2013年09月11日
大企業とはいかなる存在か?(中編)~大企業で不祥事が起こるのはなぜ?~
前回で大企業の信じられないような不祥事を紹介しました。
大企業とはいかなる存在か?(前編)~連続する不祥事、大企業の実態は?~
昨今では大企業の不祥事は立て続けに起こっています。紹介しました不祥事はほんの一部にすぎず紹介した以外にも多くの不祥事が起こっています。また、不祥事以外にも相次いで大企業の大赤字が発表されています。
なぜ、このような不祥事や大赤字が表面化してきたのでしょうか?世間では大企業病という言葉も使われるようになっています。
今回は前回紹介しました不祥事がなぜ平気で起こってしまうのかを、解明していきたいと思います。
■信じられないようなミスが起こるのはなぜ!?
~機能不全に陥った大企業の指揮系統~
○豊かさの実現による私権圧力の低下
信じられないようなミスが起こるのは、社会の潮流の変化が大きく影響しています。
70年以前であれば企業に入れば、必ず身分(資格や肩書き)の獲得や利益の獲得という私権課題が強制的に与えられていました。
それまでは人類はほぼ一貫して飢餓の圧力に晒されて生きてきました。そこでは、社会は飢餓の圧力を下敷きにした私権(財や地位などの私有権益)を確保しなければ生きてゆけないという、私権の強制圧力で埋め尽くされていました。
しかし70年、豊かさが実現したことにより飢餓の圧力はなくなり、同時に私権圧力も衰弱していきました。この豊かさの実現による私権圧力の衰弱は大企業の状況を一変させました。
私権圧力は社員一人一人に自分を守るためにはミスは絶対に許されない、ミスがあっても絶対に外には漏らすことは許されない、といったような強力な圧力を形成していました。しかし現在では私権圧力の低下に伴い、ミスをしないための思考や集中力が低下しており、ミス・不祥事が多発している状況です。
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○機能不全に陥った指揮系統
以前の大企業をまとめていたのは、利益を獲得するための強力な私権圧力でした。強力な私権圧力があったからこそ、大企業という大所帯の末端まで統合することができていました。
しかし現在は、その私権圧力は衰弱し、それに代わる有効な圧力が働いておらず、指揮系統は機能不全に陥りました。
ミス大爆発の原因として、私権圧力の衰弱→警戒心発の集中力の衰弱という分析は間違っていないが、民間企業でも官庁でも、ミスに限らず不正・不祥事は増える一方である。しかも、それは組織内部において薄々はわかっていたものがほとんどらしい。これは単なるミスに留まらず、問題や不正の隠蔽ということである。それが発覚して不祥事が明るみになるという構造だ。
しかし、問題の隠蔽は今に始まったことではない。歴史的にみても、指揮系統上の下の者が、自分に都合の悪いことは報告せず、その結果として戦いに敗北した事例は無数にある。
つまり、問題の隠蔽は私権圧力⇒序列原理の統合様式である指揮系統が構造的に孕んでいるものだと考えられる。
指揮系統は上意下達のライン(単線)で構成される。指令を受ける担当は一人である。他の人は誰も知らない。だからラインのどの段階にでも隠蔽が可能である。
とはいえ、私権圧力が大きく力の原理が強烈であった時代は、万一隠蔽がバレたら即打ち首であり、その恐怖の力で隠蔽が一定抑えられてはいた。ところが’70年貧困が消滅し、私権圧力⇒序列原理が衰弱すると、民間企業も官僚機構も不正のオンパレードとなってきた。
引用 不正・不祥事の続出は、指揮系統の末路の姿
前編で紹介したみずほ銀行のようなミスは指揮系統の機能不全と合わせて危機意識の低下により起きたと言えます。
これら不祥事は、組織内部においては薄々はわかっていたものがほとんどで、単なるミスに留まらず、問題や不正の隠蔽ということです。単線で構成された指揮系統は、他の人はなにも知らないため、ラインのどの段階にでも隠蔽が可能であるという、指揮系統が必然的に孕む欠陥が私権圧力の衰弱に伴い、噴出したということなのです。
企業の規模が大きければ大きいほど、指揮系統の修復は難しく大企業では大きな被害となっています。
■誰も会社のことは考えない!無責任になるのはなぜ?
~民主主義の弊害、拡大する自我~
○社員個人の権利が第一
前回記事で紹介した2兆以上の負債を抱えて倒産したJALの例はまさに自我の暴走の典型例です。個人の権利を主張するために労働組合が7つも存在し、その組合たちが個人の権利のためと企業のことは何も考えずに無責任に待遇改善を主張し続けた結果、経営破綻に至りました。このような自我の暴走はなぜ起きたのでしょうか?
