2012年06月13日
『企業の進むべき道』8~閨閥の歴史に迫る4 閨閥の頂点「天皇財閥」
さて、『企業の進むべき道』シリーズ閨閥編として、
『企業の進むべき道』4~閨閥の歴史に迫る~
『企業の進むべき道』5~閨閥の歴史に迫る その1:政界を牛耳る歴代宰相・政治家~高級官僚閨閥~
『企業の進むべき道』6 ~閨閥の歴史に迫る その2:財界編~
『企業の進むべき道』7~閨閥の歴史に迫る その3:地方豪族のネットワーク☆~豪閥☆*:・°
と続いてきた閨閥の歴史追求も、いよいよ今回で大詰めとなります。
政・管・財、マスコミ・学者、そして地方豪族を含めた網の目の権力ネットワークを形成してきた「閨閥」の中で、ほぼ毎回のように登場してきた、皇族閥。一般的な認識に基づけば、天皇と言っても、戦前と戦後とではあまりにも位置づけが異なるのでは無いか?と捉えがちですが、「閨閥」からその位置づけを読み解いていくと、戦後の「人間宣言」等は、国民を騙すための実に見事な猿芝居に過ぎなかった事が解ります。
「閨閥」とは、権力の維持装置そのものですから、権力を束ねる為には、常に力の序列統合、つまり縦の統合軸としての最高権力者の存在が不可欠となります。これまで、様々な角度から閨閥の構造を紐解いてきましたが、政官財夫々の閨閥利用者にとって、皇室との繋がりを持つ事を単なる「名誉」と捉えるのは、実は大きな誤りです。
閨閥を各家ごとの家系図として眺めていても、結局殆どの家系がどこかしらで繋がっていきますが、その閨閥内部にも、もちろん派閥や権力闘争が存在します。つまり、閨閥全体が私権闘争の世界であり、そうである限り私権闘争を止揚・統合する為の仕組みとして、必然的に身分序列の世界が形成されるのです。だからこそ、序列トップとしての「天皇」の存在意義があり、閨閥に組み込まれる事で、天皇に認められた家臣(絶対服従者)としての地位が与えられるのです。
もし仮に天皇の存在を否定し、身分を剥奪したとしても、序列統合である限りは、それに変わる私権のトップが新たに添えられるだけに過ぎません。
以下、「統合力」のシステムとしての天皇制 より抜粋
天皇制に関する議論ですが、基本的な回答は、「共認力だけが制覇力と統合力を兼ね備えている
」の投稿で、既に明らかになっていると思います。
> 武力や経済力は序列闘争の勝ち負けを制する制覇力ではあるが、単にそれを所有しているだけでは人間社会は統合できない。つまり統合力たり得ない。社会を最終的に支えているのは常に秩序や制度を成立させる力=統合力の方だということです。これが動物と人間で大きく異なる点だと。
> 武力を例にすると、確かに、西洋の王侯貴族や日本の天皇制も含め、古代~中世において国家の頂点に君臨してきたのは、必ずしも自ら強大な武闘・軍事を誇る武人たちだった訳ではありません。頂点につく過程では武力がモノを言いますが、いざその地位と体制的に磐石に維持しようとすれば、民衆を束ねる、国家秩序を司るといった全く別の力が必要になってくる。
> だから、各時代の制覇力は結局は最も統合力を発揮する人間、あるいは組織の下に組み込まれ、「権力」はその者たちが掌握することになる。
武士階級は、天下人となろうとする段階では、いずれも天皇・朝廷の権威を借りています。
例えば、秀吉であれば天皇の代理人の肩書き=「関白」の位を、家康は貴族階級の代表者の肩書き=「源氏長者」の名を使って、秩序の成立を図ろうとしています。
天下人たちは、結局、天皇制に代わる統合力を確立することができなかったようです。
> 通常、国家的政治権力を握ろうとすれば、最も手早いのは在位の元首を抹殺することであるのは、世界の歴史を見ても明らか。実際西欧を始め、中国・韓国などのアジア地域を見ても、その歴史は武力による国家元首の地位の奪い合いであり、それは同時に在位の元首の抹殺に繋がっている。(「天皇家」の不思議)
一見、支配者は交代し続けているように見えますが、交代しているのはあくまで「制覇力」=武力の支配者だという点に注目する必要があります。
ヨーロッパでは「統合力」のシステム・支配者として、キリスト教の「教会」と「教皇」がキリスト教の誕生以来2000年近く、ローマ帝国の国教となってからは1600年近く続いています。
