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2013年09月13日

『類グループ岡田社長に学ぶ』シリーズ.3 社内ネットへのもっともらしい投稿の事例

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※類グループ劇場会議時の写真です。

類グループ岡田社長は、日々、小さなものから大きな課題まで、現実の問題に対して新理論を駆使して答えをだし、社員に発信しています。そして、その方法は、すべて共同体の経営には不可欠な共認原理に則り実践されています。

この、岡田社長が日々の仕事のなかで
新理論を駆使して現実課題の答えを出すこと
それらがすべて共認原理に則り実践されていること
こそ、『学び』に最良の題材ではないでしょうか?

『類グループ岡田社長に学ぶ』シリーズ・・・プロローグより

さて、共同体経営を学ぶには、共同体を経営している岡田社長に学ぶのが一番 ということで始まったこのシリーズ

今回は、共同体・類グループの社内ネットへ、共同体を揺るがすような、ある発信が社員から入りました そこでの社長の組織の導き方から学びたいと思います

『類グループ岡田社長に学ぶ』シリーズ.3 社内ネットへのもっともらしい投稿の事例です

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◆もっともらしい投稿の発信

社内ネットに関してこの間考えたこと
当然ながら社内ネットの影響は、かなり大きい。その中でどうしても私自身違和感を感じてしまう投稿があります。それが、特定の誰かに対して「自己中」ということが発信されることです。この投稿に意味があるのかをこの間考えてきましたが、やはり必要ないのではないかと私は考えました。


1.社内ネットは日頃接していない方も含めて共有されているものです。とすれば、その投稿により知らない人までも、そのような人であるという感情を共有してしまう恐れがある。

2.社内ネットは、上手くいった事例も失敗した事例も共有することが一番大切なことと私は感じています。とすれば、やはり事実のみを共有することが大切であり、「私はこう感じた!彼はどういう人間である!」みたいな投稿者自身が感じた感情をそのまま投稿されても、読み手にとっても判断が難しく、それ自体も本当なのかどうかも分かりにくい。
3.「自己中」と発信された相手からすると、これほど活力のさがることはない。特に相手のことを「自己中だから、○○できない」という投稿がありますが、それは批判であり、建設的ではありません。指摘だけでは不十分すぎるってことです。

以上がその理由です。どうでしょうか?

やっぱり、人って単純です。批判されれば活力も出ないですが、褒められたり期待されれば活力は何段階も上昇できます。そして、みんなの想いを直に感じて、期待してもらえれば、人は必ず前を向いて歩き出すということなんだと思います。

誰だって、上手くいかないこともあります。失敗することもいっぱいあります。だからといって失敗を起こした当人の資質に焦点をあてることは不要です。なぜ、そうなったのか?(現象事実のみ)では、今後どうすればいいのか?(具体的方針) をみんなで共有さえすればいいのです。失敗はきちんと学べば終わりです。いつまでもそこに意識が引きずられていては、また同じ失敗を繰り返すだけです。

社内ネットは、非常に有効な手段ではあります。ただし、何でもかんでも社内ネットに投稿されることは板が荒れるだけです。そして、そのような雰囲気の社内ネットは、みんな嫌だなぁと感じて、社内ネットへの距離を感じてしまうことになりかねません。これって、ものすごくマイナスです。だから、マイナスもきちんとプラスに出来る可能性がセットで提示されなければ、悶々としてしまうのみです。

相変わらず纏まりのない投稿ですが、私がこの間考えた社内ネットへの期待です。

一見、まともそうなことを言っているようにも聞こえます。
でもどこかおかしい。。。 なにかが足りない。。。 そんな気持ちになります

そして、これを皮切りに全社員が「社内ネットに関してこの間考えたこと」について考え始め、いくつか答えに近い投稿も入ってきました

◆社員からの答え発信

まず第一に、自己中(自我)にカタをつけずして、勝っていくことはできない。充足していくことはできない。つまり、皆の共認充足を実現していくには、私権の残滓である自己中(自我)は始末しなければならない。
また自己中指摘に対して、指摘された側の感情や活力を問題にしていますが、このような場合、それ以前に自己中(自我)によってまわりの活力や充足を阻害(破壊)してきたという事実があるのでしょうから、その事実への気づきは改善のためにも必要なのではないでしょうか。

