2007年03月17日
類グループの紹介:3~君はどこまで時代を読めるか~
先日、みっちーさんも書かれてましたが、
どの会社も フレッシュマン が入ってくる季節ですね~。
うちの会社にも、今週から新人さんが入ってきました
私の部署には残念ながら新人さんの配属はなかったんですが 、会社の顔、受付に配属になったRちゃん に「受付なんだね。がんばってね」と声をかけたら、「はい!今できるのはがんばること だけですから!!」と笑顔で答えてくれました 😀
あ~、初々しいなぁ~ かわいいなぁ~
自分の入社当時はどうだったかしら 🙄 ?と、遠い目になってしまったのり です。
さて今日は、新人入社を機に、しばらくご無沙汰していた類グループの紹介です。
1回目~共同体だから実現できた、群を抜く生産性と多様な異業種の包摂~
2回目~合議制のカギは事実の共認にある~
の続きです。
企業の行方を決めるうえでも、時代・次代を読む力はいつの時代も重要ですが、社会全体が収束先を見失ってしまった現在、この力はますます欠かせないものです。類グループでは、トップ陣だけではなく、社員全員がその重要性を認識しています。ぜひぜひ最後までおつきあいを。
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君は、どこまで次代を読めるか。
時代認識の重要性は、とりわけ就職を前にした学生諸君が実感しているところだろう。過去、大半の若者が上べの状況認識しか持たずに、その時の花形産業に向かった。戦前の繊維、石炭、戦後の鉄鋼、重機・造船、商社・銀行、そして現在は情報・マスコミ。これらその時々の花形産業の内、定年まで花形であり続けた産業は、一つもない。その大半は、働き盛りの40歳台で斜陽化していった。時代認識の重要性は、この一事を見ても分かるだろう。
いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、出口を示せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革や百年一日のごとき旧観念で切開できるようなレベルを遥かに超えた、根底的な変革を必要としているからである。
環境を破壊してきた大量の人工物質は、同時に人類の肉体をも破壊する。例えば、ガンの急増は、体内に摂取された人工物質による突然変異が原因である疑いが強い。更に、ホルモン様の人工物質によって引き起こされる精子絶滅の危険性に至っては、文字通り人類絶滅の危機である。
だが、肉体破壊よりももっと致命的なのは、精神破壊である。市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が不可侵の聖域となったことによって、家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。サラリーマン家庭が孕む教育不能という深刻な問題は、少し前までは、まだ農家育ちの祖父母や親がいたお陰で、顕在化してこなかった。(農家は、現在の家庭の様な単なる消費の場ではなく、それ自体が農を営む生産体である。)しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった’70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。
これら環境破壊・肉体破壊・精神破壊は、その何れもが人類にとって致命的な問題であり、かつその何れもがもはや猶予ならない局面を迎えている。いったい、何故こんなことに成ってしまったのか。この問題を解決する為には、まず徹底した原因分析が必要である。だが、人類滅亡の危機を真正面から捉え、真剣にその原因を分析し、突破口を提示しようとしている人は殆どいない。
そうしている間に、別のもっと切迫した危機=市場崩壊の刻限が迫っている。’70年、貧困の消滅によって、人々はこれ以上の物的充足を得る為に、あくせく働こうとはしなくなり、物的欠乏が飽和限界に達したことによって、市場は拡大を停止するしかなくなった。にも拘らず、この社会を差配する統合者(政・官・財および学者・マスコミ)たちは、なりふり構わず市場の拡大を続行し、不足する需要を補うべく大量の国債を発行して、800兆を超える財政赤字(自治体を含む)を累積させてきた。