東アジアでは、儒教(あるいは道教・仏教)が2000年以上も「統合力」の基盤となり続けています。
もちろん歴史の過程の中で、天皇制であれ、キリスト教の教会・教皇であれ、儒教であれ、時に武力の支配者によって力の制限を受けたり、時に攻撃の対象となることがありました。
が、体制を維持するためには、結局、「統合力」のシステムに頼らざるをえなかったのです。その統合力のシステムの一つが、日本の場合は、天皇制であった、ということではないでしょうか。
この構造から見れば、日本という国家が近代市場化へと舵を切った明治以降、国家の統合力として「天皇」を再度序列統合の頂点に置き、その権力の元でさらに私権拡大を目論む勢力が結託してきた歴史こそが、「閨閥」を築いてきたのです。
しかし、驚くのはその頂点に立つ天皇の実質的な力です。単なる象徴としてではなく、日本を代表する「金貸し」としての力を有していたからこそ、現在まで君臨し続けてきたのです。
「株式会社 日本」の大株主であった、天皇財閥 1
「株式会社 日本」の大株主であった、天皇財閥 2
より
主に、「昭和天皇が戦争狂になった訳」及び、
書籍「天皇財閥―皇室による経済支配の構造 」から、主要論点を整理。
1.天皇家の財産
天皇の蓄財は、主に明治以降から急拡大して行く。つまり、日本の近代資本主義社会への転換は、実は天皇を中心とした巨大金融ネットワークの形成史そのもの。
〔天皇家財産の対比統計〕
・封建時代の末期、慶応三年全資産の現金評価金額は、わずか10万2268円
・明治以降~明治維新のときに地方の大名から取り上げた国の資産を原資とし、以降軍需産業及び日清戦争における賠償金の着服等を通じて、莫大な資産を獲得していく。
【御資財本現在高】
慶応03(1867)年 : 102,268円
明治17(1884)年度末: 4,374,935円
(日銀・正金株編入)
明治20(1887)年度末: 7,885,841円
(日本郵船株編入)
明治年22(1889)度末: 9,747,517円
昭和25(1950)年度 : 1,590,615,599円
※参考追記
2003年度皇室関連予算:27,281,054,000円
(内訳:宮内庁:184億、宮廷費:63億、皇族費:2億円)
【天皇家の保有株数(1942年)】
(会社名 : 株数)
日本銀行:211528
日本興行銀行:22725
横浜正金銀行:224912
北海道拓殖銀行:3000
日本勧業銀行:12750
第十五銀行:3055
第一銀行 :5000
三井銀行 :4500
三菱銀行 :4500
住友銀行 :3000
三菱信託 :5000
北海道炭鉱鉄道:159776
日本汽船 :161000
大阪商船 :12825
台湾銀行 :15132
朝鮮銀行 :2600
南満州鉄道:37500
東洋拓殖 :50000
台湾製糖 :39600
東京電気 :23842
東京瓦斯 :62068
帝国ホテル:14700
合 計 :993103株
1945年日本敗戦時に米軍の調査発表した数字によると、日本の国土面積の10%を所有。経済学者の試算によると天皇家の全財産の現金評価額は、当時のお金で660億円、平成の貨幣価値に置き換えると、100兆円を超える資産。上記に上げたように、日銀を中心とした大銀行及びインフラ、船舶関連、つまり戦争を起爆剤として急速に経済成長を果たした日本の各財閥は、そもそもが天皇家の支配下における政策との深い関連性を持つ。まさに、日本株式会社の大株主であり、宮内省がその天皇財閥本社機能を有するという構造。
一時(1917年ロシア革命でロシアの皇帝が倒されてから)は世界一の大富豪でもあったと言われている。
2.日本が戦争をした本当の理由(天皇財閥の経営戦略)
(満州鉄道株式会社本社)
国策企業支配を中心とした近代化政策の起点は、日本郵船株式会社。三井・三菱との合弁企業であり、天皇を大株主に添えて後に海外航路の開拓へと舵を切る。工業化の推進と共に、国内鉄道や炭鉱の開発にも宮内省の触手は伸びるが、それ以上に大きな影響力を保有していったのが、満州鉄道。この満鉄は、単なる鉄道会社ではなく、「東インド会社」をモデルとした植民地政策の中心を成す国策企業であった。
