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2015年03月25日

新聞の歴史とこれから番外編:前島密の足跡①~日本人の持つ文字文化を継承することも情報媒体の役割である

皆さんは前島密という人物をご存知でしょうか。「日本近代郵便の父」と呼ばれる人で、一円切手の肖像にもなっています。この「新聞の歴史とこれから」シリーズでは「今の配達販売につながる郵便報知新聞の登場」で取り上げた「郵便報知新聞」を作った一人でもあるのです。その郵便報知新聞は現在の読売新聞につながる、日本の新聞界の首領とも言える存在なので、まさに郵便、新聞という情報流通の父と言っても過言ではないでしょう。前島密は様々な事業を実現してきましたが、中には失敗に終わった「事業」もありました。今回は敢えてそれを取り上げてみたいと思います。 まず前島密の郵便事業開始までの略歴ですが、

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・1835年に現在の新潟県上越市に、天領の豪農上野家の子、房五郎として誕生。7歳のときに藩医である叔父の下で医学を志し、12歳でオランダ医学を学ぶ為に江戸に出ます。そこで医者の手伝いをしながら学問を続け、政治・兵法・西洋事情などの本を書き写す筆耕の仕事をして、海外事情に精通します。

・1853年18歳のときに、ペリー提督が軍艦4隻で浦賀に来航。この様子を間近で見ようと、ペリーとの接見役の井戸石見守の従者となり浦賀に随行します。その後長崎でアメリカ人宣教師ウィリアムズやフルベッキから英語や数学を学びます。

・1866年31歳のときに京都見廻組の役だった前島錠次郎の跡目相続が認められ、幕臣となり前島来助と名乗ります。そしてこの年の末に、「漢字御廃止之議」を建議しています。

・1867年、大政奉還後、静岡に移った徳川家と共に、来助は駿河藩の公用人となって旧幕臣の措置、新藩の経営などを行います。この頃、名前を前島密に改名しています。

・1868年(明治元)新政府が大阪遷都を建言したことを知り、国内政治安定の為には江戸が最も相応しいとする「江戸遷都論」を唱え、英国公使パークスの船で大阪まで行き、大久保利通に建言書を送っています。

・1869年(明治2)に明治政府から出仕を要請され、渋沢栄一を中心とする民部省の改正掛に勤務し、近代国家建設の企画立案を行います。

・1870年(明治3)に租税権正(ごんのかみ)及び駅逓権正兼務を命じられます。駅逓司とは、役人の旅行や手紙や品物を送る仕事をしているところで、この改革として郵便創業の建議を行いました。まず試験的に東京-京都間でスタート。

・1871年(明治4)に前島は渡英し、後任の杉浦譲によって郵便事業が開始され、翌年帰国した前島によって郵便がさらに全国展開します。この年に郵便報知新聞発刊。

前島密の進言がなければ、日本の首都が大阪だったかもしれない、というのは驚きですが、ここでは、「漢字御廃止之議」つまり漢字廃止論の提起を取り上げます。実は1869年(明治2)、1873年(明治6)にもより詳細に問題点を列挙して明治政府に漢字廃止を進言しています。 諸外国との比較から日本文化の遅れを痛感した前島は、その遅れの原因を漢字にあると考えたようです。

日本の教育は漢字の暗記ばかりで、庶民は知識から遠ざけられている。一方知識人は中国崇拝で愛国心を忘れているし、科学・技術をいやしむ傾向がある。こんなことだから日本は先進国から遅れをとってしまったのだ。

と捉え、文字を全てひらがなしようと言う「かなもじ論」を主張したのです。
ところが前島の本心は、実はローマ字論に近かったようです。世界で広く使用されているアルファベット文字を使うことで、国際化が進むというのがローマ字論者の主張です。(そう言えば私もパソコン入力はローマ字です。)
しかし当時はローマ字を読める庶民はほとんどいない。さらに尊王攘夷の時代にローマ字論を言い出しにくく、また一気に実行できないと考え、段階的に“ひらがな”を選択したようです。
そしてこれを実行に移します。
1872年郵便報知新聞発行の翌年に「まいにちひらがなしんぶん」を発行したのです。上記の問題意識に基づき、全て記事はかなで書かれた、庶民向けの新聞でした。 しかし当時、新聞といえば知識階級が読むもので、一般庶民が読む習慣はなく、新聞購読をしている人にとっては詠みづらいため、結局、敢え無く1年後には廃刊となったのです。冒頭の失敗した事業というのは、このかなもじ論を元にした「ひらがなしんぶん」のことです。
ひらがなしんぶん ところがこの流れは脈々と地下深く続いていました。
第二次世界大戦後、1946年3月、アメリカ教育使節団がGHQ最高司令官マッカーサーに提出した報告書によると、「国語の改革」と題して、膨大な学習時間を費やされ、日本の民主化に必要な知識習得を阻んでいる「漢字」を全廃し、ローマ字を採用すべきであると、断言しているのです。アメリカは、特に戦争で目の当たりにした日本人の「狂信性」の根源が漢字にあると考えていたようです。
そしてその前の1945年11月に郵便報知新聞の流れを汲む読売報知新聞「漢字を廃止せよ」という社説を出しました。

「漢字がいかに我が国民の知能発達を阻害しているか」
「日本の軍国主義と反動主義とはこの知能阻害作用を巧みに利用した」
「漢字には封建的な特徴が濃厚だ」

と漢字を戦犯として弾劾している。さらに民主主義と文字改革は深い関係があり、「漢字を廃止するとき、我々の脳内に存在する封建意識の掃討が促進される」として、これまたローマ字採用を主張しているのです。政府の御用新聞として、戦争に加担したことの反省もなく、次の新しいボス(アメリカ)に尻尾を振り、その戦犯を「漢字」に押し付ける恥知らずな点は今のマスコミと同じですが、実際、昭和21年に当用漢字→昭和56年常用漢字と少しずつですが、使用する漢字に制限が加わっています。
私も漢字テストに苦しんだ記憶は未だ残っていますが、漢字がもたらす効用については、るいネット漢字から学ぶ」「漢字が同化能力を伸ばす」「漢字を感じる♪」に分かりやすく書かれており、無味乾燥な記号の羅列の組み合わせよりも、それぞれに意味がある漢字の方が優れていることは、仕事で報告書や提案書を作成するときに実感します。
日本人は、漢字、ひながな、カタカナを駆使して、そもそもの意味以上にそこから滲み出るニュアンス、わずかな差異も伝える文化を持っています。それを広め継承することも、情報を伝える媒体の役割だと考えます。

 

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