2022年04月15日
【言葉の成り立ち】精霊信仰の世界観~精霊を見出そうとしたのは何で?
人類の言葉(=観念機能)は、自然、万物の背後に「精霊を見た」事が始まり。
現在、【言葉の成り立ち】シリーズでは、精霊信仰が息づくインディアン(米の原住民)や、日本古来の大和言葉に同化しながらその「精霊」とはどういうものなのか?について追求してきました。
そこで見えてきたのは、精霊信仰が「互いに生かし、生かされている」という万物との一体感や感謝にあふれており、その出所が「みんな同じく、万物を貫く摂理に生きている」という感覚にあるのではないかという事でした。
しかし、木から落ちたサルが「目に見える現象の奥に、万物を貫く摂理を見出す」までには、ものごとを捉える広さや深さを数段進化させる必要がありそうです。
今回は、自然の摂理を見出すまでの間に一体何が起きたのか?その過程をイメージしてみたいと思います。
■人類は木から落ちたサル~どんなサルから進化した?
この間の実現塾の追求では、人類はオランウータンに近いサルから進化したのではないか?という事が明らかになってきました。(【実現塾】1/22「人類の祖先は?」~人類の祖先はゴリラ?チンパンジー?オランウータン?~)
ここでは、その仮説を起点として、人類への進化を考えていきたいと思います。
オランウータンと言えば、インドネシアの熱帯雨林の林床部=地上30mもの高さに暮らす大型類人猿。最大80kgに及ぶ巨体にもなりますが、熱帯雨林では非果実期が3~5年も続くので、飢えに対する耐性も獲得しています。
その一つが、前戯も含めて40分とひときわ長い性行為の充足や、7~8年にも及ぶ母子の授乳・密着に象徴される同類との一体充足だと考えられます。
また、飢えによるエネルギー欠乏は、太陽や空気など自然全体をエネルギー源とするための探索を促し、オランウータンの好奇心の強さに繋がったと思われます
(参考:オランウータンの未知収束)
おそらく、オランウータンと人類の類似性から考えて、人類の祖先となったサルも大型のテナガザルで、林床部に住めるだけのバランス感覚と運動機能が発達していたでしょう。また、オランウータンと人類の共通祖先と思われるサルの化石が寒冷期の地層から発掘されていることから見て、飢えへの耐性も獲得していたと思われます。
つまり、人類の祖先となったサルたちは、本能上の樹上適応の機能と、共認機能上の一体充足回路と万物に対する好奇心を生るきための武器としていたのではないでしょうか。
■そんなサルが、木に登れなくなるとどうなる?
私たち人類の足は、サルと違って枝を掴める形ではありません。従って、木から木へと移動する事が出来ず、まして30mの高さに住み続ける事はできません。私たちの祖先となったテナガザルは、足首から先が他の哺乳類のように先祖返りして樹上機能を失ったことから人類への歩みを始めたのです。
それでも子供の内は母乳で育ち、母親に掴まって移動することもできます。しかし、成長とともに限界を迎え、地上に降りざるを得ません。
サルにとって「樹上に住めない」という事は、本能上の最大の武器を失ったという事です。トラやワニなどの外敵から逃れることも、果実などの食料を確保することも難しくなります。しかも、エネルギー源としていた同類がいるのは樹上。もちろん地上の外敵が怖いので、めったに地上に降りてくることはないでしょう。
つまり、人類の祖先となるサルは、本能だけでなく、独りぼっちで共認機能すら生きる糧にならない状況に追い込まれてしまったのです。
しかし、今私たちが生きているということは、この状況を生き延び、子孫を遺すことができた種がいるという事です。
次回は、樹上に住めなくなってから、どのように命を繋いでいったのか?更に仮説を膨らませていきたいと思います。
- posted by moriaki at : 7:00 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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