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2019年01月31日

「お互い様」の意識

「お互い様だから」という言葉を最近耳にしなくなったように感じる人は多いだろう。
特に地方出身で都市に出てきた人はより強く感じるかもしれない。

地方で過ごした子ども時代を思い返すと、遊びたければ近所のお兄ちゃんに遊んでもらったり、
逆に近所の年下の子どもと遊んであげたりもした。
「お互い様だから」と、親同士はおかずをわけあったり、家の修理を手伝いあったり。
そういう風景が“普通に”あった。
子どもに焦点をあてれば、遊びでも何でも追求したければ近所の誰かを誘って“自然と”みんなで追求したものだ。

今は(特に都市では)、「お互い様」よりも親からの「“他人”に迷惑をかけるな」が強制圧力となって、
追求したくてもできない。そんな状況。

実は縄文時代からこの「お互い様」という精神は日本人の中にあった。
以下 リンク  より引用
>縄文人には「個」の概念はなかった?

仕事内容によっては男女が区別されていたものはあるだろうが、明確に分担されていたとは思えない。

「縄文時代には個という概念がなかったのではないか」という研究者の話を聞いた。なかなか痺れる考え方だ。共同体として生きている彼らにとって、「自分が!自分が!」という強い自己顕示は、生きていくうえで邪魔だったというのだ。

つまり、「わたくし」という個人よりも、共同体に主体があり、その共同体の中の1人、という感覚で生きていたという。

私たちにとって「個がない」というのは感覚的にピンとこない。私は私であり、この現実を生きていくためには自己をある程度主張しなければならない場面もある。中には大多数に埋没してしまうことに恐怖を覚える人もいるだろう。しかし、縄文時代は個に重きを置かない社会だった可能性があるという。

もう少し言うと、他者も自分も分け隔てのない世界ということになる。あなたも私も同じ存在だということだ。

獲物が取れれば、仕留めた人が総取りするのではなく、すべての人に肉が行き渡るようにする。自分だけが生き延びられればいいという考え方は存在しにくい環境だったのではないかと私は思う。だって、厳しい自然環境に立ち向かうのに、ちっぽけで非力な人間が、ひとりで何ができるというのか。

彼らも人間だからいろいろと思うこともあったはずだ。腹いっぱい思う存分肉が食いたいと思うことも、そりゃあ、あるだろう。だからといって、独り占めしてしまえば、ほかに飢える人が出る。だったらそいつが自分で仕留めればいいじゃないか、と思うが、人には運がいい時も悪い時もある。今日はたまたま最後の一撃を放ったのが自分だったけれど、次は違うかもしれない。その時、その人が独り占めしてしまったら今度は自分が飢えることになる。お互いさまなのだ
=引用終わり=

しかし現代はどうか?共同体は解体され、家族という小さな集団のみに収束している。
家族以外はみな『他人』になっているのだ。
外国人が日本にきて驚くことの一つが「電車で妊婦や老人に席を譲らないこと」らしい。
象徴的な話として、次のような話がある。

以下 リンク より引用
>台湾でよく使われる言葉に、「同理心」という単語がある。日本語に翻訳する場合は「共感」という言葉に近いが、相手の立場や理屈に立って物事を考えるというニュアンスがより多く含まれ、一語で表すことは難しい。言葉は、その社会や文化を表す。つまり日本は「同理心」を生かす機会が少ない社会といえる。実際に多くの台湾人が、来日してショックを受けた事柄として「日本人が席を譲らないこと」を上位に挙げている。

「公共交通車内における協力行動と規範に関する国際比較」(※1)という論文によれば、席を譲る行動について「行いたい」「行うべき」という日本人の規範意識は他国(英国、フランス、ドイツ、スウェーデン、・韓国)に比べて同程度かむしろ高いにも関わらず、「実際の行動に移しているか」という行動頻度については、他のどの国よりも圧倒的に低い平均値を示している。

>例えば台湾の「同理心」に対し、日本で最近よく見聞きする言葉に「自己責任」がある。これは、2004年のイラク邦人人質事件で日本社会に定着し、最近ではシリアで人質になり解放されたジャーナリスト・安田純平さんを非難する際に使われ、多くの論争を巻き起こした。本来は「契約などにおける免責事項(英語ではOwn risk)」を表す概念だったが、現在は強者が弱者を助けることを拒否し、そうした状況を嘲笑するニュアンスで使われることもある。こうした多義的な日本の「自己責任」という言葉を台湾の言葉に翻訳する場合、やはり一言で表すのは難しい。今の日本社会で、妊娠や高齢ということは「自己責任」の範囲にあり、人に迷惑をかけないようにひたすら我慢すべきという意識が働いているのかもしれない。日本人は幼いころから徹底的に「他人に迷惑・面倒をかけない」ことを美徳として身に付けるが、それが今では逆に「迷惑や面倒をかけられることを許さない」といった負の気持ちを増幅させる原因になっているようだ。

>一方の台湾では、自分と他人との関係は、凸凹の面が組み合っているような状態だ。相手に迷惑をかけることがあるかもしれないが、逆に相手が困っているような状況なら、その面倒は引き受ける。多くの接点があるために、その摩擦からトラブルが発生することも避けられないが、孤立することもない。
=引用終わり=

社会人=社会をつくる一員として、子供たちが自由に追求できる世を目指して、「お互い様」が当たり前の社会をつくっていきたいと強く思う。

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