その結果、増刷された紙幣がダブつき、経済は必然的にバブル化する。既に世界中の経済は、アメリカやヨーロッパだけではなく、ロシア、中国までもがバブル化してしまっている。(例えば、アメリカの株価は、’65~’84年平均に対して、物価調整値で見ても、4倍以上にバブル化した。)今や市場は、バブルによって見せかけの数字上だけの成長を維持するしかない袋小路に嵌まり込んでしまったのである。
だが、日本が真っ先に経験した様に、バブルは必ず崩壊する。一国バブルの日本の株価は、5倍で崩壊した。アメリカのバブルも、既に4倍に達し、これも早晩崩壊過程に入るだろう。株価の世界同時大暴落から大恐慌への道は、もはや(市場拡大を止めない限り)避けられない所まで来ている。そして、このままでは、大恐慌に襲われた各国政府が、従来以上の天文学的な額の国債を発行することは、目に見えている。その結果、遂に国債の大暴落が始まるだろう。その時、市場は完全に崩壊する。
人類の適応不全⇒みんな収束して答え探索
だが、これは単に市場社会200年の終焉なのではない。市場の背後には、性市場(恋愛=性の私的選択の場)があり、性市場の奥には、性闘争(メスの獲得を巡る、オス同士の闘い)の本能がある。そしてこの性闘争→私権闘争(地位やお金を巡る闘い)の活力こそが、市場拡大の原動力と成ってきた。ところが、’70年以降、それらの活力が衰弱し始め、とりわけ’90年以降、あらゆる活力が衰弱して、社会は急速に衰弱と混迷の度を深めつつある。
これは少なくとも、私権闘争を活力源にし、その強制圧力(私権を獲得しなければ生きてゆけないという、否も応もない絶対的強制圧力)によって統合されてきた私権時代3000年の終焉である。
だが私権時代を通じて、国が滅亡することはあっても、人類が滅亡の危機に陥ったことは一度もない。とすれば、この滅亡の危機は、人類が私権時代3000年をも超えた、もっと根底的なパラダイムの転換期を迎えた事を示唆している。つまり人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られているのである。
今や人類は、適応不全に陥ったとも言える。事実、これは、個人や集団や国家を遥かに超えた、種としての『みんな不全』『みんな課題』である。既に潜在思念では、誰もがそのことを感じ取っている。だから、潜在思念は、答えを求めて「みんな、どうなん?」と、羅針盤となる『みんな』に収束してきた。
ところで、この『みんな不全』⇒『みんな収束』の大潮流の中では、「自分」という視点など吹き飛んでしまう。既に若者の間では、人との繋がりや反応が一番の活力源になっており、そこでは「自分、自分」と言っていても始まらない。つまり、自我や私権を原動力とする時代(=個人を立脚点とする個人主義の時代)は、終ったのだ。
現在すでに、この『みんな不全』⇒『みんな収束』の大潮流は、巨大なマグマとなって、噴出口を求めている。事実、環境破壊、精神破壊、財政破綻など至る所で見られるガタガタ現象の進行を前に、人々の危機感→閉塞感は年を追うごとに高まり続け、その臨界点を迎えた’02年頃遂に、「どうにかしなければ」という待ったなしの焦燥感までが顕在化した。
しかし同時に、この様な人々の焦りは、答えの出ないこれらの根本問題を捨象させ、体制への批判や否定をも封印し、目先の可能性に飛びつく目先収束の意識潮流(目先の勢いや勝ち馬への期待収束ex.’05年小泉劇場やヒルズ族)を生み出している。この人々の意識潮流を土台に、アメリカ→官邸・電通→マスコミの共認支配も急速に強まっている。(ex.イラク戦争強行のための偏向報道や、反米評論家のテレビからの排除)
しかし、同時にそれらが茶番にすぎなかったことも、次々に明らかになりつつある。目先のゴマカシ改革や一時のフィーバーでは全く答えにならない。答えはもっと深い所にある。今求められるのは、旧観念に代わる答え=新概念に他ならない。