自己中は共認充足の破壊物だからです
自己中は他者否定と自己正当化です。つまり、人の話を聞かない。そして「自分はこれで良いんだ」と開き直っているわけです。それでは、どんな方針を提示しても変わるわけがありません(人の話に耳を傾けていないわけですから)。
従って、己の姿勢が、どれだけ周りの人たちに不快感や迷惑をかけているか、また、人間(共認動物)として恥ずべき(犯罪的な)行為なのかを自覚することが まず第一であって、それなしには何も変わりません。その自覚によってはじめて、人の話に謙虚に耳を傾けることができるのではありませんか。
そういう意味で「自己中は人類の敵」というのは、最も根底的な方針であると思います。

最初の投稿の違和感がだんだんと見えてきました。
そして、岡田社長から投稿が入ります

◆『そのとき、社長は何を発信したのか』

「耳障りのいい上っ面だけの充足投稿は騙しでは? 」
君は、部門の責任者として「組織をどう上昇させるか?」という課題に向き合ったことが、ありますか? たとえば、やるべき課題を捨象して著しく成果を落とし、全塾の足を引っ張っている自己中、あるいは周りから何度いわれても遅刻を続け周りの活力を奪っている自己中がいたとします。しかも、たいてい彼の周りには、心情的に彼に同調する何人かの自己中がいます。

 組織をどう上昇させますか?彼のマイナス面は完全に捨象して=一切触れずに、彼のプラス面だけを発信していれば、彼は課題を捨象しなくなり、遅刻しなくなるのでしょうか?過去に、そのような事例は殆どありません。なぜなら誰かが問題指摘をしなければor誰かが圧力を加えなければ、彼はいつまでもそのままで変わらないからです。
 上記の事例は、権力体ではあまり見られない共同体に固有の現象です。私権圧力が働いていないが故に、いとも簡単に自我肥大し、課題捨象に陥るという現象です。問題は、私権圧力に代わる共認圧力が十分に形成されていない点にあります。そしてこの社内ネットは、その共認圧力形成の切り札として期待されている場です。

 そこで、上記のような問題がある時、誰かが問題指摘をしなければ何も始まりませんが、問題を指摘したり、圧力を加えたりするのはかなり勇気のいる課題です。教師が生徒に問題を指摘するのなら(私権序列に則っているので)たいして勇気もいりませんが、社内ネットを構成しているのは対等な発信権をもった仲間です。しかも、「問題があれば指摘する」という課題=絶対規範は確立していないので、厄介なことは簡単にスルーできます。そこでは君の投稿が象徴しているように、指摘投稿をしたものを鬱陶しく感じたり余計なことをする奴と悪者視する空気が濃厚に残存しています。誰も好き好んで悪者になりたくはない、だから勇気ある一部の者の指摘投稿しか出てこない。

 だからこそ、共認圧力が十分に形成されないのだと言っても過言ではありません。未だ過渡期の共同体では、共認圧力が不十分であるが故に、いとも簡単に自己中な言動が生起し続けます。今、組織を上昇させるために重要なのは、勇気を持って問題指摘の発信をすることであり、問題から目をそらせた耳障りの良い騙し投稿では決して組織は上昇しません。必要なのはしっかりと問題を直視した上での「どうする⇒半答え」投稿です。

