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2017年08月22日

江戸時代の寺子屋に見る未来の教育の姿

寺子屋といえば先生1人に対して10くらいの少人数で教えていたという印象があったのですが、実は先生1人で50人から100人の生徒を7時間近くも面倒をみていたようです。

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ですから生徒達は、先生から教えてもらうのではなく、無学年制であったため生徒同士で教えあい学びあっていたというのが実態のようです。そして、その結果が識字率世界一という成果ですから教えない教育の成果度の高さが分かります。

先生が足りない!という現場の声を聞きますが、それは教えているからであって、子供たちが教えあう教育を導入すれば、子供の学力も上がり、先生の負担もずいぶん減らせるのではないかと思います。

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現代は、時代の変わり目です。かつての貴族階級が武士階級に取って代わられたような、あるいは、武士階級が市民階級に取って代わられたような、大きな時代的変化があったときと同じ状況にあります。なぜなら、社会の基礎となるシステムがあちこちで行き詰まりを見せているからです。今は、旧社会から新社会への大きな変化が起きる前夜だと言ってもよいでしょう。

旧社会は、これから来るさまざまな荒波の中で、次々に崩れていくでしょう。その崩壊の前兆が、今起きているさまざまな混乱だとも言えます。経済破綻、暴動や戦争、パンデミック、自然災害など、人類が直面しているいくつもの困難と入れ替わるように、新社会への芽が今あちこちで生まれています。

では、このような新旧の入れ替わりの社会の中で、私たちはどのような行動を取っていけばよいのでしょうか。 それは、旧社会での弱肉強食の競争に勝つ一方で、新社会の競争ではなく創造の、互いに与え合う社会の準備をすることです。

しかし、新社会に向けての取り組みは、現代の社会ではまだ形にはなりにくいものです。だから、当面は、今の社会の必要性に対応した取り組みをしていく必要があります。

それを、教育の場で行うものが寺子屋教育です。

寺子屋教育というと、多くの人は、少人数の手間暇をかけた親身な教育のように考えていると思います。確かに、そういう一面もあったでしょう。しかし、寺子屋教育の本質は、どちらかと言えば、それとは正反対のものです。

先生1人に生徒多数で、先生はのんびり自分の好きな本を読んでいるような状態の中で、子供がのびのびと自学自習を進めていくような教育が、寺子屋教育の姿でした。その中で、生徒と先生が生涯のつながりを持つような関係が成立していたのです。

寺子屋では、朝7時から午後2時ごろまで毎日6、7時間、小1から小6までの無学年制で、教室によっては50人から100人の生徒が1人又は少数の先生のもとで勉強をしていました。 しかも、この寺子屋は、一般庶民の子に開放された大衆的な教育で、この教育が当時の日本人の識字率70~80パーセントという世界でも類を見ない成果を生み出していました。 そして、この寺子屋の中で、子供たちはのびのびと笑顔で学んだり遊んだりいたずらをしたりして過ごしていたのです。その明るい教室の様子は、当時の浮世絵に数多く表されています。

これと対極的なのが、その当時のヨーロッパの教育で、お金持ちの子弟だけを集め、教師がムチを持って教えこむ厳しい教育でした。これも、当時の絵画の中に子供たちの教育の様子として描写されています。

Lancasterian

現代の世界の教育は、日本の寺子屋教育ではなく、このヨーロッパの教育の延長にあります。

 

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