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2017年12月21日

三陸ブランドを世界に ~阿部長商店の挑戦~

2011(平成23)年3月11日、東北地方で未曾有の災害、東日本大震災が起きました。その震災で工場や設備のほとんどが再起不能と言われるほど壊滅的に罹災しながらも、800人の従業員全ての雇用を守り、大きな反響を巻き起こした企業があります。宮城県気仙沼市になる阿部長商店です。今回は坂本光司&法政大学大学院坂本光司研究室著『日本の「いい会社」』(ミネルヴァ書房)から一部引用及び要約して紹介します。

・阿部長商店は、1968(昭和43)年に魚の行商業として創業し、水産物加工・販売の「水産業」と、ホテル経営などの「観光業」を二大柱にして成長を続けてきました。地域では最大級の企業にまで発展し、三陸最大の港町・気仙沼を代表する企業になりました。

・震災前の気仙沼市の製造出荷額などに占める食料製造業(主に水産加工品)の割合を見ると、82.7%という高い数字を示しています。水産業の従業員数も70.7%とまさに地域の人たちにとっての「働く場」でした。(2010年宮城県工業統計表より)

・東日本大震災は、気仙沼の人たちにとっての働く場も、根こそぎ奪っていったのです。
(『日本の「いい会社」』より)

震災当時、阿部社長は海外の水産企業を視察する為、中国上海にいたそうです。遠く離れて状況を把握できない阿部社長は、中国でのニュース映像を確認。そこには街を飲み込んだ津波と、市街地が辺り一面火の海の様子が流れていたのです。

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阿部社長は「日本に帰っても何も残っていない。家族もいない従業員もいない会社もない地域も崩壊した。もう終わった。」と覚悟しました。

翌日、夜の飛行機で日本に戻った阿部社長は何の情報も得られないまま気仙沼に向かいました。沿岸部はほとんどの建物がなくなっていました。
ところが、高台の方に向かうと、会社が経営しているホテルが見えてきたのです。ホテルには避難した従業員たちがいて、阿部社長の家族も無事でした。
皆の元気な姿に阿部社長は涙が込み上げて来て「自分は一人ではなかった、皆がつながっていれば会社を再建できるかもしれない」と思ったといいます。(『日本の「いい会社」』より)

阿部社長の前向きな志向性もあるが、一度は全てを失った喪失感、絶望感を経たことも、わずかな可能性にも収束できた要因でしょう。

実際、震災後に初の役員会では「役員以外は全員解雇し、1回スリムになって耐えよう」という意見が大勢を占めました。しかし社長は全従業員を守ること、そして従業員の福利厚生や社会保険料、雇用保険などの負担金は勿論、給料まで会社が保障することを決断したのです。

この写真はコチラからお借りしました

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そこから再起を目指して全員で動き出します。それまで独自路線を歩んできた水産事業と観光事業でしたが、2つの柱をつなぎ合わせることで、新たな「会社の強み」が生まれることに気付き、それによって従業員も一つにまとまりました。自社ホテルのプロのシェフたちや食品加工のプロの専門知識を総動員して、レトルトの「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」を商品化し、ヒット。業務用の商品主体から今は消費者に向けて100種類ぐらいの商品を作り出すようになったのです。

「 なぜ破壊的な被害を受けたこの地で働くのか? 」

震災後、阿部社長はこういう質問を何度か受けるそうです。

「 魚屋は 山へは行けない 」そう笑いながら阿部社長は続けます。
「ここには海の幸があり、自然の景観があって仕事をさせてもらっています。創業55年。親父がこの仕事を始めた頃、チリ地震による津波に被災して全て流されました。その後、親父は裸一貫で行商をやりながら会社を作りました。それは魚に恵まれた良い時代だったからかもしれませんが、魚だけではなく景観の素晴らしさが観光事業の大きな柱になり、ホテル業の『今』があります。海が危険だからといって、山には行けません。例えこの場が危険であっても、この場所で三陸の良さを伝えたい。また起こるかもしれない津波が怖いからといって、他の仕事をする選択は私にはありません。震災後もこの仕事を変えようと思ったことは一度もありません。だから『何でここ?』という質問が理解できないのです。それ以外の選択ってありますか?『これ以外の仕事があるの?』と逆に聞きたいくらいです。ここで50年以上やってきた。そしてたまたま津波にあった。被害もあった。だけど三陸の恩恵はなくなりません。それを最大限に生かさなければ地域復興になりません。」(『日本の「いい会社」』より)

阿部社長の目には、苦労も喜びも一緒に分かち合える仲間と、先祖の代から地域を育んできた自然環境が映っています。そしてそれは現在だけでなく、過去、そして未来の姿も捉えようとしています。その根っこには、震災を受けて尚、取り巻く環境に感謝することのできる充足回路があり、それが従業員の結束軸を作り出し、前進させるエンジンになっています。現代は、市場で生きる企業でさえ、この「充足」を軸にした結束力が生命線になっているのです。

 

 

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