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2017年12月26日

今求められるリーダー像とは? ~三国志から学ぶ①~

もう今年も終わりですね♪ 今年は米国に新たなリーダーが生まれ、その影響力から世界が大きく動きました。中国も、北朝鮮も、ロシアも、そして日本でもリーダーの存在が国家の行く末を大きく左右する存在であることを改めて実感される年でした。そこで今回は、これからのリーダーの像について、三国志から探っていこうと思います。

三国志とは184年~280年頃の中国で魏・呉・蜀の三国が争覇した三国時代を表した歴史書です。まずは三国志後半の主人公でもある諸葛孔明を取り上げます。

諸葛孔明は、映画「レッドクリフ」でも取り上げられた『赤壁の戦い』で魅せたように、戦略・知略を駆使して、国を勝利に導く切れ者です。この歴史的類を見ない天才策略家は一方で「指示待ち人間製造機」だったのでは?と投げかける本がありました。その本「自分の頭で考えて動く部下の育て方」(篠原信著:文響社)から一部引用・要約しながら、現代において求められる『リーダー像』を探ってみます。

この写真はコチラからお借りしました

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■諸葛孔明が「 指示待ち人間製造機  」だったと思われるエピソード1

劉備玄徳らと一緒に蜀を攻めていた諸葛孔明は、なかなか思うように勝利を収められずいるとき「蜀にはこんなにも優秀な人材がいるとは」と驚きます。ところがその後実際に蜀を攻略し、それから支配していくと「蜀には人材がいない」と諸葛孔明が嘆くのです。人材が綺羅星のごとくいたはずの蜀から、人材がいなくなってしまったのは一体なぜでしょう?

その原因は吉川英治著『三国志』に描かれているエピソードにあります。

敵将である魏の司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)の下に諸葛孔明から使者が送られます。そのとき司馬懿仲達が使者に「諸葛孔明殿の働きぶりはどうじゃ?」と尋ねると、使者は「朝早くに起きて夜遅くまで執務されておられます。どんな細かい仕事でも部下任せにせず、ご自身で処理されます」と答えた。

もし本当に部下に任せればよいような仕事も全部自分でやってしまうようであれば、部下は自分で考えることを止めてしまう。諸葛孔明の指示を待ち、それに従いさえすれば良い、という「他人事」の姿勢になってしまう。これが蜀から人材がいなくなった理由でしょう。

■諸葛孔明が、「指示待ち人間製造機」だったと思われるエピソード2

泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」ということわざを聞いたことがありますか?意味は「全体の規律を守るためには、たとえ愛する者であっても私情を捨て、涙をのんで処分すること。」ですが、これは諸葛孔明のエピソードから生まれた言葉です。

馬謖とは諸葛孔明が後継者として最も期待する部下でした。魏との戦いで有る場所を攻略させるに当たり、諸葛孔明はこの馬謖を任命します。そのとき「陣地を山上に築いてはならない」と馬謖に口酸っぱく指示しました。しかし馬謖はこの指示とは逆に、山上に陣地を築く。結果、敵軍に包囲され、水源地を敵に奪われ降参するしかなくなったのです。諸葛孔明は他部下の手前、指示に従わずに大敗の原因を作った馬謖を泣きながら処刑するしかなかったという話です。

しかしよくよく考えてみれば皆さんも気付くとおり、馬謖が優秀なら「山上の陣地は危ない」ことぐらい自分で気付けたはず。なのに諸葛孔明はまるで彼の才能を信じていないかのごとく、あるいは絶対に成功させたいという親心からか?出陣前から細かく指示。

馬謖が諸葛孔明の指示に逆らったのは、おそらく天邪鬼な気持ちが働いたからでしょう。
「普段は私の才能を買ってくれているはずなのに、なんでこんな初歩的なことまで指示されなくてはいけないのだろう?いっそ戦略を逆にしても勝てることを見せてやれ」とムキになった可能性がある。

自分の才能に自信があり、自発的に物事を考える人間ほど、事細かに指示されることを嫌う。自分の才能を発揮する場がほしいのに、指示を出されてしまっては、功績は指示した人間のものになってしまうからだ。「ほら俺の言った通りだろう」と。

馬謖は「孔明の手の中」に収まることに反発を覚えるほと、自発性の高い人材だったのだろう。諸葛孔明は部下の手前、馬謖を斬ったが、その姿を見た部下はおそらく、今後は「諸葛孔明の指示に従う」ことのみに注力し自ら考えることを放棄したと思われる。
部下の中でいかに馬謖が優秀であったとしても、諸葛孔明から見れば自分より劣って見えて仕方ない。だから部下任せにせず、全部自分で判断し「最良の決断」に仕上げずにいられなかったのだろう。そのために決断すべき課題は全て自分が抱え込みことになり、部下は諸葛孔明の指示を待つだけの存在になってしまった。

優秀なトップほど、ついつい「答えを出す」ので、部下を指示待ち人間に仕立ててしまう。蜀から人材がいなくなったのではない。諸葛孔明が蜀の人材の能力を消してしまったのです。 人の上に立つものは率先垂範せよ、とよく言われる。「先頭に立って模範を示すこと」の意味だが、「模範を示す」とは「答えを示す」ことではない。そこを勘違いしがちになる。
目の前の戦に勝つ為には、諸葛孔明のように、目まぐるしく変化する状況に応じて、的確な「答え」が必要です。しかし集団を永続的に発展させるためには、もう一つの車輪として答えを出せる「」の育成が不可欠でなのです。

 

 

 

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