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2013年11月30日

関西を知る~京都企業の業績がいいのはなんで?歴史編~

私は関西でいろいろなお客様のところにまわり、何とか仕事に繋げられないかと日々駆け回る営業の仕事をしています。仕事になるかどうかは、市場動向(バブル崩壊やリーマンショックなど)に影響され、それに比例して仕事が増えたり減ったりします。
しかし、そんな市場動向に振り回されることなく、着実に業績を伸ばしている企業が集中している地域が関西にあります。
それが「京都」です。
京都の上場企業はバブル崩壊後も1社も倒産しなかったと言われています。そんな京都という土地にはどんな秘密があるのでしょうか。「関西を知る」シリーズでは、京都に迫っていきたいと思います。

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まず、京都の商業の歴史と文化を見ていきます。
秦氏と工芸文化

京都盆地は、周囲を山に囲まれ、川と湖にほど近い位置にあります。この地で集落を営む人々は、背後の山々で狩猟や植物採集をし、河川で魚や貝を採って生活を送っていました。商いの原点は、物々交換ですが、その場「市」としても此の地は成り立っていました。
京都人の先祖が初めて作った工芸品は、旧石器~縄文時代の「土器」「土偶」であるとされています。弥生時代に入るとそれらは洗練され、炎で焼かれて機能性を増していきました。
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やがて大陸から渡来人がやってきて、大陸の先進的な文化、手工業中心の産業技術(染織・陶芸・木工等)が伝承され、その生産基盤が定着しました。そして794年、この地に平安京が築かれ、京都へは全国から優れた職人が集うようになりました。
京都の伝統産業の中でも有名な、織、染、焼きなど京職人(工芸家)による手工業の技術のほとんどが秦氏によって伝えられ御所の工房で生産されることになりました。

御所・国営工房

平安宮廷に住まう皇族・貴族たちは、京中に多くの国営工房を開き、そこに工匠たちを集め、衣服や物品・日用品いっさいの生産を行わせました。京都の伝統産業-京染織・京人形・京扇子・京菓子等-は、宮廷と貴族のため、ここに生まれたのです。
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貴族たちは、大陸からの輸入品をモデルに、それを日本風に改変させます。御所に携わる職人たちは、ひたすら技術を磨いて製法を研究し、研鑽・工夫を加えて、王朝文化を彩る最高の製品に仕立てていきました。そして、織・染・焼など、手工業にはじまる京都の伝統産業は、朝廷や貴族たちに隷属するかたちで、宮廷文化に育まれつつ、共に歩んでいくことになったのです。

見世棚と分業制

中世に貴族政権は没落し、官営工房は民営へと切り替わることとなります。彼ら職人たちは朝廷を離れて独自に商売を始め、王宮からの流出品や貿易品に触れつつ工芸技術に錬磨を加えていきました。
やがて商品経済が確立、京職人は地方から原料を仕入れ、加工貿易を行うようになります。その頃、京の通りに「見世棚」(家の軒先に小さな棚を設け、品物を売る)と原型が登場します。
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見世棚には様々な品が並べられ、それが軒を連ねて町通りが形成されました。都が活気づき、次々に雑多な人々が集まってくると、その多様な需要に応じて品々が作られ、それが多種の職人を育て、切磋琢磨のなか工芸技術の向上します。また、戦乱により絶えず変動する権勢の中で、京の町衆達は自らの保身術として工業の「分業制」を敷き、製品作りの専門分化体制が確立していきました。

戦国から江戸時代

応仁の乱から京都が復興すると、町は以前にも増して活気に満ち溢れます。暖簾をかけた店内に商品を並べて売る本格的な店舗が登場し、やがて楽市・楽座(自由取引)の時代を迎えると、城下町京都はいっそう繁栄に沸きました。
さらに16世紀、南蛮貿易が始まると、南欧諸国・ペルシャなどから日本に初めてヨーロッパ文化が輸入され、それらは京都に集中しました。京の町衆はこうした南蛮文化と交流し、吸収し、新たな技術を身につけ磨いていきました。城下町の発展につれて公家文化と町民文化が溶け合い、やがて、富を蓄えた京の町衆が絢爛豪華な文化の担い手となります。西陣織や友禅染が広がるのもこの頃です。
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近代化へ

幕末の政争を越え、文明開化で西欧の模倣が始まると、近代機械工業化時代を迎えます。京都の工芸界はいち早く欧米の先進的な技術を導入し、外国人研究者を招き、陶磁産業・染織産業の大胆な技術革新をはかり、それを成功させました。
そして太平洋戦争中も無傷であった京都工芸界は、戦後も近代テクノロジーを取り入れつつ、他の都市のように手工業の伝統を断ち切ることなく今に至っています。

京都には、千年の歴史の中で、常に各時代の最新・最高の技術の粋が集められました。それは王朝以来の伝統技術によって最高最美「京風」のものへと作りかえられていきました。その伝統は今も研鑽・工夫が加えられ、近代工業のなかに活かされているのです。
京焼きの伝統から生まれた「京セラ」、西陣織からインテリアを始めた「川島織物」、婦人下着の「ワコール」、精密機械の「島津製作所」など、永年培われてきた知恵と技術の蓄積があって、そうした伝統の上に新しい発想で先端技術を取り入れ、花を開かせながら今につながっているのです。
次回は、京都の「風土と工匠編」です。ご期待下さい。

 

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