2013年09月17日
1-11.「大転換期を生き抜く 市場の拡大限界と暴走」まとめ
みなさん、こんにちは 😀
これまで、答えの出ない社会の閉塞感を突破するために、「大転換期を生き抜く」というシリーズの中で、次代の可能性を探るべく、さまざまな現象事実を掘り下げていき、根本原因を明らかにしてきました。
ここで改めて、それらの投稿のポイントを紹介させてもらい、今まで読んだことの無かった方にも是非読んで頂きたいと思います
シリーズ第一章の過去記事は、以下を参照してください。
プロローグ
1-1.実態データーから読み解く、物的豊かさの実現=貧困の消滅
1-2.国家と市場の基本構造
1-3.経済理論の破綻
1-4.バブル経済という人工輸血装置
1-5.お金のしくみについて
1-6.私たちは今、大きな架空観念(騙し)世界の中に居る
1-7.生産活動を見直すことは市場を脱するきっかけになる
1-8.市場の住人:金貸しの存在と暴走から読み解く現在の状況
1-9.自我経済から共認経済へ
1-10.市場の縮小という現実にどう対応すれば良いか?
1-1.実態データーから読み解く、物的豊かさの実現=貧困の消滅
1960年代にはカラーテレビや冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの普及率は90%を超えています。1970年代、物的飽和を迎え、人類史上初めて貧困が消滅しました。いままで、貧困を解決するために私権(金) による統合がなされていました。貧困を克服し、「何よりもお金が一番欲しい」という人が減少した現在は、私権統合システムでは成り立ちません。つまり、私権にかわる統合様式を見つける必要があるのです。
1-2. 国家と市場の基本構造(闘争適応と共生適応)
私たちを取り巻く外圧を知るため、その根本にある「国家」と「市場」に焦点を当てて考えました。その成立を歴史的にみると、全く違います。武力闘争(戦争)を勝ち抜いて出来上がった国家は、行き場を失った大衆を治め、外国の侵略から守ることで統合されます(闘争適応)。一方、市場は、武力でのし上がった国家の王に幻想商品を売りつけて、王の資力を掠め取ることで繁栄してきました。取引関係で国家に寄生して生き残る存在です(共生適応)。したがって、市場は社会を統合する機能を持たない(そんなこと眼中にない)ことがわかりました。
武力支配の時代は過ぎて、今は、市場が国家を動かしているように見えます。しかし、社会のことなんて眼中にない市場の中で頑張っても社会は良くなりません。今見直すべきは「集団」とその「統合」なのです。
1-3.経済理論の破綻
経済の行く末を見定める上で、これまで経済成長を支えてきたと考えられている過去の経済理論について、歴史を振り返り俯瞰しました。市場の危機に直面する度に、新たな経済理論が台頭しているように見える経済理論発展の歴史。しかし、その実態は「市場拡大は絶対」「国策への理論武装」の為に焼き直しをしてきたにすぎず、実態の大衆の意識とはかけ離れた理論だったのです。市場が縮小し新しい時代に突入しようとしている現在、既存の観念の枠を超えた新しい理論が必要となるのです。
1-4.バブル経済という人工輸血装置~アベノミクスの本質
アベノミクスのように市場への資金介入を行なえば、いつかは庶民の生活 が豊かになるのか?その答えはNO。国家が注入する資金は、もはや需要が頭打ちの今の市場では消費活動には使われず、“投資”市場へと流れていくのです。するとバブルが“人工的”に発生。しかし、その構造上いつかは崩壊するのがバブル。そして不況へ。するとまた国家が資金 注入し終わらない輪廻。ただし崩壊時には多くの庶民が負債を背負うことになります。「バブルによって潤うことはなくとも苦しむことはある」。その事実を直視せねばなりません。
1-5 お金のしくみについて~お金ってそもそも何??~
普段何気なく使っている「お金」。お金とは市場を効率的に拡大させる為に生まれたという歴史がある一方で、皆の共認によってなりたっている単なる評価指標。しかし、私利私欲の目的で使われてきた経緯から、現代の我々は「お金」は汚いものという先入観を持っています。本当に皆の為になるお金の使い方とは、みんなにとって「必要か否か」の判断軸が大事。その為にも、今社会で何が求められているのか?皆の潜在的な期待を捉える認識力の獲得の場にお金を使う。こんなお金の使い方の可能性を紹介しました。
1-6. 私たちは今、大きな架空観念(騙し)世界の中に居る
経済システムを知れば知るほど、私たちが「大きな騙し世界」に生きていることに気づかされます。過去に世界中で引き起こされてきた戦争や暴動、 様々な人災の尽くが、金貸し勢力によって意図的に仕掛けられたものだったのです。“グローバリズム”もその一つ。
この壮大な“騙し”世界で生き抜くためには、事実認識が不可欠です。この事実認識こそが金貸し最大の弱点。要は巧妙な騙しにも引っかからなくなれば良いのです。
つまり、日々、周りの人達と「事実」を羅針盤とした全うな人間関係構築=共認形成に取り組む事こそが、今最も重要な課題となるのです!