本来は会社あっての組合にも関わらず、会社の状況も考えずに自我を暴走させているのは、相当強力な正当化観念が働いているからこその行動です。
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【民主主義は、自我の暴走装置である】
何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我・私権の主体である。自我・私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。子どもの言い訳や屁理屈と同じである。
また、民主主義は、自我・私権に立脚しているので全員合意は望めない。だから、多数決で決着をつけるしかなくなるが、この多数決もまた、民主主義が自我・私権に立脚したものであることの証拠である。
事実、民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。
その先鋒となったのが、金貸しが生み出した共認支配の専門家たち=学者や評論家やジャーナリストである。彼らは現実と直対することから逃げて、もっぱら書物から学んで専門家となった連中である。逆に言えば、彼らは現実から何も学ばず、従って、現実を改善してゆけるような実現の論理を持ち合わせていないので、何事も批判し要求することしかできない。
だから、彼らは一様に、民主主義を根拠にして人々にも同じように批判し要求するようにそそのかしてきた。その結果が、自我ばかり肥大させ、何も実現できない(=批判と要求しかできない)無能化された人々である。
引用 実現論:序3(下) 民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
社会には未だに民主主義の価値観は深く浸透し続けています。
民主主義は、我々の頭の中に深く浸透しており、知らず知らずにうちに自我が肥大化し、思考力を奪われ無能化、無責任化していっています。
私権圧力が強く残存している時代であれば、強力な私権圧力で自我の暴走も封鎖されていました。
しかし、私権の衰弱により自我を封鎖するものもなくなり、自己の権利を主張することが正とされれば当然社員の自我は拡大することになります。
私権が衰弱したのは大企業だけに限ったことではありませんが、大企業にはもう一つ特有の自我拡大の原因があります。
中小企業であれば常に市場の競争圧力晒されているため、私権圧力が衰弱したとは言え、現実の圧力に晒され続けているため自我の暴走も封じられます。
大企業はどの市場においても半独占状態を築き上げています。それは今回の例に取り上げたJRLにも当てはまり航空市場にはJALにとって強力な圧力となる競争相手がいない状態です。
そのため、大企業では社員は圧力を感じることなく、自我の暴走が拡大し無責任社員が増加しているのです 🙁
■自分達さえ良ければいい!自分達のことしか考えられないのはなぜ?
~狭い対象性の試験エリート~
野村証券の「手段を選ばない営業姿勢」や「法人情報を顧客に提供して売買の勧誘」を行っていたインサイダー問題は、組織の誰もが自分達だけ良ければよいといった間違った意識を持っていたために、このような問題が起こりました。このような劣化判断に陥ってしまったのはなぜでしょうか?
現在の大企業の社員は、多くの試験エリートと大企業思考の人々で構成されています。
試験エリート達は、単なる試験制度発の「合格」という無機的な目的意識を植え付けられてひたすら試験勉強に励み、「特権」を手に入れた人々がほとんどです。大企業思考の人々は大企業という肩書きだけに惹かれ、無機的な目的意識でひたすら大企業を目指してきました。
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団塊世代以降の特権階級は、貧困を知らず、本当の私権圧力を知らない。従って、彼らは、肉体的欠乏に発する本当の目的意識を持ち合わせていない。彼らは、単に試験制度発の「合格」という無機的な目的意識を植え付けられてひたすら試験勉強に励み、「特権」を手に入れた連中である。しかも彼らの大半は、試験制度という与えられた枠組みの中でひたすら「合格」を目指してきたので、その前提を成す枠組みそのものを疑うという発想が極めて貧弱である。
従って、彼らは社会に出てからも、ひたすら既存の枠組みの中で走り続けることになるが、もはやそこでは、既存制度によって与えられた特権の維持と行使という目的以外の目的意識など生まれようがない。
かくして、団塊世代が幹部に就いた’00年以降、彼ら特権階級はひたすら与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。
引用 潮流7:暴走する社会(特権階級の暴走と下層階級の暴走)
試験エリートや大企業思考の人々は試験制度というものすごく狭い枠の中で戦い続けていただけであり、対象性が非常に狭くなっているため、狭い枠の中だけの自分達だけよければよいという思考に陥ります。
彼らは、大企業の過去に蓄えた強大な遺産で大きな仕事をしているだけに過ぎません。それにも関わらず彼ら個人が権力を得たと錯覚し、試験競争で勝ったという自負も相まって、自分達は「庶民とは違う特別な存在だから何をしてもよい」という思考に容易に陥ってしまうのです。
■まとめ
○大企業病が統合不全に陥ってしまったのなぜ?
豊かさの実現により、私権時代から共認時代へと時代は大きく変わりました。それに伴い私権圧力は衰弱しました。
大企業ではJALの例で示したように経営的危機感が少ないことから、現実の圧力もほとんど存在しません。
そのため指揮系統を機能させるための圧力が存在せず、統合不全、無責任社員、自己中社員といった問題が次々と起こっています。
これは私権圧力に代わる新しい圧力を生み出せていないこと意味していますが、新しい圧力は「社会からの期待(共認圧力)と言う形で無数に存在しています。
しかし、対象性の狭いエリート意識の高い社員や無責任社員では共認圧力を掴むことはできないため大企業内は圧力不在となり統合不全に陥っています。
○大企業に突破口はあるのか?
突破口は社内の共認圧力の形成にあります!
しかし、数千人、数万人という規模の中で共認形成を図ることは可能なのでしょうか?
本来であれば今の時代に合った体制改革を行っていく必要があります。
それにも関わらず大企業は能力主義体制のような方法で人為的に私権圧力を生み出そうとしたり、国内の雇用を顧みないリストラや、海外進出などの策をとったりと、大衆や社会の意識からどんどん乖離しているようにも感じます。
果たしてこの共認の時代に大企業である必要があるのでしょうか?またこの先大企業に可能性はあるのでしょうか?
次回は大企業成立の歴史から追求していきたいと思います
- posted by kurokawa at : 12:01 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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