 最後に一言。「自己中」と指摘する者、スルーする者、耳障りのいいことしか言わない者、誰がもっとも解決志向=肯定性が強いのかをよく考えてみてください。

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◆学びポイント
では、今回の話の中での、学びポイントはどこでしょうか
まず、社員は「マイナス感情を呼び起こす発信はダメ」と主張しています。すなわち「自分が傷つけられるのは嫌だから、マイナス発信はやめよう!」という、“否定発信の禁止”を訴えているのです。この“否定発信の禁止”ですが、もともとは現実に起こっている問題(自己中と指摘されるような事実)に対しての指摘が出発点です。では、この問題について考えているかというと、そこに対しては、まったく直視せず、ましてや何も考えていないし、何も動こうとしていません。要するに「現実を捨象」しているのです。
でも、現実には現実を捨象することは無理です。
だから、耳障りのいい言葉で問題(現実)を捨象しようとしています。一見もっともらしい発信だが、それは現実に起こっている問題を捨象し、現実に残存する自我や私権(ここでは自己中)を正当化しようとする発言です。この観念がまかり通ってしまえば、その結果、組織を衰弱化させることへと繋がってしまいます。
これはすなわち、欺瞞観念に他なりません。都合の悪い現実は捨象し、都合の良い頭の中だけの幻想=欺瞞観念をもって自己正当化を図ろうとする(そして何とか人々を欺こうとする)自我人間そのものの姿です。

そして、今回の否定発信を禁止している当の本人こそ、現実を捨象し、都合の良い観念で誤魔化そうとしている自己中の張本人なのです。本人が「指摘されるのは恐い」から指摘発信はやめよう!と自我発信しているに過ぎないのです。

何であれ、現実を否定すれば自己欺瞞(そして意識と存在の断絶・分裂)に陥る。だが今、その現実は自我・私権を残存させつつ、充足基調から本源収束へと根底的な地殻変動を起こしつつある。つまり、今ようやく肯定可能な現実基盤が形成されようとしている。ただ、その潮流は、欺瞞観念にフタをされて出口を見つける事が出来ず、その結果、社会不全(危機と閉塞)が高まっている。そして、高まった本源収束と社会不全のマグマは、出口を求め、可能性収束⇒答え欠乏を上昇させつつある。

社会は、人々の共認内容が変わってゆくことによって、自ずと変わってゆく。現在、その共認内容は自我・私権を残存させており、何よりそれを正当化する欺瞞観念に覆われている。しかし、現代が古代や近代と決定的に異なるのは、自我・私権の衰弱→終焉が既に明らかであり、それに伴って否定意識に代る充足基調⇒本源収束の潜在思念が顕在化しつつあるという事実である。従って、潜在思念(=下部意識)の充足基調⇒本源収束を実現に導く、現実直視の状況認識(事実認識or構造認識)さえ提示すれば良い。そこでは現実(下部意識=潜在思念)を肯定こそすれ、否定する必要はない。
ただ、欺瞞観念(上部意識)だけは、全的に否定しなければならない。でないと、欺瞞になる。欺瞞観念を捨てて、事実認識に置き換えても、下部意識=本源収束が実現され易くなるだけで、何の矛盾も自己欺瞞もない。

【観念パラダイムの逆転1 現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ】

欺瞞観念を放置してしまうと、みんなの役に立つ投稿(自己中への指摘投稿)への評価は下がり、逆に組織を破壊する方向に導く投稿(耳障りのいい投稿)への評価は高くなっていきます。さらに欺瞞観念は、投稿への誤まった評価共認に留まらず、普通の人々の共認を得やすい(だまされやすい)ので、日常の中に欺瞞観念による現実捨象がはびこってしまいます。

これは、結果的に共同体という組織を破壊してしまうことになります。個々の現実課題への適応能力が低くなり、組織の統合度も劣化してしまうからです。
「しっかりと評価されるべきである指摘投稿(勇気ある投稿)が、組織を強くする。」これを教えてくれたのが、この岡田社長の投稿でした

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今回の件を通じて、岡田社長が伝えてくれたのは、
欺瞞観念についての構造認識と、その危険性です。
普通だったら、「何を甘いことを言っているんだ!」と、ひと言で叱って終わりにしてしまいそうな社員からの発信に対しても、違和感を掴み、整理して、はっきりと社員に伝えています。
これができる岡田社長自身に「欺瞞観念についての構造認識」があるからです
さらに上記の構造認識をそのまま伝えるのではなく、具体事例を用いて、誰にでもすっきり分かるように伝えています。

実際に、この岡田社長の投稿を受けてスッキリ した社員たちは、充足可能性の高い方へ収束していきます

こうして常に組織の統合者として、どんな場面でも共同体を導いて下さる岡田社長に本当に感謝です

 

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