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2013年09月26日

「大転換期を生き抜く」シリーズ 第二章 『技術革新・新エネルギー需要』 プロローグ

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■はじめに
 みなさん、こんにちは。
本ブログで11回かけてお届けした「大転換期を生き抜く」シリーズの第一章「市場の拡大限界と暴走」は、前回で終了しました。これから、第二章として『技術革新・新エネルギー需要』をお届けしていきます。今日は、そのプロローグとして、第二章を、どんな意図で、どんな内容としてお届けしようとするか、最初の骨子をお知らせしようと思います。

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■「今」をどう捉えるか
1)五輪招致と国民意識%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88%E5%BB%BA%E8%A8%AD.jpg
 「今」といえば、やはり、オリンピックの東京招致が成就したことが話題になるでしょうか。五輪出場を目指して、日々大変な努力をしているアスリートにとっては、本国での五輪開催は特別な意味を持つもの。期待感は高まるところでしょう。また、そんなアスリートを目指してスポーツに励む若者や子供さんにも大きな夢を与えるものです。暗いニュースが多かった日本に、久しぶりにもたらされた良いニュース、という捉え方をされている方は少なくないと思います。
 ところが、今回の五輪招致は、国民全員が手放しで喜び期待した49年前のようにはなっていません。その象徴が、IOC総会で安倍首相が行った「状況はコントロールされている」発言です。官房長官や自民党の幹事長が苦しい答弁に終始したのはご承知の通り。他国・多方面から「大丈夫なわけないだろう」と突っ込みを受けました。本ブログの読者の方々においては、その多くが首相の発言を聞いて「そんな馬鹿な・・・」と思われたかもしれません。いずれにしても、国際社会を含む大多数が、東京五輪招致を祝福していたらこんなことにはなりませんから、49年前とは明らかに状況が異なる。これは間違いのない事実です。
 では、そのような意識を形成しているものは何でしょうか?それは、もはやいうまでもないでしょう。震災の爪痕であり、福島第一原発の事故です。
 震災後2年以上経って、今なお30万人近くが故郷を離れ、避難生活を余儀なくされているなか、五輪招致を喜ぶ気にはなれない。これは正常な心境だと思います。また、原発の事故収束が、今後7年間で悪化することはあっても、劇的に前進するとは思えない。これも正常な状況認識だと思います。あるいは、東京で五輪開催したら、被災地の復興は更に後送りにされる。これも当然予想されることです。
 目を背けられないマイナスの現実を、経済効果などのプラス材料で捨象して、半ば無理矢理に成就させた感が否めないのも事実。素直に7年後の東京五輪に期待を寄せられない人がいるのは、無理もないことだと思います。
2)「自力」で何とかしようとする動き
 五輪招致に続いて、政府は消費増税・法人減税などの経済政策を矢継ぎ早に出してきました。消費者いじめだという論調を回避する目論見か、生活が厳しい世帯には、増税の代わりに1万円配ります、という検討もしているといいます。過去、民主党政権が同じようなことをしましたが、「お金を渡せば何とかなる」と思っているお上(政府・官僚)の思考停止パターン、その典型だと揶揄されても仕方ないでしょう。なぜなら、被災地では、膨大に積まれた復興予算の35%(3.4兆円)が執行できない事態が顕在化しているからです。先立つものが必要なことは否定できませんが、札束で家屋は作れません。お金だけ渡してもダメなのだ、ということです。
 
