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2014年05月02日

生物進化の歴史構造に学ぶ「仕事とは何か?」3

みなさん、こんにちは!!サル集団jpeg
「仕事とはなにか?」をテーマに扱っている【生物進化の歴史構造に学ぶ「仕事とは何か?」】シリーズですが、今回の記事は「原猿はどのようにして、本能ではどうにもならない不全感を克服したのか?」を解明していきます。

前回記事では、樹上逃避機能を獲得したが故に死なずに、かといって縄張りもなく中途半端に生き残れてしまう原猿の不全感を進化過程と共に見てきました。

原猿たちがぶつかった壁は、本能ではどうにもならない不全感ですが、いったいどうやって、その不全感を克服していったのでしょう。

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その答えは、本能を超える新しい機能を獲得したのです。

では、新しい機能を獲得するまでのプロセスを、実現論の記述内容に即して、見ていきましょう。

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彼らは恒常的に飢えの苦痛に苛まれ、いつ襲ってくるか分からない敵=首雄の攻撃に怯えながら暮らしていたが、それらの極度な不全感が生命の根源を成す適応欠乏を強く刺激し、生起させた。加えて、恒常的に強力な危機逃避回路(アドレナリンetc.の情報伝達物質)が作動する事によって(親和系のオキシトシンetc.による性封鎖力ともあいまって)性闘争が抑止され、それによって、モグラ以来性闘争物質によって封鎖されてきた追従本能が解除された。
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弱オスに同化して考えて見ると、いつ襲ってくるか分からない敵の攻撃に怯えながら暮らすというのは、考えて見ただけでも恐ろしい状態です。現代人の場合は、このような状況の際、頼りになる人を探したりできますが、当時の原猿は、自分以外の個体は(たとえ同じ弱オスだとしても)敵なので、この誰かに頼るということはできません。

ちなみに追従本能とは、魚や鳥の群れが先頭をゆくものについて行くなど、誰かの後を追いかけてゆく本能のことで、群れを成すことで外圧に適応していく集団本能の一つです。

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かくして、不全感の塊であった境界空域の弱オスたちは、適応欠乏に導かれて強く追従本能に収束する。しかし、互いに追従し合っても、誰も(縄張りの確保あるいは不全感の解消の)突破口を示すことは出来ない。そこで、わずかに可能性が開かれた(=不全感を和らげることのできる)親和本能を更に強化し、追従回路(アドレナリンetc.)に親和回路(オキシトシンetc.)が相乗収束した依存本能に収束してゆく。つまり、「縄張りを持たない敗者たちが互いに身を寄せ合う」。

不全課題を抱えて依存収束した弱オスたちは、依存し合う中から、「どうする?」⇒「どうにかならないか?」と可能性を相手に求め、互いに相手に期待収束してゆく。こうして、依存収束⇒期待収束し、互いに相手を注視し続ける内に、遂に相手も同じく依存し期待している事を発見し(探り当て)、互いに相手の課題=期待を自己の課題=期待と同一視して理解し合うに至った。

自分以外は全て敵で、かつ怯え切っていた原猿弱者にとって、「相手も同じく自分に依存し、期待しているんだ」という事を共認し合えた意味は大きく、双方に深い安心感を与え、互いの不全感をかなり和らげることが出来た。この様に、不全感を揚棄する為に、相手の課題=期待を自己のそれと重ね合わせ同一視することによって充足を得る回路こそ、(快感物質β-エンドルフィンを情報伝達物質とする)共感回路の原点である
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現代でも、何か問題やトラブルにぶつかったとき、一人で「どうしよう?」と考えているよりも、誰かに話をして課題を共有できれば、問題解決に至らなくても、何か安心できますよね。

この安心するという感覚(共感回路の原点)は、私たちの祖先でもある原猿の時代から脈々と受け継がれているものだったのですね。

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この安心感+が、相手+⇒仲間+共感を形成し、原猿たちは不全感の更なる揚棄を求めて、より強い充足感を与える(=得る)ことのできる親和行為(スキンシップなど)に収束していく。そこでは、相手の期待に応えることが、自己の期待を充足してもらうことと重ね合わされ同一視されている。つまり、相手の期待に応え充足を与えることは相手に期待し充足を得ることと表裏一体である。従って、相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる。共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。

こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。これが、サル・人類の意識の、第一の統合様式たる共感統合の原基構造である。
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同一視(相手の充足=自分の充足)によって不全感を和らげるという機能は、人類にとっては、当たり前の感覚かもしれませんが、生物の中で、猿と人類にしか獲得されていない機能なのです。

『実現論』文中にある「相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる」。これを「応合」と呼びます。

例えば、期待応合⇒親和行為の原型は猿のスキンシップ(毛づくろい)ですが、人類では日常のおしゃべりも会話のキャッチボールによる期待応合の充足であり、大事な充足源(活力源)になっています。

重要なことは、この期待応合の充足が猿・人類の最基底の充足源(活力源)となっていることです。

シリーズ冒頭で「仕事とは相手も自分も充足すること」という新人の回答の本質も、この期待応合の充足にあります。

そして、仕事であれ、日常であれ、相手の期待に応えていくためには、まずは対象への同一視(同化)が不可欠になります。

そういう意味では、人類の意識の深い部分に刻まれている同一視機能の獲得は、猿~人類史の進化の過程における重要な転換点といえそうです。

次回は、真猿時代を詳しく見ていきます。

お楽しみに。

 

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