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2012年04月09日

■日本の建設産業・都市の未来はどうなる?(前編)

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画像はこちらからお借りしました。

前回までのシリーズでは、日本の戦後産業史を振り返りました 🙂
日本の戦後産業史-1-1945~1970年:高度経済成長=市場拡大のメカニズム
日本の戦後産業史-2-1970~1990年:しかけられたバブル経済
日本の戦後産業史-3-1990年~2010年:市場の縮小から新たな潮流・新たな可能性へ

現在、企業が置かれている状況は、単なる不景気や不況といった言葉で表せるものではなく、かつてないほどの大きな転換期です。
これまでの思考や方法論では通用しない、その意味で企業経営はたいへんな岐路に立たされています 😥

今回はシリーズの続編としていくつかの業界をピックアップします
その業界が歩んできた道、現在直面している壁新たに登場している潮流などを分析し、これから企業が進むべき道はどの方向なのか?試論を展開したいと考えています。

「日本の建設産業・都市の未来はどうなる?」「環境産業の可能性はどこにあるのか?」「情報産業に期待されることは?」等々のテーマを予定しています

初回は、「日本の建設産業・都市の未来はどうなる?」です。
昨年の東北大震災以降、復興をどうするのか? まちづくりをどうするのか? 様々に議論されています。しかし考えてみれば、震災が起こる前から東北地方には「日本社会の市場化」がもたらした歪みが蓄積していました。
少子高齢化、地方の衰退(地域共同体、地場産業)、財政の行き詰まりなど、これらは日本中が抱える問題でもあります。つまり、東北の復興を考えることは「市場社会の終わりとその先」を考えることにほかならないし、それは東北に限った話ではなく、日本の未来・都市のあり方を考える必要性に迫られているのではないかと思われるのです

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■経済成長期の建設・都市開発

○建設・都市開発における、国家と市場の関係
都市開発の歴史を遡ってみると、古代以降、武力支配国家の時代は、国家(支配者)自らの権力のために都市を建設してきました。
しかし近代に入ると都市開発の目的は専ら市場拡大へと収束してゆきます。
日本では明治以降、特に戦後の都市開発は、市場拡大による国力の増強と豊かさの実現を目指して推進されてきました。
ここでの国家と市場との関係を概観すると、市場拡大期には国家は経済成長を阻害しない範囲で無秩序な開発を一定コントロールし(私権制限、規制を強化する法律など。
市場の本質は混沌≒無秩序なので制御する力が必要)、逆に市場が停滞すると国家は様々な政策を駆使して開発を活性化させる(規制緩和の法律、国債による公共事業など)役割を演じてきたことがわかります。都市計画、市街地開発、建築に関わるたくさんの法律が制定されてきた歴史を紐解くと、概ね1960年代までは経済成長と都市化によって生じた不具合を是正するものが比較的多く、1970年以降になると停滞しつつある市場の再活性化を狙うもの(不動産価値を割増しする知恵など)が、徐々に増えてきます。

○高度経済成長とともに進む都市開発、成長する建設産業
1950年代から日本は高度経済成長期に入り、東京をはじめとする大都市を中心にどんどん開発が進んでいきます。
太平洋ベルトの大工業地帯も経済成長の牽引役としてますます発展します。
こうしたなかで建設業は、建設ブームや各種プラントの建設、大規模インフラの整備などをうけて飛躍的に成長していきます。
1970年代以降は、財政政策、地方への所得移転として公共事業が盛んに行なわれたため、次第に政府投資への依存を強めていきます。

○都市―郊外―地方という都市構造
急激な経済成長は都市部への人口移動を促します。
それは市場拡大=経済成長の原動力が私権欠乏であり、利便性や快美性を煽る情報によって刺激された欲望であることからも必然です。また市場主義の「効率」を追求すれば自ずと大都市圏への集中も進みます。
そして大都市圏の周辺に郊外が形成され、同時に都市部と地方との経済格差が生まれ、日本の戦後社会に特徴的な、都市―郊外―地方(農漁村)という都市構造がつくられました。
本源的には地方のほうが豊かとも言えるはずなのに、市場主義の価値観(モノサシ)で見れば、地方はあくまで周縁、辺境≒豊かでないということになります。そこで格差是正を名目に、国債を原資とした全国的な市場活性化が目指され、多くの公共投資が行われます。しかしそれはかえって地方の共同体の自立性を衰弱させることにもなりました。経済成長期に形成された都市構造は、今では大きな機能不全を抱えているのです。
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■建設産業・都市開発の衰退

○建設市場の頭打ちは1970年から
日本の建設投資(額)は1990年バブル景気をピークに縮小しますが、市場規模に着目すると、市場の縮小、建設業の衰退は1970年から始まっていることがわかります。1970年以前の高度経済成長の時代は、人口の増加、都市化の進展、生産力の拡大があり、住宅も学校も公共建築も工場も全てが足りない状態で、ともかく必要な量を整備する時代でした。それが1970年代以降になると拡大は停止し、建設投資の伸びも急激に鈍化します。

