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2014年01月02日

「大転換期を生き抜く」シリーズ第二章 『技術革新・新エネルギー需要』 2-7 CO2温暖化説の背景にある環境問題を解決する為に必要なこと①

①パラダイム転換編
 
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写真はこちらからお借りしました
  
 最近はテレビでも見ることは少なくなってきましたが、海面上昇、南極・北極の氷の減少、台風等の異常気象など、環境変化がCO2の増加によって引き起こされるという話をよく耳にしていました :wink: 聞かれなくなってきた背景には、その欺瞞・情報操作にみんなが気づき始めたことが大きいでしょう :-)

ウソの根拠については以下
1.地球温暖化の主要因は太陽光
2.温室効果ガスの95%が水蒸気、残り5%が二酸化炭素
3.植物はCO2を吸収しない
4.地球は数万年サイクルで温暖化・寒冷化を繰り返す

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写真はこちらからお借りしました
  
 環境という認識の起こりは、1963年のレイチェル・カーソン著「沈黙の春」。ここで環境という概念が認知されるようになり、1972年のメドウスの「成長の限界」で世界的概念となり、1980年代以降は環境という概念は環境ビジネスを代表とする経済活動の中核に位置づけられていきます :wink:
 聞いていると、この環境問題が起こってからまだ100年も経ってないのかと考えてしまいそうですが、実はかなり昔から、それこそ人間が生産活動を拡大させ始めた頃から起こっていることなのです :wink:
 

環境破壊の歴史1&2
 
1.環境破壊の始まりは、農耕・牧畜
2.世界四大文明→古代市場による略奪的環境破壊
3.産業革命による公害の拡大→壊滅的環境破壊の開始
4.近代市場の成立→市場に参加する全ての消費者が、環境破壊の主犯者へ
5.全ての科学技術が、金儲けの材料へ

 
 一般的に環境問題と言うと私権拡大が加速した上記の3以降を指すことになるでしょうか 8)
 
 自然は常に自己修復機能を持っています。しかし、その力は広大であっても時間のかかるものです。ですから、自然の自己修復能力を超えた外圧を加えたとき、目に見える形で顕現化してきます。最近では原発という自然の力を超過した環境問題も出てきている始末 :roll:  
 
 まだ環境を支配しようとする傲慢な考えを持ってなかった時代は、環境は生活の幹であり、自然の循環を保つことが自らの生きる場を守ることにつながっていました :D
例えば、急速に「大量消費社会」化していった江戸時代は、当然ながら「エコ」や「リサイクル」という概念は無く、生活手段としての外圧のもと、余ったもの・捨てるものは『もったいない』→『どうする?』→『何かに使えないだろうか?』という本源的な適応(=工夫)思考の中で環境と接していました。だから自然に同化し、謙虚な姿勢で環境を捉える基盤がありました :o その根底には、自然も人もすべて一体という認識が根付いていました。その証拠に、自然を別個に対象化したり、言葉化していませんでした
 
 しかし、現代は市場拡大による都市集約化の流れの下、自然の循環を人工的な浄化システムで制御し、都市に住む人たちは自分たちにとって都合のいい環境を共有し、情報は市場によって取捨選択され、自然の循環と生活が断絶されています。環境問題の解決を地球環境の破綻と捉え、それを防ぐ方針に苦慮することが多いように思いますが、それでは根本解決になりません。詰まるところ、環境問題とは市場拡大を優先してきた社会システムの破綻なのです。だから、私権闘争下での市場は私たちの生きる場を守れないという欠陥構造を持たざるを得ず、社会システムを根本から変えなければ環境問題が解決することはないのです 8)
実は、その変化は今まさに起こっています :wink:
 
 

超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
 
 あるいは、こうも云える。人類は(わずか数十年~数百年という短い期間では)集団を超えた同類闘争を止揚・統合する機能or場を作り出すことが出来ずに、あっという間に性闘争→掠奪闘争に席巻(せっけん)されてしまったのだと。
 この掠奪闘争によって、人類を育んできた全ての本源集団は解体され、生き残った人々も、いったん全てを失った(飢えはもちろん、生存さえ保障されない様な)どん底状態に封じ込められてしまった。
しかし、力の序列原理に則った武力支配国家の下で、人々は私婚の共認→私権の共認を形成し、それを土台として全ての人々が私権の獲得(=私権闘争)に収束する私権統合の社会を確立していった。そして、何とか最低限の生存が満たされる状態を回復すると、次に、取引という形の私的共認に基づく市場を形成し、ひたすら物的な充足を追求して’70年頃にようやく貧困から脱出した。
人類は、私権時代を通じて約3千年(最長5千年)もの時間を費やして、飢えという生存圧力を克服してきた訳である。
 と同時に、貧困が消滅したことによって一気に私権闘争の圧力が衰弱し(従って活力が全面的に衰弱し)、もはや生存圧力を背景とした私権闘争に基づく国家や市場では、社会を統合できないことが明らかになってきた。
 今、人類がぶつかっているのは、掠奪闘争や私権闘争を超えた新たな社会統合の仕組みをどう作り出すのかという未明課題である。同時に、人類は改めて、6千年前には出来なかった、掠奪闘争や私権闘争をどう止揚・統合するのかという課題を、突きつけられているのだと云えよう。

 
 

私権収束から共認収束への大転換
 
(前略)
 しかし力の原理が働くには、一つの大きな前提条件がある。それは貧困(飢餓)の圧力である。貧困の圧力が働いているからこそ、誰もが私権に収束し、力の原理が貫徹される。
実際、古代~近代を貫いて、紛れも無く人類は常に貧困の圧力に晒されてきた。だからこそ、力の原理が支配する私権社会になったのである。
 
 ところが’70年頃、先進国では豊かさがほぼ実現され、貧困の圧力が消滅してゆく。その先頭に立つことになったのが、日本である。
貧困が消滅すると、私権を獲得しようとする欲求=私権欠乏が衰弱してゆく。従って、物的欠乏も衰弱し、市場は縮小せざるを得なくなる。
 また、貧困が消滅すると、誰も私権獲得のためにあくせく働こうとはしなくなる。従って、活力が衰弱し、指揮系統も次第に機能しなくなってゆく。
つまり、’70年、先進国は大きな転換点を迎えていたのである。
(中略)
 物的な豊かさが実現された以上、私権収束⇒私権統合の社会が終焉し、共認収束⇒共認統合の社会(人々が、状況を共認し、課題を共認し、規範を共認し、それらの共認内容に収束することによって統合される社会)に移行してゆくのは必然である。
 現在の、意識潮流の先に人々が求めているものも、間違いなく共認社会(古い言葉で言えば、共同体社会)であると言えるだろう。

 
 
 私有意識、個人主義といった私権観念によって「みんなのものを独占する」意識が加速した結果得られたのは、環境破壊、財政破綻といった「みんなの破壊」です :cry: 現代は、「私権」から「共認」へのパラダイム転換が「自然を制御するという傲慢さ」から「自然と同化する謙虚さ」への認識転換を齎し、環境転換への兆しが見えてきている時代なのです :wink:
 
 
次回は環境問題の解決のために私たちは何を学んでいけばいいのか考えてみたいと思います :D
 

江戸時代の循環型社会の参考投稿
 
江戸時代のリサイクル業
 
江戸に学ぶのは、「環境問題解決の鍵は、思想・共認充足にある。」ということ。
 

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