2009年03月05日
~仕事で成果を上げるには?~「無能の自覚」
なんでやサロンで、「仕事で成果を上げるにはどうする?」という話をしました。
最近は、各企業で、社員の能力向上を図る為の、能力開発、研修などを頻繁に行なうようになって来ているようですね。その突破口として論理的な思考と構成のスキルを説いた「ロジカルシンキング」という本も売れているようです。
これは、どういう事でしょうか?
そもそも、時代を振り返れば‘70年の貧困の消滅以降、物的欠乏が飽和し、生産様式が工業生産から意識生産に移行しましたが、バブル崩壊以降は、さらに企業間競争が益々熾烈になり、各企業は生きるか死ぬかの死闘を繰り広げています。
工業生産の時代は、優れた機械をそろえることの出来る資本がものを言うが、意識生産中心の時代になると、まさに人材の能力が、その会社の将来を決めると言っても過言ではありません。
だから、各企業は社員の能力開発に血道を上げる訳ですね。
今回は、この能力を上げるには、どうしたらよいのか?を考えて行きたいと思います。
今回は、まずその出発点である「無能の自覚」についてです。
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まず、無能の自覚って、どういうことでしょう
世界的経済破綻の真っ只中で、生き馬の目を抜くような企業間闘争が繰り広げられ、そんな環境下で勝っていく為には常にアンテナを敏感にして、あらゆる角度から物事の検証が必要となります。
そんなときに、例えば過去の経験へのこだわりや、自分だけの成果へのこだわりなどがあるとどうなるでしょう、周りへのアンテナが極度に鈍くなり、そして何といっても、人の話が聞けなくなる。ありのままの現実を受け入れることが出来なくなる、ということが問題なのです。
だからこそ、まず「無能の自覚」が必要となるのです。
さてここまでで、そんな事わかってるって人もいると思います。本当でしょうか?
るいネットからの投稿を一つ紹介します。
弱点の克服には『弱点の納得』が不可欠
自分の弱点を分かった気になっている人は多いと思う。
「英語が苦手」
「ケアレスミスが多い」
「人と話すのが不得手」・・・などなど。
私もこれで弱点を分かっている気になっていました。
でも、『それは”○○が不得手”で思考停止しているだけ。』と言われてハッとしました!
確かに、「なんで不得手なのか?」はまったく分かっていない状態です。
だから例え弱点を挙げられたとしても、弱点はいつまで経っても弱点のまま、克服されないんですね。
一般的に、企業のトップは人の話を良く聞きます。無能を自覚しているからこそ、周りにアンテナを張り巡らし、腰も軽く、状況の変化にも柔軟に対応できるわけです。
まとめとして、良い投稿がるいネットにありました。
「最強の仕事術」から学んだ『活力の源泉』
・まずは自分が「不全」から目をそらしてしまっていること、つまりは「無能」であることの自覚が不可欠となります。
・「無能」だからこそ人一倍アンテナを張り巡らせて、不全をキャッチしなければいけません。
・そして、周囲の優れた人たち、あるいは優れた集団の真似をして、不全を解消すべく発信・行動していきます。
こうした行動の蓄積によって、はじめて少しずつ成長していきます。
逆に、慢心して現状維持に意識が向かえば、すぐに活力を失ってしまうことは、歴史が示すとおりです。
ちなみに、
薩摩の西郷隆盛も、自分自身を、誰よりも無能で無学だと自覚しており、私心もないから、自分を真空のような状態にすることができた。
だから真空が周りのすべてを引き寄せるように西郷の周りには有能な人物や有益な情報が、どんどん集まってきた。それが明治維新を可能にした。
という事です。
- posted by tamimaru at : 13:03 | コメント (10件) | トラックバック (0)
コメント
確かに、かつて機能していた肩書きも「昔だったから」機能したということなんですね~!
友達の仕事場の話を聞くと、直属の上司は毎日つめを切っている人らしいです。それでも、チームのリーダー。形だけの肩書きは存在しているけれど、だれもそこのチームでの仕事には関わりたくない、その上司の下にはつきたくないという、暗黙の能力ヒエラルキーが存在しているようです。
いずれは、その状況を許さない、企業にとってプラスかマイナスかという、真っ当な圧力が掛かっていくことになるんですね!!
