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2019年02月06日

砲丸投げで五輪を制覇した辻谷工業①~魔法の砲丸は小さな町工場の職人によって作られた~

日本は、砲丸投げで1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、そして2004年アテネ五輪の三大会連続で金・銀・銅を独占しました。
といっても競技者ではなく「砲丸」そのもののことです。その砲丸は埼玉県富士見市の典型的な家内工業である「辻谷工業」で作られ、オリンピックの記録を産み出していたのです。

写真はコチラからお借りしました

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「 鉄の玉なんて、単に型に流して作るだけで、大袈裟な 」と思われた人も多いはず。そう最初は私もそうでした。しかし単純に見えて、単純に見えるからこそ難しいポイントがあるのです。
今回は「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」(阪本光司著:ダイヤモンド社)から一部引用して紹介します。

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作ったのは当時の社長である辻谷政久氏。元々旋盤工である父親の工場で働いていましたが、「毎年コストダウンを迫られる下請けでは将来性がない」と一念発起して1983年に独立 → 自社製品作りにこだわって事業を展開していきました。最初に手掛けたのはアウトドア用のテント、次がゴルフのアイアン、そして陸上競技用ハードルでした。いずれも先駆けとして生産し3,4年は順調でしたが、大手企業が参入するとあっさり撤退し、1968年に手掛けたのが砲丸でした。

当時、日本の競技用砲丸の規格は、一般男子用が7260g、一般女子用は4000gが基準で、それより“軽くなければ良い”という大雑把なものでした。なので砲丸作りはある意味、片手間仕事で十分でした。

ところが1983年に日本も国際規格を採用することになります。その規格では形態は直径125.2~125.8mm、重量は誤差がプラス5~25g以内に決められたのです。するとそれまで10社あったメーカーが一斉に手を引きました。例えば20gの誤差は、表面全体の厚さでは1/100mmにもなりません。形態と重量を同時に成立させるのは至難の業なのです。

「そんなに精密に作れないし、作っても採算が合わない」というのがメーカー側の撤退理由でした。
「人が出来ないというなら、やってやろうじゃないか」と辻谷社長の職人魂に火がつきます。しかし厳しい現実にぶち当たります。

砲丸作りは、砲丸用に丸く固めた鋳物を仕入れ、それを規格どおりに削っていく作業です。ところがどんなに正確に削ってもなぜか重さにバラつきができてしまう。最初に10個をテストで削って試作品を作り、そのデータを元に加工マニュアルを作りましたが、その通りにやっても100個のうち20~30個もの不良品が出たのです。
試しに2軒の工場に頼んで、コンピューター制御のNC旋盤で100個ずつ削ってもらうと、今度は70%が不良品でした。

一体なんで?

そこで辻谷社長は、まず世界でどんな砲丸が流通しているのかを知る為に、過去の五輪で使われていた7カ国の砲丸を取り寄せてみました。そして2つに割って調べてみると、砲丸の断面にはいわゆる「す」が入っていたのです。つまりNC旋盤で削ったものに後から穴を開け、重量を調整するために鉛を詰めるなどして重さを調整していました。海外のメーカーは「形態」と「重量」の規格をクリアする「答え ≒ 製造方法」の追求をあきらめ、目先の調整で規格をクリアする手法を選択していたのです。

その状況下で辻谷社長はどうしたでしょうか?

辻谷社長は「答え」を出すことをあきらめませんでした。
思いついたのが「まずは材料を知ること」
そこで材料を仕入れていた鋳物屋で修業させてもらうことを選択しました。ある意味モノ作りの原点に立ち返り、自らの旋盤業務の活路を見出そうとしたのです。

「答え」があるかどうか分からない。ビジネスで考えれば仮に「答え」を見出したとしても、大きな市場でもないので大当たりすることも期待できません。それでも追求し続けた理由は、辻谷社長の「職人としての意地」と、選手の努力に報いたいという期待応望欠乏、さらに「自社製品で生きる」という企業戦略が合わさったからだと思います。
それでも追求した先にしか、「答え」はない。それが現実社会の課題なのです。

※次回は鋳物屋での修行から魔法の砲丸が作り出される軌跡を紹介します。

 

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