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2014年02月28日

「大転換期を生き抜く」シリーズ第二章 『技術革新・新エネルギー需要』 2-10 原発 安全なはずが無いのに推進されるのは何故か?-3

原発 安全なはずが無いのに推進されるのは何故か?-2
に引き続き、原発シリーズのラストとして原発問題のより根幹部分にある構造を紐解いて行きます。
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■脱市場と脱原発
ここまで、原発に絡む利権問題の根深さを明らかにしてきましたが、実は同様の構造は原発に限らず社会全体の閉塞感を生み出している市場システムそのものに、根本原因を見ることが出来ます。
逆に言えば、原発問題だけを取り上げたとしても、また次のエネルギー問題へと論点が移るだけに過ぎず、この社会を構成している近代思想、あるいは近代科学そのものの持つ欠陥構造を切開しなければ、解決の道は開けません。
近代科学の史的総括1~市場拡大とともに自我肥大し、自然を支配(破壊)してきた近代科学
近代科学の史的総括2~金貸し主導の戦争→国家プロジェクトの手先となり、アホ化した科学者たち
上記2記事から、歴史段階的な意識の変遷(と自我の暴走)を整理すると次のようになる。
 

1) 牧畜が登場するまでは自然(動物)は畏敬の対象であり、生命をいただく代わりに感謝の念を捧げていた。

2) 西欧人では牧畜の登場によってその自然を人間が飼い馴らすというパラダイム転換。そこでは家畜を制御・統制する必要があるが、それはアメとムチによって家畜を支配することと同義。

3) 遊牧部族発の略奪闘争によって共同体と規範共認を破壊された西欧人は、自我の塊となってゆく。そして、他部族を家畜同然と看做し支配しておきながら、自分たちだけは自由・平等という己に都合のよい架空観念を捏造してゆく。

4) 17世紀科学革命と言われる西ヨーロッパの文化的変動。それ以前までのヨーロッパでは、哲学、神学、文学のすべての世界で、技術は自然に及ばないと考えられていた。

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5) 西欧人の自我をさらに肥大させたのがルネサンス以降の市場拡大。西欧人(の科学者たち)はますます増長し、神に取って代わった人間が自然をも支配しようとする所まで行き着く。
ガリレオの実験思想、デカルトの機械論、ニュートンの力概念による機械論の拡張、そしてベーコンの自然支配の思想を背景に、近代の科学技術思想が形成されていった。自然と宇宙に見られるさまざまな力を探しだし、その法則を突き止め、それを自然の支配のために制御し使役するという目的において、近代の科学技術は自然魔術思想の継承である。しかし、近代科学は古代哲学における学の目的であった「事物の本質の探究」を「現象の定量的法則の確立」に置き換えただけではなく、魔術における物活論と有機的世界像を要素還元主義にもとづく機械論的で数学的な世界像に置き換えることで、説明能力においてきわめて優れた自然理論を作り出した。そして同時に近代科学は、おのれの力を過信するとともに、自然にたいする畏怖の念を忘れていった。

6) 自由・平等・博愛を謳い近代市民社会の夢を実現しようとしたフランス革命は、同時に人間の能力に無限の信頼を置いたのであり、ベーコンの夢、つまり科学技術による自然支配と地球征服の夢を手の届く所に描いたのである。
同時に物理学では、電磁気学の形成が進められていた。1800年のヴォルタによる電池の発明は化学結合のエネルギーが、そして1831年のファラデーによる電磁誘導の発見は運動エネルギーが、ともに電気エネルギーに変換されることを明らかにした。これが現在にいたるまでの電気文明の始まりであり、そこから電球や電熱器や電動モーターや電信装置やその他すべてが生み出されていった。ここにはじめて、科学理論が先行する形での技術開発、すなわち真の意味での科学技術が始まったと言える。

7) 18世紀後半の市民革命(フランス革命・アメリカ独立戦争)以降、欧米列強による市場の拡大競争が生み出した侵略戦争がますます激化し軍備強化への期待圧力が高まった(民主主義が市場の拡大競争→戦争を加速させたとも言える)。
戦争圧力を受けて科学技術はさらに発達してゆくが、それは同時に、科学者たちが戦争という国家プロジェクトに組み込まれ、その手先と化してゆくことを意味する
その典型が、第二次世界大戦下の原爆製造計画(アメリカではマンハッタン計画)。
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抽象的で微視的な原子核理論から実際的で大規模な核工業までの長く入りくんだ道筋を踏破するその過程は、私企業を越える巨大な権力とその強固な目的意識に支えられてはじめて可能となった。
それは官軍産、つまり合衆国政府と軍そして大企業の首脳部の強力な指導性のもとに数多くの学者や技術者が動員され組織されることで実現されたものであった。

