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2018年07月19日

『学び合い』の本質は人材育成にある。集団の維持と未来をつくる共同体に必要不可欠なもの。

新しい教育スタイルとして注目されている「学び合い」学習法。集団の維持と未来をつくる共同体にとっては、必要不可欠なものなのかもしれませんicon_rolleyes.gif

●学び合いのおさらい
新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)の西川純氏が提唱・研究する『学び合い』という学習法が教育界から大変注目されています。
それでは、これまでの義務教育を含めた講義型一斉授業と何が違うのでしょうか?m034.gif

●統合者の消耗品としての人材育成
るいネットでも明らかになっているように、現在日本の学校教育スタイルは軍隊をモデルとしています。学校は、厳格な規則と罰則により生徒を縛りつけ序列原理や指揮系統に従順で素直な画一的な人材を育成するための機関となっています。生徒に義務を課し、耐えることを当たり前のように強いることを受け入れさせているのです。

明治以降、戦時中から戦後を経ても、日本の教育スタイルは一貫として変わりませんでした。貧困の消滅と共に生産体である企業の序列原理が崩壊した現在でも、やみくもに暗記脳による子供の思考停止と活力衰弱のみを引き起こし続けているのです。

現在の学校教育が軍隊をモデルにした統合原理であり教育法であることは先に述べたとおりですが、軍隊組織と同様に生徒を消耗品として扱い、従順な兵士=優秀な歯車の大量生産が目的となっています。一部の不良品や故障品は廃棄・交換すればよいという、人を人とも思わぬスタンスが義務教育の根底に垣間見えるのも頷けます。

極論すれば、いわゆる国家や組織統合者の交換・補充可能な「消耗品として都合の良い人材」を大量生産するための教育こそが講義型一斉授業なのです。

★翻って、子どもたちの活力を上昇させ追求力を高めるといわれる『学び合い』とはどんなスタイルなのでしょうかm030.gif

●共同体を維持するために循環し続ける人材育成
共同体にとって、一番重要なことは、未来永劫、組織を維持繁栄させつづけることにあります。そのためには人材育成は不可欠の課題となります。
講義型の授業と学び合いで根本的に異なるのは、人材育成の立脚点にあります。『学び合い』は、国や組織の統合者といった序列統合から生み出されたものではありません。むしろ、『学び合い』自体は、日本に於いては決して新しい人材育成の在り方ではないと見るべきなのです。

考えてみれば、明治以前では日本中の村落共同体や江戸時代の地域共同体、寺子屋等で行われていた日本の教育のスタイルは、学び合いと本質的には同様・同質なものです。

『学び合い』学習法の立脚点は集団(=共同体)の存続適応にあると言えそうです。

共同体の成員は、現代のつくられた人工集団と異なり、ほぼ全員が一生をその集団で終えます。だからこそ共同体に於いては人材が全てであり、赤子から老人、男女、例え病人や障害者であっても全てが集団の宝となります。すなわち集団を構成する成員全ての能力を活かした役割=評価=充足を生み出し、集団能力を高め、共同体を何百年・何千年と存続適応させ続ける為の追求=無限循環育成こそが根幹にあるのですm051.gif

したがって、その方法論は全ての場に於いて肯定性と充足感に貫かれています。能力や評価の上昇は、現代のように個人に帰結するものではなく、集団の充足という地平に貫かれていました。したがって、現代の学校クラスがストレス発散の為、カーストをつくり底辺人材を否定視=イジメを行うのとは真逆に、一番できない子が肯定視=充足対象となり、みんなの可能性となり、本人を含めた集団充足・集団活力を生み出すことになるのです。

共同体の神童とは現在でいういわゆる天才児ではなく、逆に知的障害などを持つような童を指していましたicon_eek.gif。(例えば頭は弱いが感覚が鋭敏で、誰も感じないないような微細な自然や気象の変化・集団の危機をキャッチする。その異能を集団から認められ、センサーとして集団防衛上の重要な役割を与えられていました)どんな差異のある仲間にも可能性を見出し、集団適応の戦力とする追求力こそが本源集団の力だったのですm003.gif

『学び合い』学習とは、潜在的可能性として充足性・全肯定性=一体化充足を軸とする、個体差のある個々人の能力を各々最大限に引き出す、共同体本源集団本来の人材育成システムの一部を、現代に継承しようとするものであろうと云えそうです。

●西川純氏のメモ
氏は、「なんで『学び合い』を思いついたのか?との問いに以下のように答えていますリンク

第一に、私の教師としての原体験は学力的に最底辺の定時制高校だからです。学校教育からドロップアウトした子ども達を教えました。その子達が定時制でドロップアウトしたらどうなるかを嫌というほど見ています。今でも、その子達を夢の中で思い出して泣きながら起きることがあります。私は額面通り、生き死にの問題だと思っています。だから、大体の子どもが分かるでは満足できないからです。

第二に、上越教育大学の教員だったことです。何も知らない学生相手だったら難しげな理論で煙にまけます。ところが上越教育大学は現職派遣院生が多数います。彼らを誤魔化すことは出来ません。一方、現職派遣院生と一緒に研究をすすめられるので、中長期の臨床的な研究をすすめられたからです。

そして、第三に方法論に特徴があります。一般的な実証的な教育研究の場合、実験群と統制群を設け、両者の比較によって論を組み立てます。しかし、私はそれが嫌だったのです。何故なら、実験者は実験群の方が「よいだろうな~」と思って実験を組み立てます。そうなると、統制群の子どもに申し訳ないのです。だから、統制群を設けず、実験群のみとしました。つまり、ある子ども達に一定の指導を行った後、その子達がどのように変化するかを追ったのです。そして、初期、中期、終期の子ども達の言動を分析することによって分析する手法を用いています。

そして、私は『学び合い』です。つまり、「子ども達は有能である」と考えています。だから、細々した条件は付けません。達成すべき課題を与えます。その中で、子ども達がトライアンドエラーの中で創り上げる方法を分析するのです。それによって最適解を導くという手法をとっています

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