80以上に登る関係事業を展開し、当時の若手官僚(岸信介等)の活躍の場ともなった満鉄も、敗戦と共に消滅するが、実は解体時の人材がそのまま移行して出来上がったのが、マスコミ支配の中心格である「電通」である。
3.日本閨閥の本質は、天皇を中心とした金貸し支配
戦前から天皇が大株主として特に強い影響力を有していたのが、日本銀行と横浜正金銀行。日本銀行は、戦前から天皇・ロスチャイルドが株主として君臨し、紙幣発行権を駆使して、市中銀行をコントロールし、その先に大企業群を従えてきた。
横浜正金銀行は、植民地経済をコントロールする為の銀行、つまり日銀の海外出先機関としての役割。三井などの輸出企業の為の国際決済を行う為の貿易金融を一手に引き受けており、莫大な金融資産を築いた。日銀は敗戦後も継続的に中央銀行として残り続けているが、横浜正金銀行は解体。しかし、中身はそのまま東京銀行へと引き継がれ、現在の三菱東京UFJ銀行に至る。
さらに言えば、戦後「財閥解体」という大きなパフォーマンスがあったが、上記の銀行~企業を繋ぐ糸は、戦前と実質的には何も変わっていない。各財閥の頂点にいた「持ち株会社」は確かに解体はされたが、それはあくまでも一点集中の序列統合が瓦解したに過ぎず、むしろ一極集中していた株式はその後銀行と企業との持ち合い、という形に変わっていった。
つまり、銀行支配の影響力がより強化されただけであり、金主or金貸しにとってより都合の良い支配体制に組み替えられただけに過ぎない、と言えるであろう。
明治~近代資本主義へと国家運営の舵を切った中心人物は天皇であり、その天皇を中心とした金貸しネットワーク(日銀~都市銀~財閥・大企業)の経営戦略に拍車を掛けたのが、日清・日露戦争であった。この、銀行を中心とした巨大産業群の成長は軍需産業であり、コングロマリットの走り、つまり軍産複合体の原型は実は日本であった、というのが史実。
但し、日本の天皇が単独でその様な経営戦略を立案していったとは考え難い。こうなると、明治天皇の代で首がすげ替えられたという話も、リアリティーを増してくる。ただし、昭和天皇に関しては大資本家、そして大日本帝国軍の最高指揮官としての商才を遺憾なく発揮した人物であったと言われている。
4.戦後の天皇の人間宣言とは何だったのか?
さて、これらの出来事は全て戦前までの話かと言えば、そうでも無い。実は、財閥解体の時にも、天皇の財産は国政返還が行われているが、実際に返還されたのは一部の資産であり、多くの金塊等は自社の保有する船舶(日本郵船)によって、そそくさとスイスやアルゼンチンの銀行に運び込まれたとか。
ちなみに統計上は、戦後GHQによって課税された財産税33億4268万円。
天皇家に残された金融資産は1500万円であったが、戦後は、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資するなどして、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせ、昭和天皇が亡くなった時には、20億円にまで膨らんでいたとか。
そして、天皇家に経済顧問として投資アドバイスをしていたのは、元経団連会長の石坂泰三氏や元三菱銀行頭取の加藤武男氏、元日銀総裁の森永貞一氏だったそうです。
また、敗戦後にアメリカを訪れた際には、休日にロックフェラー家との食事会が開催されるなど、金融資本家との繋がりは戦前と変わらず続いています。もちろん、イギリス王朝との繋がりも歴史的な重みと共に未だしっかりと受け継がれている事も、決して無関係では無いでしょう。
ここまでに上げた「天皇財閥」の国家を軸とした経営戦略は、あくまでも「昭和天皇」の段階までの話です。しかし、権力を持たない象徴として皇室が残り続けている事の意味とは、一体何なのでしょうか?あるいは、民主主義を掲げた先進国の多くには、王室や貴族階級といった存在もまた、未だ莫大な資産と特権を保持し続けています。なんとなく王侯貴族の実態に触れることがタブー視されている、という理由だけで放置されるには、あまりにも大きな問題が横たわっているような気がします。
閉塞しきった私権時代の遺物として無関心なままでいれば良いのか?あるいは、社会の転換期に対する足枷となっている現実を直視し、金貸し支配の時代から脱却する上では、無視して通り過ぎることの出来無い存在であるようにも思います。