今は、「暗黙」となっている評価をみんなで共認していく場が作れるかどうかが、企業が共同体として生き抜いていけるかどうかに繋がっていくんですね~♪
「肩書き」と言われても、いまいちピンとこないです。
こんな風に「肩書き」が意識されなくなった一方で、新しい評価指標への転換がされていない・・・
でも、新しい評価指標=真っ当な認識力、そして認識力が使える場=共同体、という動きは確実に出てきてるし、これから求められていくんだろうなぁと思いました☆
うちの会社でも数年前から大変革が起こっています。
(肩書きの呼び名を変えたり、カンパニー方式を取り入れたり、リストラしたり・・)
上の人達が外圧を捉え、『なんとかしなくては~!』と奮起はして下さってるようです。
が・・・
>肩書きに代わる新たな評価指標を作り出さない限り健全な活力は生起しないはずなのです。
まさにその通りですね。
みんなの活力はあまり変らないような・・むしろ▼のような・・・
このブログをうちの会社のトップ達に教えてあげたくなりました(´∀`)
ikuさんコメントありがとうございます☆
>今は、「暗黙」となっている評価をみんなで共認していく場が作れるかどうかが、企業が共同体として生き抜いていけるかどうかに繋がっていくんですね~♪
まさにその通りです。そして、共同体を構成する成員(=みんな)が評価し合える場ができるかどうかが鍵を握ります。今後のシリーズ「企業を共同体に変えるには?」では、評価し合える場をどのように構築しているかも記事にしていくつもりですので、楽しみにしていてくださいネ☆
taniさんコメントありがとうございます☆
若い世代ほど「肩書き」という言葉自体にピンと来ない人は多いようですね。ただ、これまでの身分制度(社長、部長、課長、平・・・)というものに活力が見出せなくなった若者が増える中で、組織統合がうまくいかないという企業が増えているのも事実です。
’08年のリーマンショックでは、マネー経済に対する信用は失墜しました。この逆境の時代にも生き残る強い組織統合の在りかたを考えていく必要があります。
>新たな評価指標とは”真っ当な「認識力」”に他ならないのですが、問題なのは世の私権企業がどうすればそこに辿り着けるのか
勉強意欲を持った⇒認識の必要性に目覚めた社会人は、どんどん増えていると思います。みんな、「このままじゃだめだ!」「もっとうまくできるはずだ!」という思いを強く持っている。”肩書き”は、もはや認識収束の出口を塞ぐ蓋=ジャマなものでしかない。
どうすれば、『自分たちの生きる場を自分たちの手で作ってゆく』ことができるか。これは、今や誰もが知りたい、実現したいテーマなんじゃないかと思います。
ミルフィーユさんコメントありがとうございます☆
>上の人達が外圧を捉え、『なんとかしなくては~!』と奮起はして下さってるようです。
が・・・
企業を良くするのは、そこで働く「人」です。そして、上下関係なく、そこで働く人全てが当事者意識をもって、外圧に立ち向かう組織統合のあり方が「共同体経営」です☆そして、その当事者意識を持った共同体の仲間でこのブログを運営しています。
参考になるところもあると想いますので、是非会社のみなさんにこのブログを紹介してください♪
???さんコメントありがとうございます☆
>勉強意欲を持った⇒認識の必要性に目覚めた社会人は、どんどん増えていると思います。
講演会やセミナーへの参加者の増加や、思考術などの本が売れていることからも、勉強意欲を持った社会人が増えていることが伺えますね。
そういう人が増えていること自体いい流れが出来てきていると想います。あとは、その人達が「これを求めていた!!」と感じられる企業統合の実現体が増えていくことですね☆
>肩書きに代わる新たな評価指標を作り出さない限り健全な活力は生起しないはずなのです。
イヤイヤやっぱり会社には肩書きが必要だ!と思われている諸先輩、頭が固いですよ^^;
名刺にどんなに立派な肩書きが書いてあっても、今の若手社員、のみならずデキル社員は肩書きより、その人物の能力を見ているのです。
そう思った方が良さそうですよ–;
肩書き・・・
私も「別にどうだっていい」派なんですが。
私の職場は、どうもそうではないらしく・・・
毎年数人~十数人の方々が昇進されるのですが、誰が何になったかなんて覚えられな~~い!
(そもそも、何百人と率いる組織で関わらない人も多いのに覚えられるわけがない!)
なのに肩書き(呼び方)を間違えると、かなりの大目玉!!
そんなに肩書きに拘りたいなら、「顔に大きく書いて歩いてきてください」と言いたくなっちゃいます。
肩書きに拘る組織って、序列が強く根付いている組織かなって思います。
ウチの組織って、やっぱり固くて古いんですね~~
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