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2022年02月25日

【言葉の成り立ち】インディアンたちの言葉や大和言葉にみる精霊信仰の世界観③

人類の観念機能(=言葉)は、自然、万物の背後に「精霊を見た」事が始まり。
現在、【言葉の成り立ち】シリーズでは、精霊信仰が息づくインディアン(米の原住民)や、日本古来の大和言葉に同化しながらその「精霊」とはどういうものなのか?について追求しています。

写真はこちらからお借りしました

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前回は、精霊信仰にみられる万物への感謝が、互いに依存して生きている現実を注視する中で得られた万物との一体感(繋がり)から生じているのではないかということが見えてきました。
今回は、その万物の一体感の本質はどこにあるのか?について迫っていきます♪

精霊信仰の言葉~一体の感覚の出所は?~

インディアン~ラモーナ・ベネット(プヤラップ族)の言葉(リンク)
私たちインディアンは世界に伝えなければならない重要なメッセージを持っています。
私たちはこの大陸の環境を守る役目があります。
時代に逆行しているように見えるかもしれませんが、人間の生きる大地がヘドロと化してしまう前に、環境を保護し、再生しなくてはならないのです。

白人は、人間は死ねば天国に行けるから地球のことなどどうでもいいと考えているようです。だからヨーロッパ大陸の環境を破壊した後アメリカ大陸に渡り、ここでまた破壊活動を繰り返しても何の罪も感じないのです。
しかしインディアンは、この世が楽園であることを知っています。
霊の世界はこの世にあるのです。
まだ生まれぬ者、すでに死んだ者、みんな私たちと日々共に存在しています。

インディアン~クレナック族の言葉(リンク)
我々の言葉で、「生きる」ことは「呼吸」と同じです。
宇宙の全ては呼吸しています。ですから、命を授かった時点から地球のサイクルに入り、宇宙の全てと呼吸を共有しているのです。
私たちの伝説の中では、命が絶たれたあと、我々は宇宙全体の命を支えている全宇宙的なパワーの一部となるのです。 一個の生が個人的体験を超えて、全宇宙的に広がっていくのです。それは一つの「希望」です。「死」に恐れを感じる必要はないのです。
人間は鳥のように静かに飛び去っていくことができる。地球を通りすぎるだけなのに、なにか記念碑を残してゆくような人は、それだけ自分に自信がないのです。
なにかを成すために人間は存在していると西欧の人は考えるが、なにも成さないためにいてもいいじゃないか。
人間は宇宙の一部であり、その宇宙そのものが素晴らしい記念碑であり、創造物なのですから。

「まだ生まれぬ者、すでに死んだ者、みんな私たちと日々共に存在している」「宇宙のすべてと呼吸を共有している」等の言葉からは、「あの世とこの世」の区別がなく、すべて同じ宇宙に存在しているという感覚が伝わってきます。
全宇宙を貫くサイクル=摂理があり、その中に身を置いているということ。この同じ摂理・法則に中に生きているという感覚が、万物との一体感の出所となっているのではないでしょうか。

★この「万物が同じ摂理の中に生きている」ということはどういう意味を持つのか?
『万物は全て同じく自然の摂理・生命原理に則っているから生きている(適応できる)』という事実(現実)は、「この宇宙を貫く生命原理や自然の摂理を追求し、それに則って生きる事ができれば、人類も万物と同様外圧に適応してゆける」という大きな展望となったのではないでしょうか。
だから、自分達も含めた万物を生かしてくれている自然の摂理=精霊への感謝も湧いてくるし、「どう適応する?」の答えの全ては精霊に委ねられる。

つまり、精霊とは生命原理や自然の摂理そのものであり、精霊信仰とは目の前の現象の奥にある(貫く)自然の摂理・生命原理を追求するという事だともいえます。

しかし、ここで新たな疑問が生じてきます。「目に見える現象の奥に、万物を貫く摂理を見出す」ためには、凄まじい追求蓄積と知能進化が必要。木から落ちたサルが自然の摂理を見出すまでの追求の原動力となったのは何なのか?どういう意識で追求してきたのか?そうして追求したとして、それを「言葉」にしたのは何故か?
次回からは、摂理を掴むに至った追求過程に同化していきたいと思います。

 

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