1-7 生産活動を見直すことは市場を脱するきっかけになる
本来、生産と消費は同じ価値のはずです。しかし、今の私たちは、消費ばかりに価値をおいています。「欲しい物はすぐに手に入れたい」という欲望を可能にするお金。お金によって「欠乏(欲望)と充足の短絡化」が可能になり、お金ばかりが重視されて、生産活動を“面倒なもの”“嫌なもの”と思うようになりました。それでよいのでしょうか?
私たちが消費できるのは誰かが生産してくれているから。自分は大したものは作れないという現実を直視すべきです。そのうえで「生産活動」と生産してくれる「人」を見直していく。生産活動を充足と捉えられる「共同体」が広がっていくことが可能性です。
1-8.金貸しの暴走が引き起こす現況と転機
リーマンショック→デトロイト州の破綻(アメリカ)、都市と農村の所得格差・都市問題の急増(中国)、EU脱退・財政危機(ヨーロッパ)と、日本に限らず、世界中で市場拡大が停滞しています。そんな中、日本では、不正選挙による得票数操作、原発汚染水の漏水隠蔽など特権階級の暴走が頻発しています。その理由は、彼らの十八番であった洗脳が物的飽和により通用しなくなり、焦っているからです。
お上の堕落外圧を受け、大衆には新たに自考思考が生起しています。それは改革への新たな希望なのです。
1-9 自我経済から共認経済へ
目先の利益追求のため、借金をし金利に苦しみながら、さらにお金を追い求める「お金に生かされている状況」から脱することが可能なのか?「お金」や「経済」のあり方を今一度問い直すべく、過去から現代に渡って事例を紹介しながら可能性を探ってきました。そこには、皆や社会の為になる経済の在り方へのヒントがたくさんありました。自分自身が一生に稼げる利益よりも、将来のため、子や孫そしてその先の代、みんなの為に、お金を使う。人を、自然を育てる為の投資。時間をかけて、じっくりと時を繋げ皆が生きる場を育んでいく経済の実現は、私達の意識次第!「自分」→「みんな」へ意識の転換が始まっているこの日本にはその土壌がそろいつつあるのです。
1-10 市場縮小という現実にどう対応するか?~消費者から生産者への意識転換~
市場拡大の限界を感じつつも、縮小化へとはなかなか舵を切れない政府・ 企業・そして個人。実は、資本主義社会で暮らすうちに私たちは自然とそうなるように仕向けられていたのです。しかし、今の人々は「自分たちでなんとかしなければならない」「人や社会の役に立ちたい」という意識が強くなっています。これらの意識が向かう先は、消費だけの生活 から、自らが生産し皆で補い合うことで生活を豊かにする未来。この転換が実現したとき市場縮小を目的とせずとも自ずと市場は縮小していくでしょう。
10個の記事にわたる大転換期シリーズ第一章 😀 いかがでしたか?
自分たちの生きるこの社会の可能性を見つけていきたい!という想いからスタートした大転換期シリーズ第一章。1970年代の物的飽和により社会の意識潮流が変化し、市場拡大の限界に達しているにも関わらず、既存のシステムをそのまま使用していることが閉塞感を生み出す要因となっていました この閉塞感を突破するためには、新たな意識(=共認社会)に適応するシステムが必要です。さまざまな事象を分析してきましたが、「自分⇒みんな」、「消費者⇒生産者」への意識転換が次代を切り開く可能性として見えてきました!
次章では、「技術革新・新エネルギー需要」をテーマに次代を読み解いていきますので、乞うご期待
- posted by naka at : 22:31 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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