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2019年09月25日

天才のヒラメキを理論化 ~クラウゼヴィッツ「戦争論」~

以前、フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトを取り上げました。
移民の子から皇帝までのし上がり、一時はイギリスを除くヨーロッパ全土を支配したナポレオンですが、スペインの反乱やロシア大遠征の失敗で衰退。そしてイギリス・プロセイン軍の侵攻により完全に失墜します。このときプロセイン王国(現ドイツ北部)の軍人の一人が、のちに「戦争論」を書いたカール・フォン・クラウゼヴィッツです。今回は、このクラウゼヴィッツを「戦略の教室」(鈴木博毅著:ダイヤモンド社)を参考に取り上げます。

プロセイン王国は1701年~1918年に存在した国家ですが、1806年にナポレオン軍により国土の半分を失います。しかしクラウヴィッツ含め4人の軍人たちが祖国復活を目指し、フランス軍とナポレオンの強さの秘密(→前回の記事ではその内容を紹介)を解明します。

写真はコチラからお借りしました

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ナポレオン前は、傭兵で行う戦争が主流。傭兵とは言わばアルバイト兵士。軍の大半であるアルバイト兵は、敵対しながらもお互いに戦争を長引かせ、給料をたくさんもらおうとダラダラと続けたり、あるいは給料の高い方にナビく裏切りもあったのです。そんな状況におけるナポレオンの登場を、クラウゼヴィッツは憎き敵でありながら

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「王族による戦争は、傭兵を使う半ば八百長試合だったが、ナポレオンはフランスのために命をかける兵士を育て、敵を殲滅するまで戦う戦争に変えた」

と評したのです。戦争におけるパラダイム転換を見抜いたのです。
そして対フランス作戦として、フランスが取り入れた次の7つの対策をマネします。

① 義務兵役制の採用(国民軍創設のため)
② 師団制の導入
③ 優れた参謀将校を育成する教育機関の充実
④ 平民からも優れた人物を将校に採用
⑤ 政治行政改革・教育改革
⑥ 農奴解放
⑦ 祖国愛の醸成

特筆すべきは、王政を引いた国家ではありながら、⑤⑥⑦の社会制度改革まで断行したこと。
そしてフランス軍の優れた機動力を封じるため、2つの戦略を徹底します。

①大軍による包囲布陣
戦場で的確な判断を下すナポレオンは、各国の軍隊が主戦場で合流する前に素早く行軍し、各個撃破によって多くの敵を、より少ない自軍で打ち破っています。それに対し1813年の会戦でプロイセン軍は、各個撃破されないように、北・東・南の三方面から同盟国と侵攻し、じりじりと包囲を狭めてナポレオン軍を封じ込めました。フランス軍に一点集中の攻撃をさせず、大軍の優位性をそのまま活かす戦いを仕掛けたのです。

②側面攻撃を受けたら粘らず退却
ナポレオンの得意な戦術である「側面攻撃」は、複数師団の中で一部が敵を足止めし、すぐに他師団が敵の側面か背後に回ることで、相手を挟撃する戦法。正面攻撃には強い軍隊でも側面攻撃には弱いので、粘らず退却し、兵力の温存を図ったのです。

小さな会社(≒フランス軍)は迅速に動き、専門性を高めることで一点突破を狙います。規模の大きい会社(プロイセンを含めた連合軍)は、相手が専門分野で地位を固めないうちに、同じ専門性を持つ部門を発足させ、より大規模に展開して後追いでも勝つことを目指します。つまり異なる戦略なら「スピード」がある方が優位であり、同じ戦略なら「規模」が大きい方が有利となることを活用したのです。

「天才は理論を超越するものではない。天才の行うところこそ、最も見事な法則でなくてはならないはずであり、理論の仕事は『それはどうなっているのか?それはどうしてそうなったのか?』を明らかにすることにある」(大橋武夫著「クラウゼウィッツ兵法」より)

カリスマ、天才経営者の活躍に「彼は特別な存在だから」と思考停止してしまえば勝てる訳がありません。天才のヒラメキ行動こそ、実は最も理にかなった法則(≒理論)を実践しているということ。

ナポレオンという稀代の軍事的天才を打ち破り、フランス革命により生まれた新しい組織体制の強みを見事に模倣・先鋭・拡大したプロセイン軍の軍制改革。それらは天才を「謎」のままで終わらせない探求心と、組織に対する深い洞察力が、そして構造化能力が作り出した勝利だったのです。

 

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