脱して共認収束を強めていった。
この共認収束の潮流は、半世紀以上は続く大潮流であり、現在は転換の途上であるが、すでに10年以上前から、大多数の人々にとって、周りの期待に応える充足こそが、(私権充足に代わる)最大の活力源になっており、いまやこの期応充足の土壌から生み出された課題収束が、最先端の意識潮流として、顕現している。
(中略)
すでに、社会の統合原理は、私権原理から共認原理に転換した。それに伴って、企業も共同体に転換してゆく時代に入ったのである。 「実現論:序2(下) 私権時代から共認時代への大転換」より引用 

現代は既に私権獲得にしか興味の無い人(≒自己中)には白い目圧力が働くような社会へと転換しつつあります。言い換えると、自分の為だけにお金を使うことには充足を見いだせない時代となった事を示しています。
人々の意識の収束先が「私権から共認」に変わっているにも関わらず、未だ旧時代の方法でしかお金を運用できない社会体制や組織体制が残存し続けていることも、冒頭の違和感につながっていると考えられます。
では、これからの時代に、皆が可能性を感じるお金の使い道とはどういったものがあるのでしょう?
3、新しいお金の使い方 
近年、お金の使い方は間違いなく変化しています。決定的に違うのは「何を軸に使っているか」でしょう 貧困の時代では、欲しい物があるのは大前提で“ 買えるか買えないか”が軸でした。その後、豊かさが実現されると、大抵のものは買えるので“(自分にとって)必要か否か”が判断軸となります。そして今、さらに判断軸が変化しています。それは“みんなにとって必要か否か”という軸。
自分の欲求を満たすためのお金の使い方がこれまでの使い方だとすれば、現代の潮流は、仲間のため、仲間との繋がりのためにお金が使われています。そうすることで、自身の活力も上昇するのです。そのような感覚がみなさんも感じているのではないのでしょうか??そしてこれからは、仲間だけに留まらず、さらに対象を広げた他者との共認充足をイメージしてお金を使うことが、皆が可能性を感じる使い方と言えるでしょう 😀 😀
でも、一口に「みんなの為にお金を使う」といっても、身近な家族・友人までならイメージできるかもしれませんが、対象を広げたとき(社会を対象化したとき)には、どうすればいいのか判断することができないのではないでしょうか
そこで次の文章にその答えが示されています

 ①お金を使うという行為は、期待でもあり、社会を動かす力にもなります。その方向を決めるのが「必要か、必要でないか」という認識です。それを鮮明にしていくためには、既成の価値観に囚われない事実追求とそこから導かれる事実認識が必要です。そのためにお金を使いましょう。
②そうすると、使い道があまりないことに気づきます。お金の使い方を考え始めた時点で暗示しています。充足できる使い道がない。それはみんな同じ。ならば、みんなの期待に応えて創り出せばいい。どんな場を創ったらいいのか。そのような新しい場を創っていくためには、既成の概念に囚われない事実追求とそこから紡ぎ出される構造認識が必要です。そのためにお金を使いましょう。
③同時に、必要な使い道がないのだから、余計なお金は使わない。そのことは、崩壊する私権社会からの脱却を加速するとともに、身近な充足の場を拡大し、本源集団の再生にも繋がっていくのではないでしょうか。
身近な充足の場を拡大するにはどうしたらいいのか。そのような新しい人間関係を考えていくためには、既成の枠に囚われない事実追求とそこから明らかになる新しい認識が必要です。そのためにお金を使いましょう。 「次代に向けたお金の使い方」より引用

つまり、みんなにとって「必要か否か」、の判断をするための「認識」が必要になる。その認識獲得のための場づくりにお金を使っていくことが必要で、みんなの視点に立ったお金の使い方が、これからの可能性なのです。
 
例えば、当ブログの記事にある
未来を拓く、社会事業の可能性-1- なぜ今、社会事業が注目されているのか?
のような活動も、皆のためのお金の使い方として、今後益々注目を集めていくビジネスになると予測されます。企業とは社会あってのモノ。本当の意味での「社会貢献」は、みんなのとって「必要か否か」の視点によって洗練されていく事業にして行きたいですね 😀
 
4、まとめ
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お金の歴史と意識潮流の変遷をしらべることで、お金はみんなの評価指標であり、だからこそ意識潮流に合わせた使い方を探していく必要があることが分かりました 😀 みんなが可能性を感じるところ=みんなのために使っていくことこそ、意味のあるものになりそうです
ただし、ここでの結論はあくまでも“実体経済において流通している貨幣”に限定した結論です。金融市場で暴れまわっている、お金を増やすためだけのカラクリ=騙しに対しては、断固として闘う必要もあります。株、為替、先物、金融商品、保険商品、これらは一体、社会に対してどんな恩恵をもたらしてくれているでしょうか?改めて、みんなにとって「必要か否か」の判断軸を、より鮮明にして行く必要がある、という事を付け加えておきます。
みんなの期待していることを掴むために認識を学び、社会を変えていきたいですね 😀

 

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