2014年02月01日
経営者が語る!『今、何をなすべきか?』1-1(前編)~「信念と志は、外圧をプラスに捉える闘争集団で育まれる!」~
昨年末、類グループでは 、 『今、何をなすべきか?』 をテーマに経営者に語っていただく講演会がありました。講演者は、類設計室:専務取締役・副社長の阿部さんです。
「厳しい外圧に自ら飛び込み、日々闘う経営者の声を聞きたい!」と、たくさんの学生さんや社会人の方々にお集まりいただきました。
講演だけで終わらせるのはもったいない!ぜひ、その中身が知りたい!という声をいただきましたので、今日は、その内容をお伝えいたします。
類設計室:専務取締役・副社長の阿部さん の講演内容です。
◆【自己・類グループ紹介】
私の肩書きは紹介のとおり社外では専務取締役・副社長で営業本部長となっております。しかし社内では阿部さん で通っていまして、序列をあらわす肩書きでよばれることはありません。弊社は41年前の創業以来、全社員で経営を担いその責任を果たす全員経営参加の体制をとってきた共同体企業だからです。
皆の中でどちらかと云えば、私は厳しい経営外圧に何時も身を曝す場で仕事をしてきましたが、その様な体験を見返して、これから社会に出る皆様に何か役に立つ話をしてみたいと思います。
日ごろは設計事業部門の最前線に立って、大小のプロジェクトの受注を主導し、しのぎを削る交渉の場に身を置いてきました。建築の受注営業は車の値段の3桁から4桁も大きい世界で、タンカーや航空機に次ぐ大型プロジェクトの取引をめぐる受注戦争です。
数十億円クラスの建設プロジェクトを常に数十件、基幹人脈から網の目のように情報網を張り巡らせて、戦略・戦術を闘わす情報戦に明け暮れています。
それこそ、戦略方針と企画立案に凌ぎを削って来たわけです。
従って情報戦ですから、膝詰め接近戦であり、そんな中身をこのような皆さんの前で如何様に話したらいいのか戸惑っているしだいです。
当方の言い分に対して相手の出方や反応を予め想定して、それこそ用意周到・準備万端を地で行く徹底した準備の上で、何事も先んじる先手必勝の構えで交渉ごとに対峙していくわけです。しかも出会いの場では、闘争共認つまり同志的な盟約を結ぶことが目標となり、綿密な交渉を積み重ねる場ですから、いつも相対で小人数の緊迫した交渉に明け暮れるわけです。この様なことを皆さんの前で話せということで、私にとっても今日のテーマはとても難問です。
実は数週間前に、募集広報室の活きの良い女子社員諸君が私の席に押しかけて来て、取り巻かれてしまいました。逃げ場をふさがれて詰められて、このような場に立つ破目となりました。
いまや企業の強さは女子力で決まるといっても過言ではなく、弊社の女子力は正しく本物で、日本企業の女子力の最先端を行く会社です。もともと日本社会は縄文気質ですから、男優位の市場社会の行き詰まりがはっきりとしてくるに従い、企業の活力源として女子力が鮮明に再浮上してきたわけです。縄文気質の日本民族には、会社も家も実はカカア天下が一番居心地が好いということかと思います。
◆【信念と認識が繋がってこそ期待に応えていける】
さてお題は「経営者が語る、今何をなすべきか」と云う、とても手に負えないテーマをいただきました。
然し、昭和と平成にまたがって会社経営の仕事に身を置いてきた先輩社会人として、まだ若い学生の皆さんにどんなお話をすれば、少しでもお役に立てるのかと考えてみました。
彼女達との話からヒントになったのが、最近女子大生を中心に「松下幸之助」に注目が集まっているという情報です。
松下の経営の根幹にある理念=観念ですが、「水道哲学」という有名な経営理念ですね。
水道哲学(すいどうてつがく)とは:松下幸之助の語録に基づく経営哲学であり、水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低下にし消費者の手に容易に行き渡るようにしようという経営哲学のこと。
企業が成長するということは市場の闘いに勝利する ということです。闘いに勝つには、如何なる企業も松下電器も、信念と志と逞しい理念が必要です。
女子大生がなぜ今、松下幸之助なのかと考えてみると、「志を持って、世のため人のために役に立つ生き方=仕事」に強く期待している からだと想えるのです。
『いわば昭和の古い経営者への憧れと、彼らが死んだ後の日本をガタガタに駄目にした現代の経営者への恨み節』が、想いの中身なのかなと思います。
300万人が戦死した敗戦の焼土からの日本の再建と、失業すれば飢え死にしてしまう赤貧の圧力から豊かな社会の実現を志して、立ち上がった昭和の一群の経営者が松下幸之助や本田や井深氏等でした。信念に貫かれた志を果たすべく、社会を覆い尽くす貧困の圧力突破すべく、心血を注いで企業を成長させてきた人たちですね。
然し市場の拡大が限界に達して、経済成長の夢もリーマンショックで止めを刺されて、米国化つまりグローバリズムを是認したパナソニックは5000人以上の社員の首切りを繰り返してガタガタです。米国依存の円安が鎮痛剤になってやや小康状態のようですが、このままでは展望がありません。
水道哲学が通用しない豊かな時代に入って、幸之助の信念も志も根腐れを起してしまったのです。日本の政治改革を夢見て手塩にかけた松下政経塾は、民主党を乗っ取って政権の中枢に座ったものの、原発破壊の臨戦対応に失敗して消費増税に走り、米国支配層に癒着して日本をガタガタにしてしまったのです。国民をがっかりさせた罪はとても重いものがあります。
