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2013年12月03日

関西を知る~京都企業の業績がいいのはなんで?風土と工匠編~

京都の風土は、日本の文化の源泉と言われています。それを象徴するのが日本各地にある「小京都」。小京都(しょうきょうと)とは、古い町並みや風情が京都に似ていることから、各地に名づけられた街の愛称です。室町時代以降、各地の大名が京都を真似た町づくりをし、それが小京都の起源となりました。
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秋田県角館・・・みちのくの小京都
新潟県加茂市・・・越後の小京都
岐阜県高山市・・・飛騨の小京都
兵庫県出石町・・・但馬の小京都
兵庫県龍野市・・・播磨の小京都
島根県鹿足郡・・・山陰の小京都
広島県竹原市・・・安芸の小京都
愛媛県大洲市・・・伊予の小京都
高知県中村市・・・土佐の小京都
鹿児島県知覧市・・・薩摩の小京都

代表的なもの以外にも自称他称含めると数多くあります。
↓↓↓
●日本の小京都50選
このように「京都の風土」は日本各地の風土に大きな影響をもたらしました。
今回は、日本人の繊細な美意識を形成する源泉となった京都の「風土と工匠編」について紹介します。
参考・引用
「小京都」
「京都商法の要 ~風土と工匠~」

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【 京都の風土 】
京都は太古の昔、湖底であった。そこへ川から土砂が運び込まれ、やがて盆地となった。一万年前の京都は、まだ草深い沼沢地であり、人気も全くなかった。数千年ほど前、京都人の先祖がこの地に村落を築き住み始める。そして5世紀頃、朝鮮半島から秦一族が集団移住、大陸文化が伝承される。彼ら渡来人が惚れ込んだのは、何よりもこの地の美しい自然であったという。8世紀末、平安遷都。これより京都は千余年王城の地として栄える。貴族による宮廷文化が花開き、その需要を満たすため、京都は職人の町となり、やがて近世には、富を蓄えた町衆によって京都は大産業都市となる。千二百年に綿って、京都には絶えず日本の・世界の一流品が集中し、そこで加工されて更なる一流品として移出されていく。常に第一級のものが集中するなかで、最高最美の「京風」を創り上げていくこと。これが京職人の伝統であった。その背景にはいつも、山背の自然美と、雪月花から学ぶ哲理があった。

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【 自然と四季 】
京都の四季は優雅に移り変わる。季節の推移の音は静かである。四季をとおして山の色は多彩なハーモニーを見せ、桜や紅葉が咲き誇る様は人々の目を豊かに潤す。同時に京の四季は厳しい。山々に囲まれた京都盆地は、擂り鉢の底のような土地であり、夏は異様に湿気が籠もるし、冬は北からの凍るような冷気が吹き溜まる。京都は「日本の箱庭」なのだ。集約された日本の全てがそこにある。
、色付いた新芽は花の見頃に咲き揃う。うららかな日和のなか雛祭り・都おどりに町は息づく。やがて短い春を惜しむように、咲いた花から風に誘われ吹雪いていく。
はじっとりと汗ばむ蒸し暑さ。蝉の声、陽炎ゆらめく祇園祭。人々は坪庭に打ち水をし、風鈴の音に風を知り、浴衣を着けて涼感を演出する。大文字の送り火に夏は逝く。
は山々から訪れる。ある朝一筆で刷いたようにいっせいに燃え上がる紅葉。やがて清流をせめぎあって都へと降りていく頃、京の大路を時代祭り、鞍馬火祭りが絢爛に彩る。
、京都は骨冷えである。町家は真っ白な牡丹雪に覆われ、山々は美しい墨絵の世界に移り変わる。人々は家路を早め、ほの白くたちのぼる料理の湯気に暖かさを演出する。

こうした京都の自然・四季はいつも美しいだけではなかった。時にはその獰猛な本性を現し、天変地異として都人の暮らしを脅かした。それでも人々はこの自然と溶け合い、自然と思想・宗教を結びつけ、日本固有の文化を創造していったのである。厳しいが故に美しいこの自然こそが、華麗な十二単衣を生み、枯山水の庭園を創らせ、花鳥画を育て、さらに現代まで京職人の美意識を培ってきた。工芸品にのせられる独創的な図案は、京にあふれる自然の美から学び取ったものである。この京都の風土こそが、日本文化の源泉であり、京職人の美の心の母である

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【 京職人の伝統 】
京都は山が近く、水があくまで清い。京焼きも友禅染も、良質で豊かな京の水や土なしには不可能だった。自然に恵まれた風土は、良品を生み出す土壌でもあった。京から見る四季折々の移り変わりは、人々に美の創造を教えると同時に、彼らの「もの」を見る眼を際だたせていった。その美的センスは、唯美主義を競う王朝文化の鋭い美意識によってさらに磨かれる。貴人や富豪の嗜好に合うよう、豪華絢爛にして細部まで心を使って作らねばならなかった。京職人の、しつこく粘っこく熱心で、どこまでいっても更にやり遂げようとする精神は、ここに培われた。京職人こそが、日本文化を歴史の初めから創り支えてきたこと、ここに彼らの強烈な誇りの原点がある。古今、東西、伝承、輸入、移入された「もの」は、京の中でいつのまにか極めて京風なオリジナリティを帯び、京の産品として生まれ育っていく。それは古くて新しい、年代に朽ちない優しさに満ちた美をもっている。繊細かつ精緻であり、洗練された高級感をもつ。
京の職人は、このように伝承されて来た「京風」の定めに、ときに反抗し、また革新を試みながら、いつしか「京風」の中に融けこみ、技を洗練させ無限の努力を重ねていく。それらは、美しく演出されたような京都の自然美と、千年来伝えられた極めて優れた遺品との比較、そして美を知る京の人々の鋭い批評感覚、さらに他の職種との相互の切磋錬成により、より高い水準が保たれていく。京の自然の推移に調和する京の「もの」。それは、千年の昔から、現代、そして千年の未来に通じる”伝承”と”革新”が融和した結果である。

このように自然と思想・宗教を結びつけ日本固有の文化を創造してきました。「伝承」と「革新」の融和と、他の職種との相互の切磋練成による高い水準の保持。現在の京都企業の強さの源流はここにありそうです。そして、日本企業再生のヒントもまた。
次回は、京都はなぜ老舗が多いのか?「老舗の理法」編です。お楽しみに!!

 

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