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2021年06月24日

人は皮膚を通じて自然と一体化した

18世紀になり、解剖学、臨床医学が発展すると共に、ヨーロッパでは、生命を支えるのは身体内部の臓器であって、皮膚はそれらの境界にすぎない、むしろ生命を支える臓器を覆い隠すもの、と見なされるようになってきました。実際、英語表現でもskin-deepは「うわべだけ」という意味。skin gameは「いかさま、インチキ」という意味なのです。
一方、東洋医学では体調は皮膚に現れると考えられ、顔色や舌の状態を診ます。又、日本語には「あの人は職人肌だ」「肌が合わない」などの言葉は皮膚がその個人の本質につながっていることを示しています。「肌で感じる」は現実を捉える意味であり、「一肌脱ぐ」は本気で手助けすること。西洋と東洋では皮膚に対する評価が真逆と言っていい。そこで今回も前回に続き、皮膚の可能性を探索していきます。

感覚機能においては一般的に視覚優位と言われますが、意外にも人は触覚情報を大切にしています。視覚と触覚情報を人はどう捉えているか?を比較検証するという興味深い研究結果が報告されました。

検証内容は、プラスチックでTの字を逆さまにしたパターンが浮き出しているカードを使用。水平の部分の長さは3㎝。垂直方向の部分の長さが色々ある。被験者は、これを眼で見る、そして指で触る。その上で①水平の線と垂直の線のどちらが長いか?、同時に②それぞれの答えに自信があるかどうか、を7段階で答えさせる。1が自信なし。7が自信最高。
実験の結果、線の長さの正しさでは視覚の方が上だった。ところが被験者は、触って(≒触覚)判断した答えの方に自信を持っていたのです。(「サバイバルする皮膚」傳田光洋著から要約)

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人は色覚も含めて視覚情報の感知能力の精度を上げてきました。しかし情報の信頼性という点では触覚の方を信頼しているという結果になっています。目の前に興味を惹くものがあると、つい手を伸ばして触りたくなるという人の習性は、未だに人が世界を知ろうとするとき、触覚に重きを置いていることを示しています。実際、赤ちゃんはハイハイするようになると、色んなものを掴んでしゃぶる。人間の皮膚感覚で最も細かいものを識別できるのは指先と唇なので、それらを使って赤ちゃんは眼に見える世界がどのようなものか、少しずつ学んでいるのです。

自然の中に入ると、さらに皮膚感覚が研ぎ澄まされることを感じます。

写真はコチラからお借りしました

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例えば自然の森に入ると感じる樹々の葉擦れ、小川のせせらぎ、虫の声には、人の聴覚では感知できない超高周波音が含まれていて、それを全身で感じて、ストレスを軽減、心を穏やかにして、免疫系を活性化させていきます。森林から発散されるフィトンチッドも、コルチゾール(ストレスホルモン)を抑制させることが知られています。

傳田光洋氏は、音の研究者大橋力先生の協力の下で、ボルネオの密林で録音された虫の声などの音を聴いたそうです。

その効果のすごさを感じたのは、しばらくその音に満たされていた後で、音が止まった瞬間だった。突然、四方の壁、天井が自分に押し寄せてくるような激しい圧迫感に襲われた。恐怖に近い感覚だった。(「サバイバルする皮膚」傳田光洋著から要約)

これは超高周波音を通じて自然に包まれている(≒溶け込む)ような一体感から、いきなり遮断されたような断絶感だったのではないだろうか。
前回記事では、ガムランという打楽器でトランス状態になることを紹介しました。人の可聴域は15~20kHzですが、ガムランは100kHzの音成分を含みます。ガムランの音を皮膚で捉えて、トランス状態になったということは、その高周波によって表皮からドーパミンβエンドルフィンを発生させたことになります。

又サルの毛づくろいにも見られるように、人も皮膚をマッサージすることによってオキシトシン(幸せホルモン)を発出し充足状態になります。これまで脳内物質と思われてきたオキシトシンは、表皮のケラチノサイトへの刺激でも発生することが分かっています。マッサージに気持ちよくなるのは、肌(皮膚)から生み出されたオキシトシンの作用なのです。つまり、上記の自然の音を心地よく感じているのは聴覚ではなく、やはり皮膚である可能性が高い。

本来、五感で捉えている世界は本能で生きることができる世界。しかし原始時代に豊かな森林から追い出された人は、本能だけでは生き残ることができなかった。その壁を五感(≒本能)を超えた世界(可視光線以外の光や超高周波音などの波動や気圧変化等、地球全体の大きな動き)を捉えることで、危機察知だけでなく、表皮からオキシトシンを発出し、自然との一体感、安心感、充足感を感じ、そこから可能性を見出したと考えられるのです。

その可能性とは、自然との一体感の中で、眼、耳、鼻、舌のそれぞれの機能ではスルーした情報を、皮膚から脊髄を通して脳に届け、それらの情報を統合し捉えた「自然の摂理」。それを人は「精霊」として読んでいるのではないだろうか。

※参考:「サバイバルする皮膚(傳田光洋著:河出新書)」

 

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