8) 金貸したちは目先の利益追求に追われて、次々と原子力や電磁波といった破滅的技術を導入し、その結果として地球を破壊してきただけであり、その後の地球をどうする?という目処を何一つ持っていないということが、福島原発事故によって明らかになった。
より根本的には、科学者たちが金貸しが主導した戦争→国家プロジェクトに従事していったのも、彼らが自我・私権主体であったからであり、己の私益or特権身分の維持しか頭になかったからに他ならない。
これは市場社会の拡大による肥大した自我を原動力として、近代科学が発展してきたことの当然の成り行きであり、現在の科学者も何も変わっていない。

9) さらに、1970年の豊かさの実現が止めを刺す。
それ以降、私権圧力(活力)は衰弱し始め、大衆の豊かさ期待も消滅した結果、追求(思考)の動因を喪失した科学者たちは思考停止し、無能化に拍車がかかってゆく。
このように、近代の科学者たちは金貸しの手先となってその地球破壊に手を貸してきた。
そして(極僅かの例外を除いて)ほとんどの科学者は思考停止して無能化していった。
その果てが福島原発危機である。

 
近代科学が市場社会の拡大による自我の肥大を原動力として発達してきたこと、およびその末路に至る過程は以上の通りだ。
 
 
一般に「科学者」というと、各時代ごとの最先端の欠乏を掴み、困難な壁を乗り越えるべく画期的な発想や技術の応用を元に突破口を切り拓いて行く、先駆者としてのイメージを持つ。しかし、市場原理下における科学技術の進展をこのように振り返ってみると、自然外圧の克服という課題を超え、自我を肥大させ、かつ思考停止してきた存在に過ぎず、本来期待されている役割を全く担っていない実態が浮かび上がる。
 
とは言え、ここで科学者を批判したところで何の意味も無い。科学者自身も、いいように金貸しの手先として扱われてきた歴史事実を認め、追求の矛先を変える事が期待されている。
 
もっと言えば、現在我々を取り巻く古びた観念群や認識群の中には、「近代史の過ちを正す答えは無い」という事を認めなければならない。例えば、科学者が変われば世の中が変わるとか、政治家が変われば世の中が良くなる、といった甘い考えでは、現実は変わらない。
 
すでに私達の周りには多数の原発が建設され、世界の先進国には核爆弾が配備され、より日常的な所に視点を移せば、お金がなければ生きていけない世界が現実であり、この現実の構造をどう組み替えてゆくかを考え、実践して行く以外の道は無いのだから。
 
■現実世界の突破口はどこに?
とは言え、従来の方法論や古い認識が通用しないとしても、諦める必要は全く無い。
そもそも、お上が作ってきた観念や制度が役に立たない、信用できない、という感覚は果たしてそんなに新しいものだろうか?
実は、多くの人が昔から「関係ない」と捨象してきた歴史もまた、根深いものがある。
まずは、下記リンク先を参照されたし。
日本人の「お上」意識と支配階級の属国意識~中間整理
なぜ、属国意識を解明していく必要が在るのか?~次代は庶民の変化にかかっている
 
そして、この構造を別の角度から見てみると、
現在の社会は統合されているのか?

国家は未だ私権序列体制という旧体制・旧制度に依拠し、市場拡大を無理矢理にでも推進する事によって、自らの既得権益=私権を維持せんとしがみついたままであるが、果たしてそのような意識や仕組みが、私達の日常に影響を与える程の強制圧力として降りかかっているとは到底感じられない。
むしろ、私権等という厄介なものから開放され、周りの人々との共認充足を得る事に収束しているが故に、日々の充足や安定を維持せんと、この社会の秩序を保つ事で自立的に統合していると見ることも出来る。

つまり、この国家を取り巻く外側で、あたかも国家を支配した気になっている統合階級は、既に皮膚の垢となり、今にも朽ち果てようとしている段階であり、その内側から既に新たな仕組み=共認原理によって統合された新たな社会が生まれようとしている。

 
という事が見えてきます。これからの社会は、まさに「自分たちで作っていく時代が開かれたのだ」と考えてみるとどうだろう。その可能性の萌芽は、すでにあちこちで芽生え始めている。
「自分たちでなんとかするしかない」という自給期待の顕在化が、それにあたる。
 
本能回帰・共認回帰⇒脱市場・脱洗脳の先に登場した意識潮流【自給期待】
自給期待と日本の近未来11~本源社会前夜の時代に突入 『追求力』が制覇力となった~
 
つまり、お上へのぶら下がりを止めて、自分たちでなんとかして行こう、と考えさえすれば、必然的に壁を突破するための「追求力」が不可欠となってくる。そして、その追求に取り組んでいく過程において、仲間の必要性も同時に高まり、共同体の再生も進んで行く。
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こうした新たな秩序形成の流れそのものが、新しい社会を作り始めていく過程そのものであると捉えることが出来るのです。
■その他、推奨記事
市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる皆殺し的な騙し。
おまけ:原発事故に関する最新情報
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■最後に
追求はまだまだ始まったばかり。むしろ、追求し続けた者が生き残る時代の到来とも言えます。この先も、追求仲間とのネットワークを拡げて行く事が、様々な問題の突破口となる事は間違いありません。共同体のネットワーク=追求仲間のネットワークを形成すべく、今後も発信を続けていきたいと思います。
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