2011年09月13日
共同体社会の実現に向けて【2】 近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機(下)
画像はこちらからお借りしました⇒リンク リンク リンク リンク
前回の記事、近代思想が招いた市場社会崩壊の危機(上)では、今直面する未曾有の地球危機と経済危機が単に今はじまった危機ではなく、原発の問題も市場経済の問題も、数十年にわたる社会の機能不全の帰結であることを確認しました 😮
そして、このような危機を招いた原因は、近代思想そのものであり、近代思想ではこの危機を乗り越える答えが出せないこと、従って、この近代思想を飯の種にしている、学者、官僚、マスコミなどの統合階級には、絶対に新しい答えが出せないことが明らかにされました
ではどうしたら良いのでしょうか。
共同体の時代、それは「自分たちの生きる場を自分たちの手で構築していく時代」です。
統合階級に頼るのではなく、『大衆が社会を動かすには、新しい言葉が必要』になります。
今回は、共同体社会を導く新理論が、どのようにして大衆の手でつくられるのか学んで行きます。
興味を持たれた方は応援も宜しくお願いします。:D
【新理論を生み出すのは、普通の生産者】
では、誰が近代思想に代わる新理論を構築するのか?
彼ら専門家が、専門家であるがゆえに転換できず、答えを出せない以上、近代思想に代わる新理論は、素人である庶民の手で生み出すしかない。
考えてみれば、いつの時代でも、現実の生活の変化=潜在思念の変化が先行し、後からそれが言葉化(観念化)されてきた。
もちろん、普通の人々にも、追求し理論化したい課題は多々ある。しかし仕事に追われて、理論追求できる時間はせいぜい1~2時間しかとれない。先頭に立って闘っている経営者なら、なおさらそうだろう。
しかし、たとえ机に向かう時間が取れなくても、日々現実課題に直面して闘っている人々の潜在思念は、間違いなく最先端の可能性を捉えている。
日々ひたむきに現実課題に向き合っているからこそ、新しい可能性=答えを導き出すことが出来るんですね。そんな闘っている人たちの事例を紹介いたします 😀
奇跡のりんご
腐らない。そんな「奇跡のりんご」を作ることに成功した、青森・弘前の農家の木村秋則氏(57)。農薬に頼らないリンゴ作りを日本で初めて本格的に成功させた。業界では「不可能を可能にした男」と呼ばれる。
画像はこちらからお借りしました。
『わら一本の革命』①科学技術の完全否定と誰でもやれる自然農法
米や野菜作りにおいていかに人の手を省き、自然の力にゆだねるかを追究。
自然の摂理に徹底的に同化して発想を変えていくことで突破口が見えてくること・・・・
それらを確信し実践を重ねてきた先人。
画像はこちらからお借りしました。
『凡才の集団は孤高の天才に勝る』~素人の創造力
本当の創造は、素人が担ってきた(言葉を作ったのも、火を使ったのも、弓矢や舟を作ったのも、栽培や飼育を始めたのも、銅や鉄を精錬したのも、また壁画を描いたり、工芸品を作ってきたのも素人である)。真に偉大な思想(統合観念)を創ったのも素人であって、専門の神官や学者が、真に新しい価値を作り出した例は極めて少ない。画像はこちらからお借りしました。
その点、学者や評論家やジャーナリスト等、物を考えるだけでも飯を食っていける人々は、それだけで普通の人とは異なる特権階級である。
しかも、現実そのものと直対することから逃げた只の傍観者なので、最先端の可能性を捉えることが出来ない。それどころか人々の現実から大きくズレているので、人々を出口のない袋小路に導くような観念しか生み出してこなかった。
要するに、普通の人々と存在基盤が異なるので、彼らには大衆の願いを叶えることは出来ない。本来なら、認識のプロになった時点で、はじめからその資格はないと自覚しておくべきだろう。
とりわけ、近代の思想家たちに至っては、ほぼ全員が観念病という名の病人である。そんな観念病者の言説に踊らされて、抽象的な「社会」に向かって批判と要求を繰り返しているのが素人の社会派であるが、これでは、社会を変えられるわけがない。
特権階級の発信は、どれも大衆の期待から大きくずれているにも関わらず、そのズレに全く気付きません。
豊かな時代に未だ経済成長政策ばかりの政治家、こんな状況下でも未だ原発を推進する学者、批判ばかりで何もしないジャーナリスト…彼らは決して現実に答えを出すことはできないのです。 画像はこちらからお借りしました。
参考投稿:子供にも見抜かれている統合階級の無能さと犯罪性
『大人なのに子供の言葉が伝わらないのは、子供の時ちゃんと勉強していなかったからだと思います』
小学三年生の言葉ですが、この言葉を聞いて参加していた政府担当者は一体どのような言葉を返すのでしょうか?
