2022年10月16日
「イノベーション」ってなんだろう?(上)
◆ビジネスの現語学 ~ビジネスの言葉を「今」に引き付けて解釈
ちまたに溢れる経済・ビジネス用語や言葉。そのほとんどが”横文字”ですが、なんとなく分かったふうで使用している人が多いのではないでしょうか。そんな「なんとなく知っている用語や言葉」を深掘りします。この記事が皆さんの仕事や活動に役立つようなら幸いです。
〇110年前の言葉
「イノベーションが企業の命運を握っている」。こんな一文をビジネス誌や新聞の経済記事で読んだことはありませんか。この「イノベーション」という言葉、何となく分かっているようで、具体的に何を指すのかはっきりしないと感じているのは筆者だけではないでしょう。
イノベーションの日本語訳は「技術革新」と思われている人が多いですが、この訳は正しいとはいえません。経営学では、イノベーションという言葉には「新結合」という訳語が当てられています。実際、1956年、わが国の経済白書で「新結合」という言葉がイノベーションの訳語として使われています。
「しかし、イノベーションが『新結合』というのは何だかイメージと合わないなあ」と感じる人もいるかと思います。そういう時は、原義に返ってみることです。
そもそもイノベーションという言葉が初めて世の中に現れたのは約110年前にさかのぼります。ヨセフ・シュンペーターという経済学者が自著の中で、資本主義を分析するさいに用いた新語です。
シュンペーターは時代に大きな価値をもたらす経済的な出来事は、5つの生産要素の組み合わせで出現すると考えました。その5つは、「製品」「生産方法」「販路」「供給源」「組織」です。これが組み合わさって、これまでにない新しい劇的な価値を生み出すことを「イノベーション」と造語したのです。イノベーションの原義は要素の組み合わせですから、日本語の「新結合」という訳語は、実は的を射た表現なのです。
〇ウォークマンとiPhone
それではなぜ、新結合が「技術革新」とは解釈されるようになったのでしょうか。それは、戦後、日本企業が技術力を柱にした商品で成長していったことと関係があります。例えばソニーのトランジスターラジオや服部精工のクオーツ時計が、その代表的な技術革新商品として挙げられます。そのような技術で画期的な製品を造り、市場を制圧していった成功があったものですから、「競争に勝つためには画期的な技術が必要であり、技術革新こそが勝ち筋である」という思考がビジネス人に浸透していったのです。
もちろん、技術革新は、企業の源泉力に違いはありません。しかし、どんなに画期的な技術であっても社会に広く受け入れられなければ、それは消えていきます。つまり、技術的に素晴らしい製品が必ずしも、シュンペーターがいうような「新しい価値」とはならないのです。
技術革新ではない、イノベーションの例を挙げてみましょう。
例えばアップル社のiPhoneです。この商品はスマートフォンという新しい価値を世界に知らしめました(スマホ自体はiPhoneよりも先に他社が発売していました)。肝心な点は、iPhone自体に使用されている技術は実はそれほど新しくもなく、画期的なものではなかったということです。初代iPhoneはこれまであった技術による部品を組み合わせたものでした。
しかし、iPhoneは、社会を一変させました(しかも全世界的に)。それまでデスクの前に座ってパソコンを立ち上げなければネットにつながらない状況を変えました。パソコンにはもちろん、ノート型パソコンのように持ち運べるものもありましたが、手のひらで事足りるスマホの利便性にはかないません。さらにスマホがなければSNSもここまで普及しなかったはずです。人が情報にアクセスする機会は増えました。
(それで、人類が利口になったとか進化したとまでは言えません。どうでもいいような情報に触れる機会が増え、本質的なコミュニケーションが少なくなったともいえます。また、それを理解している人と、そうではなく漫然とスマホを使用している人との間では世界認識力の格差が広がったともいえます。これらの点はイノベーションとはまた別の視点で論じられますが、今回は触れません)。
iPhone=スマホの誕生以後に生まれた人たちは、それがなかった以前の働き方や生活をもう想像できないでしょう。まさに「新結合」が新しい価値を生んだ好例といえます。
(上の写真は1950年代のコンピューター。重さは2トン以上。性能は現在の格安スマホの方が上)
iPhoneに似た例を日本の商品で探すと、1979年にソニーが発売した「ウォークマン」がそれに当たります。ウォークマンは世界中の音楽を聴く環境を大きく変えました。音楽を聴く人をステレオやカセットデッキがある室内から外へと連れ出したのです。その意味では、ソニーならずとも日本の企業からiPhoneが生まれてもおかしくはなかったはずです。ですが、生まれませんでした。
さて、ある大手家電メーカーはiPhoneの詳細を見てこう言ったそうです。
「どこにも新しい技術はない。うちでも造ることができる」
うちでも造ることができる――。けども、同社は最初にiPhoneを世に送り出すことはできませんでした。同社だけではなりません。日本の企業はどこもiPhoneを生み出すことができなかったのです。
このエンジニアの言葉から分かるのは、本来の目的であるいい世商品で社会を良くするという”目的”が抜け落ち、その前段階の「課題」でしかないはずの技術革新に囚われ過ぎるてしまっている点です。概ね、戦後、改良や発明の技術で勝利した日本企業で現在低迷している企業は、このエンジニアの視点と同じではないのでしょうか。
それは確かに初期には勝利をもたらしてくれたけど、発展途上国が汎用化された技術で追い上げてくる現代では、「技術が新しい」だけでは人々の支持を得ないのです。いわば日本企業は技術力で優劣を計るタコツボに陥ったといえます。だからこそ、今、イノベーションの意味をしっかりつかみ直す必要があります。
結論。イノベーションを「技術革新」とみなすのは戦後のある時期までは正しかった。しかし、現代は、最初に訳された「新結合」と考えた方がいい――といえます。そして、新結合=イノベーションはテクノロジーが必ずしも必要とされるものでもないのですから、専門家ではない私たちでも起こそうとすれば、起こせるのです。
では、新結合のイノベーションを実現させるためには、どのような思考や行動が必要でしょうか。次回はそこに焦点を当てて述べていきたいと思います。
- posted by nisino at : 9:00 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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