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2021年09月11日

認識は何のために必要か? ⇒認識の追求を必要とする地平

前記事のとおり、本ブログ【 これからは探求の時代 】はリニューアルし、探求の照準を「活力づくり」、そのために意識、社会、自然の根幹の構造から追求していきます。
今後とも本ブログをよろしくお願いいたします。
リニューアル最初の今回記事は、人類が人類である所以である「観念機能⇒認識」に焦点を当てます。
人類は観念の中身(→認識)によって進化もすれば滅亡も招きます。「認識は何のために必要か? ⇒認識の追求を必要とする地平」についてです。

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人類の意識は、単細胞から塗り重ねられた(自然圧力と種間圧力に対応する)「本能機能」と、サル時代に獲得した(同類圧力に対応する)共認機能、そして人類になって獲得した観念機能の3層が重なって生まれる。(※意識の3層構造

人類は(500万年ともいわれる歴史の中で)生存課題の全てを「本能⇒共認⇒観念」へと先端収束させる事によって意識を統合し、観念機能(→言語機能→科学認識)を発達させることで(生産様式、集団様式など)生存様式を進化させてきた。
サルと画然と区別される人類の進化は、観念機能によって生み出される「事実認識の共認」にある。
共認による認識(=概念)の固定化→蓄積と、観念(→認識)がもつ無限の組み合わせ・組み替えによる適応態の発見によって人類は進化してきた。
★この『認識の共認進化』は、生命のDNA進化に次ぐ、人類だけがもつ第二の進化機能である。

Q.認識は何のために必要か?
認識は、外部環境(外圧)に適応するために必要なものであって、現実の対象(実体)を解明するうえで不可欠な場合にのみ登場する。ゆえに、現実の実体課題が解明され、実体課題が消滅すると同時に、認識課題も消滅する。つまり、認識と実体は一体

現実(実体)から乖離した頭の中だけで存在する架空認識は、意味のないものであって、認識は、実践上の壁=未明課題を突破する実現基盤を発掘するために、壁(不整合、不十分)を統合し得る新たな論理を発見するためにある。
★認識の存在意義は、現実課題を突破するための「実現の論理」であるか否かに尽きる。

Q.では、実現の論理の地平とは?
実現の論理は、徹頭徹尾「現実直視」の中で生じる不整合・不十分さの看取から、対象との一体化を希求する同化追求のなかからしか生まれない。
その同化追求は、現在の実現体だけ見ていても、より本質的な根源構造を知らないが故に、根源事実からかけ離れた偏った認識に陥って大きな判断を誤る。だからこそ「歴史理論」が不可欠となる。

また、歴史を見る時、全時代を貫通する基本構造を取り出し、それを骨組みとして各時代を説明するような史観(例えば創造主史観や唯物史観=生産力史観)は、史的事実から大きくかけ離れてしまう。全史貫通的な単一構造史観ではなく、「歴史(=進化)段階的な積層史観」が不可欠である。
※例えば、人類の歴史における本能構造と共認構造は全く異なり、また文明史のなかでも古代の武力による序列構造と近代以降の資力による市場構造は大きく異なる。積み重ねの段階によって異なる構造を単一の構造だけで説明すると、事実史観と大きなズレを孕むことになる。
「生命原理・自然の摂理」とは、進化の段階に応じた新実現態の原理・摂理である。

全史貫通的な原理があるとしたら、それは歴史=進化の事実だけであって、その事実は事実であること以上の観念上の根拠を必要としないし、それが事実であることは、そこで展開される歴史的事実の全体が実証してくれるので、それ以上の証明も必要としない。

実現史観とは、そのような一元体系化のための原理or論理の捏造ではなく、進化=新実現態の事実に即し分節化されたものを塗り重ねた「進化積層の史観」である。
実現の論理とは、可能性収束によって進化してきた歴史事実(実現態)の順序化と分節化=構造化されたものを概念によって統合したものである。

 

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