5.天皇が天皇で在り続けている本当の理由
戦後、「現人神」から「人間宣言」を行い、権力者から象徴へと変わった天皇であるが、未だに閨閥の頂点に君臨し、一般大衆とは異なる血筋を保ち続けている。事の本質は、結局のところ日本の市場を支配し続ける為に、最も都合の良い体制として天皇の存在が利用されてきたという側面と、一方では天皇の隠し持つ莫大な隠し資産(金塊を中心としたその資産管理はバチカンが握っているとも言われている)を巡っての水面下の闘争が未だに続いているから、という両側面からの見解が存在する。決して、日本国民の心の支えとして必要であったから、などでは無い。
こちらのリンク先(世界支配層の策略)では、世界の支配者層が度々日本を訪れるたびに、天皇の隠し資産(金塊ファンド)からの融資を申し入れに来た事が記されている。
Ex.
・2007年11月のロックフェラーの天皇訪問の理由は、天皇に金(キン)を借りに来たが、断られた。
・2008年10月27日の英国、チャールズ皇太子の来日の目的は天皇に金を貸してくれと頼みに来た。
・2009年2月16日、米国のヒラリー・クリントン国務長官来日の目的は、米国フリーメーソンやロックフェラーを助ける為に金塊ファンドを貸してくれるように天皇に頼みに来たが、天皇は断った。 etc.
これらの情報を安易に事実と決め付けるには証拠不十分であるが、皇室との対話が行われている事は公然の事実であり、だとすればそこに何らかの目的が介在している事は間違い無いであろう。いずれにしても、日本の天皇の存在意義は、国民よりも世界の富裕層や権力者層にとってこそ、意味のあるものなのだろう。
しかしながら、仮にそれらの裏交渉の内実が、たかが金塊を巡っての密約にすぎないのであれば、そんなに馬鹿馬鹿しいものは無い。金は、煮ても焼いても食えないものでしかない。庶民にとっては、実にどうでも良い出来事なのであって、金にしか興味のない方々には、早々に「支配者」というステージから降りてもらった方が、よほど社会の為、世界の為である事だけは、間違い無いと言えるであろう。
いかがでしょうか。
今回、追求してきた「閨閥」の構造ですが、このように全体を俯瞰すると、その存在自体が社会閉塞の直接的原因にしかなっていない事が、実に良く理解できると思います。
庶民の期待は、既に「私権の終焉から共認収束へ」と大きく移行しているにも関わらず、全く変わる気配を見せない統合階級の実態は、私権の相互補完関係に雁字搦めとなり、庶民の期待を看取する能力を完全に失い、ただ暴走行為を繰り返すだけの存在に成り下がってしまいました。
序4.統合階級の暴走で失われた40年
最早、彼らに任せておいても、世の中はダメになるばかりである事は明らかですが、ただ待っているだけでも、当然社会は良くはなりません。だからこそ、新たな可能性を発掘して行く必要があり、そこにこそ『企業の進むべき道』が開かれていくのだと思います。
序7.企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする
みんなの期待に応えたい企業は、今でも沢山存在します。そんな想いの経営者・社員達との密接な期待⇔応合の共認関係を構築して行く事が、その第一歩となるのではないでしょうか。
★その他、参考投稿
天皇陵のいかさま
閨閥の頂点に天皇財閥
「支配者から見た属国意識」~4.支配者が作り出した天皇主義1
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明治“天皇”の位置づけ
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ゴールドの真相に迫る16~「天皇の金塊」とは?(1)
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- posted by kawa_it at : 18:50 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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