貧困の圧力が社会を蔽い尽くした時代では、松下は勝者でした。然し、事実認識が時代遅れとなって信念も志も根腐れしてしまい、本源回帰の共認社会になって幸之助の理念は陳腐化してしまったのです。 それでも、信念を貫いて志を果たすべく、次代の可能性を掴み取る事実認識をたゆまず磨いていく生き様はとても大切です。
然し、信念と志だけでは実現されず仕事の成果はあがりません。そして、認識を学ぶだけでも迫力に欠け、実戦的戦力に為り得ません。信念と志を土台として、可能性を掴み取る新しい事実認識を常々習得していくことが、追求力や闘争力を鍛えることだと思います。
この数年来の新卒女子社員に感じることですが、闘争と親和が一体の当社に入社した彼女達はるいネットや社内板や劇場会議や女子会で女力を磨いて、信念と事実認識が心の奥底で繋がって、一気に急成長する姿に私は感動すら感じています、素晴らしいです。
◆【信念と志は闘争集団で育まれる】
では信念を貫いて志を果たしていく という、その様な潜在思念=気迫はどのようにして生み出されてくるのでしょうか。外圧をプラスに捉える集団が信念と志を育んでいくとの気付き、信念と志は闘争集団で育まれると云う気付きを、募集室の女子社員たちともども得心することとなりました。
日本人が未だ健全な精神を持ち合わせていた二世代以前の育ち方ですが、私の実体験を遡ってみても、確信を深めることとなりました。
私は実は幼少期の家業が網元でして、80人ほどの統率された集団で網起しを朝夕繰り返す大謀式の定置網漁業と遠洋漁船と近海捕鯨船を経営する一族の中で育ったわけです。近海であれ遠洋であれ漁労は自然界の猛威を避けて通ることはできず、操業・操船時の海難事故と隣りあわせにあります。
遠洋航海への出航時には、幹部船員と円陣を組んで航海の安全を確認して出港させ、多くの見送りの人たちが立ち去っても船影が見えなくなるまでじっと立ち尽くしていた父親の姿や、はるかな洋上で激しい低気圧に遭遇し、錨を流して船体を安定させて、全速で船体を支えているなどと漁業無線が入ったときの家中の空気はとても張り詰めたものがあったのです。
自然界の猛威にもたじろぐこと無く立ち向かった集団の、この様な空気を子供心にもプラスに受け止めて成長してきたことを思い起こしました。海上の安全を念ずる乗組員の家族や一統一族の皆たちの期待がひしひしと体や心に染み渡る体験を積み重ねて育てられたように思います。
信念や志は闘争集団の中で、危機感と隣り合わせの期待圧力をプラスに捉える体験を積み重ねて育まれるという思いに至りました。集団にかかる圧力を空気のように吸い込んで、期待されれば応えていくという心の軸が育っていくのだと思います。
思い出してみると、小学校のころも大学生になってからも、自分から手を挙げることは無かったけれど、まとめ事や先端の突破課題があれば引っ張り出されて、社会に出てからもそのような姿勢のもと、好き嫌いは抜きに仕事をしてきたように思います。
◆【信念と志だけでは足りない地平】
然し、頭の中はのほほんと育ってしまいましたが、中学の卒業の頃に家業が上手く行かなくなったことも有り、あまり考えも無く進学したわけです。
60年安保闘争が終結した後の京都工芸繊維大の64年頃は、遅ればせながら自治会の設立期にあって、学生による自主管理闘争が始まったときでした。そのときの指導者が4歳年長の岡田社長だったのですが、一回生のときは体育祭の実行委員長を、二回生のときは大学祭の実行委員長などの役回りが回ってきて、勿論進んで引き受けたわけでもなく 回ってきた役回りは小学校の頃からこなして来た様に、応えていくという姿勢で引き受けていただけでした。
然し相変わらず無思想な私でしたが、幼少期から育まれた信念や志だけでは足りない地平を6年間の学生生活では随所で痛感し続けていました。3回生から修士課程までは岡田が主催した7名ほどの「方法研究会」の末席で、西洋の哲学や理論創造の基礎を学ぶ読書会と研究会に参加していたわけです。その成果がその後の実現論や自主管理の招待に繋がり、類グループの成長と理論追求力の礎になったのだと思います。
当時は研究室つながりの教授推薦で就職が決まるものでしたから、卒業と同時に大手の企業の研究開発部門に配属されて、5年間はウグイスの声を聞きながら半分は勉強、あとの半分が仕事と、応用研究からの生産プロセスの開発までの仕事を任されていました。職に就いてからも京都での「方法研究会」には1回/月の出席を常としていましたが、数年後に理論創造から共同体設立の実践に入るので研究会は中断すると手紙が来て、岡田は職場の仲間達と共に類設計室を設立し共同体企業の建設に着手していきました。
それが41年前の共同体企業類設計室の設立でした。それから5年後に私も合流することになりました。 信念と志は闘う集団の中から育まれるという実感を述べました。
前編は以上です。
「信念や志は闘争集団の中で、危機感と隣り合わせの期待圧力をプラスに捉える体験を積み重ねて育まれる!」
「集団にかかる圧力を空気のように吸い込んで、期待されれば応えていく!」
「信念と志は、闘う集団の中から育まれる!」
阿部さんの一言一言に背筋を正されるような想いになりました
では、そのような「信念」や「志」に支えられた想いを、どう実現していくのか?後編に続きます
- posted by kubota.a at : 15:03 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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