2022年10月27日
「イノベーション」ってなんだろう?(下)
イノベーションから「オープンイノベーションへ」
ちまたに溢れる経済・ビジネス用語や言葉。そのほとんどが”横文字”ですが、なんとなく分かったふうで使用している人が多いのではないでしょうか。そんな「なんとなく知っている用語や言葉」を深掘りします。この記事が皆さんの仕事や活動に役立つようなら幸いです。
- イノベーションは本来「オープン」
前回、「イノベーション」の歴史をざっと見てみました。その中で、日本ではイノベーションの意味について、技術革新と思われているがそうではなく、「新結合」という訳語の方が元の意味に合っていると述べました。
実はこの技術革新という思い込みが、現代日本のイノベーションを逆に妨げてしまっているのです。イノベーションを本来の意味の「新結合」と捉えるなら、あらゆる可能性に向けて探索し、最良の結合先を見つけて、そして今までになったモノやサービスを誕生させることができます。ところが「イノベーションは革命的な新しい技術でないといかん!」となると、その技術の独自性ばかりが深掘りされるだけで、その技術を使ったモノやサービスが広く受け入れられるものかどうかは二の次になります。
「広く受け入れられるものかどうか」と表現しましたが、それは〈相手発〉のシグナル、つまり「今▢□で困っているから、それを解決してくれる■■が欲しいんだ!」という相手の欠乏です。その欠乏を感じ取れずに〈自我発〉の技術を追い求めてしまうと、イノベーションではなくなっちゃうわけです(技術的には画期的なものでしたら、それは発明(=インベンション)です。発明が必ずしも成功を収めるわけではないことは皆さんも理解いただけると思います)。
このイノベーションの誤解は2000年代以降、日本でも問題となり、残念ながらまだ多くの企業がこの誤解をしています。ハードウェアからソフトウェアへの転換と、ネットワーク的な共創社会が求められている現在、企業は本来の「新結合」のイノベーションに立ち戻るべきでしょう。
ではどうすれば、新たな結びつきを生むイノベーションを実現できるのでしょうか。その切り札となる考えは「オープンイノベーション」です。「なんだ『イノベーション』に『オープン』って付けただけかよ」と思う人もいるかもしれませんが、この「オープン」があるとないとでは大違いです。
- 「オープン」を生む活力
日本の企業は自社で全てを完結できる力や規模があったが故に、外に向かう機会が多くありませんでした。しかもバブル崩壊で痛手を負ったためより内向きになりました。「失敗はしないように。リスクのある投資は避ける」。そういう傾向が強くなりました。そんな流れの中、2000年代以降は製造業でも品質のデータ改ざんと隠蔽が行われていたことが次々と発覚しました。
改ざんと隠蔽はその社が内向きになっている証拠です。改ざんと隠蔽、それは法的に問題があることは間違いありません。だが、それだけではなく、内向きである組織はおおむね活力も低いのです。日本の企業が2000年代以降、イノベーションが薄れていったのもこの活力の低さが原因の一つであったことは間違いないでしょう。
生命は生き残るために外に向かって広く可能性を探索し、その中から課題解決に最も適したものへと収束していきます。企業という組織体も一つの生き物とみなすと、同じだと言えるのではないでしょうか。イノベーションとは、生き残りをかけた可能性の探索と収束なのです。可能性は広く探さなければなりません。オープンであるほど可能性は広がるわけですから、イノベーションとはそもそもオープンなものなのです。
オープンイノベーションが最近になって注目されているのも、イノベーションに本来込められているオープン性を明示するためだといえるでしょう。
オープンイノベーションは組織の活力を醸成します。オープンイノベーションは成果を生み出しますから、組織の活力を上げるのは自明の理です。一方で、活力がなければ元来、オープンに向かわないのも事実です。
ですので、オープンイノベーションを考える上で課題は、日本企業から活力が失われたのはなぜかという原因を解明し、その解決策を追求する必要があります。恐らく、この追求は、さまざまな切り口からされるはずです。その追求はまた今後やりたいと思います。
イノベーションを起こそうと思うなら、オープンでなければならない。オープンとは簡単に言えば、可能性の広い探索(拡散性)とその最適解への収束です。そして、現代においてイノベーションとは、そもそもオープンが条件である、ということです。
今回はここらへんでお開きとさせていただきます。
- posted by nisino at : 17:07 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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