近代思想は都合の悪い現実を捨象した架空観念です。
故に、現実に使える理論は決して生み出されることはありません。
参考投稿:我思う、故に我あり
観念を現実から180度「転倒」させ、思惟=現実を捨象した自己の頭の中に立脚点をおいたこと。これは構造的にはかつての神の位置に個人を措定し直したに過ぎない事を意味する。
画像はこちらからお借りしました。
新理論を生み出すことが出来るのは、旧観念でメシを食っている知識人ではなく、現業を通じて日々現実に向き合っている生産者であり、素人である。生産者なら、現実を直視しているので、その最先端の可能性を潜在思念で掴むことができる。それに素人なら、旧観念をメシの種にしているわけではないので、旧観念に縛られる必要もない。
もちろん、日々現業に追われながら、新理論を構築するのは、極めて困難なことだが、幸い、新理論を追求し続けている生産者は、少ないながら実在する。ある意味では、経営者の何%かは、新理論を模索している創造者だと云えるかもしれない。共同体・類グループも、40年に亙って、近代思想に代わる新理論の構築に取り組み続けてきた。
参考投稿:
実現論の形成過程
実現論は、時事問題や経営上の実践的問題から出発し徹底して原因を分析し人類の原基構造を解明するということを繰り返し、多くの人の手で、史観的な形に整えられ、人類の原基構造の解明に至っています。
日常の実践から新たな企業理論を追求する「中同協」多くの中小企業が集まり、日々直面する課題を乗り越えてきた実践を蓄積し、経済、企業理念、人材育成、働き手の意識分析などを行い、理論構築を進める企業群です。
物を考えるだけで飯を食っている認識のプロに新理論は生み出せません
共同体の時代は「自分たちの生きる場を、自からの手で築いてゆく時代」と言うのは、単なる願望ではなく、自らの手で築いていく以外に方法がない時代であるとも言えます。
そして大衆の潜在思念は、間違いなく最先端の可能性を捉えていて、これを明確な言葉=観念として固定していく事から、新理論構築は始まったのです。
【新理論の統合軸は、事実の共認】
与えられた問題は、この危機を突き抜け、新しい時代を実現するための答え=実現基盤を発掘することである。そのためには市場時代を突き抜けて、全文明史を総括し直す必要がある。
しかし、文明史を通じて、国家が滅亡することはあっても人類が滅亡の危機に陥ったことは一度もない。とすれば、今回の危機を突破し、人類の進むべき方向を見定めるには、原始時代やサル社会にまで(必要なら生物史にまで)遡って、全人類史を見直す必要がある。
言わば、歴史の実現構造の解明、それが素人である庶民に与えられた課題である。
それは、膨大な情報を必要とする課題であるが、有難いことに多くの史実が断片的には蓄積されているので、それを皆で手分けして発掘し、組み立て直せば、構造は解明してゆける。
そこで、断片的な現象事実を組み立てる統合原理となるのは、『事実の共認』である。
類グループは、現実課題を対象とする長年の会議経験の中から、共同体の統合原理が事実の共認にあることを体得してきた。事実は一つであり、かつ誰もが認めることができるからである。
だから、共同体では、たとえ仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理が整合していれば、それを事実として認める。もちろん、これまで認めてきた「事実」に反する現象が出てくれば、直ちにその現象事実を組み込んで、論理=構造事実を組み替える。このようにして、事実の体系は無限に進化してゆく。
「事実の共認→事実の体系」は、近代思想とは全く異なるものです。例えば、近代思想の言う「個人」や「権利」は人類史的にも生物史的にも何ら実態根拠のない「架空観念」です(頭の中=観念世界にしか存在しない)。しかもそれが絶対化しているがゆえに、近代思想はこの200年、認識内容が全く進化していません。さらに議会や政党が典型ですが、己に都合の良い主義主張を是とする民主主義は、「事実を事実として認める」というごく当たり前のことすら出来なくさせています。逆に言えば、近代思想から自由な素人こそが、事実を事実として認め、その体系を組み替え、塗り重ねていけるのでしょう。
『実現論』は、そのようにして構築された、生産者の手による最初の試論である。近代思想に代わる新理論としては、世界初の試論かもしれない。
これは、単なる物書きの空論ではない。40年に亙って、現実に共同体を経営してきた生産者が生み出した新しい認識群である。それだけに、とことん現実を突破しようとするベクトルに貫かれており、それゆえ、役に立たない旧観念は全的に排除されるので、近代思想を信奉してきた人たちには抵抗が大きいかもしれない。しかしそれ以外の普通の人々には、決して難しくはない。
今まであまり聞いたことのない新しい認識群ではあるが、素直に同化して読めば、この閉塞した時代を突き破る多くの有効な認識を得ることができるはずである。
※実現論
上記の内容を整理図解化すると以下のようになります
画像の確認
新理論の構築と聞くと、素人には不可能な難しいことであり、学者や官僚、物書きに任せるしかないと思い込んで来ましたが、そうではありません 😮
新理論の構築は、謙虚に歴史に学び、素直に現実の人々の意識を受け入れ、固定観念にとらわれない柔軟さがある素人にこそ出来る事なのです
一緒に新理論を学び、自分たちの生きる場を、自からの手で築いてゆきましょう 😛
- posted by kazue.m at : 12:25 | コメント (2件) | トラックバック (0)
コメント
大変勉強になりました。ブログとは思えない情報量・情報収集の質で、大変感心しました。
コメント☆ありがとうございます☆*:・°
続編もありますので、お楽しみになさってください^^
これからも、よろしくお願いします☆
コメントする