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 このような状況に対して「お上には頼れない」と自力で何とかする動きが見られます。津波で甚大な被害を受けた宮城県の女川町で“トレーラーハウス”の宿泊施設がオープンした話は有名です。復興作業にあたる作業員の宿泊所として期待されていると言いますから、お上に頼らない「自力」の好例でしょう。(この宿泊所が建築物に該当するかどうかで女川町役場ともめたという話はあまり知られていませんが)
 また、地味なところだと全国的に家庭菜園”に対する関心が向上しているといいます。育てる楽しさを味わいたい、という素朴な理由が大きいようですが、安全な食を求める意識も垣間見れます。貸し農園で(地面で)本格的に野菜作りをするのではなく、集合住宅のベランダで手軽にプチ菜園を楽しむ人が増えているのも特長。市販されているものから「自力」に意識が変わってきていると解釈できる点は、注目に値します。
3)「自分で考える」
 「自力」で何とかしようとする動きは、今後、さらに加速していくと思います。なぜなら、五輪招致とそれに続く増税のような無理矢理感たっぷりの政策は、近い将来、国民を蔑ろにしたお上の暴走と捉えられるところまで来ると思うからです。そうなったとき「自分で考える」ことの必要性が顕在化します。与えられるだけ、受取るだけだった人々が、お上を見限って、「自力」で何とかするために「自分で考える」力を欲する。大きな転換が訪れるはずです。
 「大転換期を生き抜く」第二章では、今現在、そして未来を、そのような可能性を秘めたものと捉えていきます。
■各論の主旨①:資源・科学理論%E7%9F%B3%E6%B2%B9.jpg
 「大転換期を生き抜く」シリーズの第一章では、市場や経済学の“本質”を学びました。これは、私たちの現実を構成する、まぎれもない事実です。第二章の前半は、この流れを引き継いで「資源・エネルギー、科学理論」について学びます。
 まず最初は、資源について。
 かつて日本占領連合軍最高司令官として終戦直後の日本を見たマッカーサーは、こんなことを言っています。「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している(参考)」と。第三者的な見方として、これは正しい。そして、忘れてならないのは、GDPで世界2位や3位になった今現在も、資源貧国である現実は変わっていないということです。石油の産出が無いからこそ、それに代るエネルギーという謳い文句で原子力が大衆に受け容れられました。ところが、そこに大きな落とし穴があった。それが今ごろわかったということです。そして、更にあらわになってきたのは、資源が生み出す「富」と「利権」。お人よしの大衆が疑いもしなかったところに、(原子力ムラのような)支配的な利権構造があった。そして、それらの利権構造によって、事実が歪められてきた(現在進行形で歪められている)痕跡も多々見受けられる・・・。
 資源が富を生み出す以上、市場とは切っても切れない間柄にあります。もっというなら、資源を如何に活かすかを考察する「科学理論」も市場の配下にあります。その構造を切開し、総括しない限り、また「安全です」などと誤魔化されてしまいます。もう「想定外でした」と開き直られても困るのです。ここでは、「大転換期を生き抜く」ために当然知っておくべき“常識”をご紹介したいと思います。
■各論の主旨②:新エネルギー・新技術
 第二章の後半は、新エネルギー・新技術について学びます。
 原発事故以後、持続可能な新エネルギーに対する研究にスポットが当たるようになりました。資源貧国である日本にとっては、絶対に必要な技術開発の分野でしょう。ところが、有益な技術開発も、先行投資した分の回収の目処が立たないとなかなか育ちません(スポンサーがつかない)。
 また、省エネルギーという意味では、製品の耐久性向上という観点も見逃せません。が、なぜか、最近の製品は、スマホのような高額なものでもよく壊れます。そして、壊れたら修理するのではなく、新しいものに取り替えるよう奨められます。
 いずれも、目先的な利益につながらないために、新しい技術の開発や、耐久性向上の可能性が排除されている感は否めません。そのような背後構造を明らかにして、どうしていけば良いか、可能性発でスポットを当てたいと思います。
■各論の主旨③:意識の問題
 最終的には、私たちの意識にスポットを当てたいと思います。心の中では「地球に優しい」に共感しているのに、実際には100円ショップでポンポン買ってポンポン捨てている、そんな私たちの意識です。
 持続可能な社会とは、自然と人間の共生であり、そのためには大量生産・大量消費を善しとする市場構造から、おそらくは、脱する必要がある。今現状、それは出来ていませんが、出来ていないことを認めないことには、新たに再出発することも出来ません。
 冒頭お話した東京五輪まで、あと7年。この期間をどう生きるかは、大変重要であると思います。それは「自分たちで考える」ことの必要性にどれだけ多くの人が気付けるかということであるし、その度合いで、2020年以降の日本がどうなるかが決まると思います。オリンピックという一過性の空騒ぎのためではなく、私たちが自分たちの手で、自分たちの社会をつくっていく」必要性に気付けるかどうか。与えられるだけだった、エネルギーや新技術に、能動的に関っていくことからも、その姿勢が試されていると思います。そのような投げかけとして、次回以降の記事にご注目ください。
 長々と失礼いたしました。

 

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