現代は、私利・私欲を求めて争ってきた私権時代3000年の歴史を覆す大転換期(それどころか、貧困の消滅=生存圧力の消滅とは、生物史を覆すような大転換期)である。従って、私権時代という狭い枠組みの中で得られた知識や理論では、とうてい突破口は見つけられない。この全面閉塞=人類の適応不全を突破するには、私権時代を突き抜け、原始時代の社会の構造、更にはサル社会の構造、(必要なら生物史)にまで遡って、意識と社会の原基構造を解明する必要がある。それは、みんなの実感に基づく「何でだろう?」の原因をとことん追求してゆけば、必然的に到達する地平でもある。
つまり、みんなで共認形成をしてゆく為に必要なのは、哲学や心理学や社会学といった旧観念ではなく、文化人類学やサル学や生物史といった事実認識群であり、みんなでそれらの知識を持ち寄れば、意識構造や社会構造の新理論体系を構築するのは、決して難しい作業ではない。既に、その叩き台となる新しい概念装置『実現論』も、できている。
新しい認識は、当然みんなの協働によって紡ぎ出される。そして、この『みんな収束⇒答え探索』に応える認識競争こそ、次代の最大の活力源となる。その活力を顕在化させるには、誰もが集まり、語り合うことのできる『場』があればいい。それが、『なんでや露店』であり、『共認形成サイト』である。
旧観念を捨てて、現実の社会に出よう。
市場では、人々は消費者であると同時に、生産者でもある。ところが、情報や意識が交流する劇場や出版やテレビなどの演場空間では、発信者はそれでメシを喰っているプロ=発信階級によって占められ、普通の人々は、彼らの撒き散らす情報をひたすら受信するだけの受信階級でしかない。つまり、社会を形成する上で最も重要な共認形成の場が、一握りの発信階級によって占拠され、人々の「共認」内容が支配されてきた。これは、明らかに新たな身分支配である(しかも、口では「民主」「平等」を唱えている分、むしろ悪質である)。
それは、学生諸君の就職意識の中にも、見て取れる。学生諸君も、みんなの役に立つ、その手応えが感じられる仕事を強く求めており、しかもそれは、学者やマスコミ等、より社会統合に近い(社会に影響を及ぼし得る)業種への社会統合志向となって現れている。よりやりがいのある場を求めるのは、正しい。だが、その本当の意義は、みんなが求めている閉塞突破=活力再生の答えを供給する所にある。その実現の場を、与えられた既存の枠組みの中に求めていたのでは、大きく道を誤ることになるだろう。
既に述べた様に、事態は学者や官僚やマスコミなどが唱えてきた小手先の改良策で解決できるような次元を、遥かに超えている。今、求められているのは、旧観念を全否定できるだけの新しい概念であり、それは旧観念の牙城である大学やマスコミの中からは決して登場しない。それどころか、彼ら統合階級が発信する旧観念こそ、この社会を全面閉塞に陥らせた元凶である。
今や、旧体制によって与えられた発信階級という特権的身分の中に安住すること自体が、社会を閉塞させ、自らを閉塞に追い込むことになる。それに、今更、前世紀の遺物のような旧観念を学んでも、マイナスにしかならない。だから、一日でも早く、現実の社会に出なければならない。それも、普通の人々と同じ社会に。でなければ、社会に向って何も語る資格はない。
今ほど、常識にとらわれない柔軟で大胆な発想が、求められている時代はない。また今ほど、深い時代洞察が必要な時代もない。
現在、我々が直面しているのは、私権統合の終焉に伴う統合不全である。従って、結論を言えば、個人や集団や社会の統合軸を、私権統合から共認統合に転換(観念の塗り替えを起点に、制度・体制に至るまで)させれば良いだけである。
類=共同体なら、みんなの熱い想いに応えられる。共に実現してゆこう。そして、時代が発する深い可能性をいち早く感じ取った新世代に、この共同体と日本の未来を託したい。
類グループの 熱い思い 、感じ取ってもらえたでしょうか~ 😮
- posted by sakanori at : 22:49 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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