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○市場の延命策も尽きつつある
建設市場が自力で拡大できなくなった状況を受けて、様々な政策が模索されます。
その第一弾が、1972年の「日本列島改造論」。地方も都会と同じように豊かさを享受することを目指し、交通網や公共施設を全国的に整備する政策でした。この原資として当て込まれたのが、国の借金=赤字国債です。しかし1973年のオイルショックもあり建設投資の落ち込みは留まりませんでした。

次に演出されたのが、バブル景気とリゾートブーム。背景としての金余り現象、さらにはアメリカの市場開放圧力、内需拡大圧力がありました。
日米構造協議ではアメリカから日本のGNPの10%を公共投資にあてろ(しかも日本経済の生産性を上げるためではなく全く無駄なことに使え)と要求され、日本の政権はそれを実行しました。
参考
しかしバブルのピークである1990年でも着工床面積は2億8342万㎡、1973年をわずか0.6%上回るにとどまり、市場の活性化策としては長続きしませんでした。
バブルがはじけると、建設業は強気の不動産投資がたたり、大量の不良債権を抱え倒産する会社が続出します。さらにアメリカの圧力もあって全マスコミが先兵となって、日本の建設業界とそれを守ろうとする保守政権への攻撃がはじまります。

最後に2000年代前半に政治主導の箱物行政に変わって建設市場をリードしたのが「新自由主義と金融工学」でした。リートなどの不動産証券化の手法が導入され、バブル崩壊で安値感のある日本の不動産市場に海外から資金が流れ込み、都心部はミニバブルの様相を呈しました。しかしこのミニバブルも長く続かず、2008年の不動産証券暴落からはじまる経済危機(リーマンショック)によって完全に出口をふさがれた苦境に陥ります。民主党政権による公共事業の大幅削減、民間企業の海外移転などの流れも続きます。

このように、建設・都市開発市場の活性化の方策も尽きつつあり、縮小する市場の中で現在の建設業は過当競争とダンピング受注、営業利益の縮小、後継者不足などにあえいでいるのです 😥
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■日本の建設産業・都市が直面している問題

○市場の縮小、需要がない
「建築着工床面積」のデータでは現在は1970年頃の水準に、「建設投資額(政府・民間)」でもバブル経済前の水準に戻りつつあります。豊かさを実現した1970年以降、国債の大量投入、物欲を煽る過剰な情報刺激、不動産の金融商品化など、あらゆる手立てで市場拡大と延命を図ってきましたが、それも限界にきています。
建設・都市開発の需要はピーク時の約半分まで縮小している一方で、業者数は15%程度の減少、就業者数は25%程度の減少ですので、建設業界は少ない仕事を取り合う過当競争にさらされています。建設各社の売上確保、利益確保の圧力も相当なものです。
建設業の現状と今後の課題について

こうした中で、いかに生き残るか? 
経営の効率化は必要です。しかしリストラや下請け叩きもよく耳にしますが、そうした自分第一(自社さえ良ければいい)の利益主義では展望がありません。
では海外進出はどうか? 可能性はあるのか? 
経済成長が見込める海外への進出、海外からの(安い)労働力輸入などが業界ではよく話題にのぼりますし、国も建設・不動産業の海外進出を後押ししているようです。
ここは経営者の哲学と判断が求められるところでしょう。
確かに「目先は」売上・利益を上げることもできるでしょうが、それがいつまで続けられるのか? 世界経済の緊迫した動きを見ても、短絡的に判断すべきではないでしょう。あるいはもっと根本的に、海外の市場で売上・利益確保に邁進することは一体何のためなのか? 果たしてそれは皆が充足できる道なのか? 真に社会貢献の仕事と言えるのか? 考える必要があると思います。

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○世界経済危機、巨額の財政赤字、市場活性化の手立てがない
世界の先進国を見てみると、1980年代後半以降のアメリカ、1990年代以降のヨーロッパは、製造業にかわって金融・保険業+不動産業がリーディングセクターとなっています。
1990年代から欧米の住宅・不動産バブルが急激に膨れあがり、2008年の住宅ローン証券暴落からはじまる世界経済の大混乱へと続いています。米国、欧州の住宅ローン証券で発生した不良債権は約1000兆円と推計され、今は国が借金して中央銀行が紙幣を刷りまくることで誤魔化していますが、実際は損失を埋める金がどこにもなく、世界経済はいつ失速してもおかしくない(恐慌になってもおかしくない)状況です。
日本に目を向けても、市場拡大を前提とした手法、バブル頼み・国債頼みの手法はもはや通用しません。
高度成長期の開発、2000年代の都心開発もそうでしたが、都市を開発することで参加者(地権者、投資者、業者)が「儲かる」ことが大きな動因でした。その「儲かる」の前提が「市場は拡大する=経済は成長する」ことでした(人口が増える、不動産価値が上がるetc)。
しかし現在は、開発したからといって儲からないわけですから、これまでの前提とは異なる、市場縮小期における都市のあり方を考える局面なのだろうと思います。

○戦後に築き上げられてきた都市構造は、これからの時代に対応できない
戦後の高度成長期から現在までの歴史の中で、日本の都市-郊外-地方という構造がつくられてきたわけですが、今後どうなるのか? どうするのか? 人口減、少子高齢化、財政赤字といった新たな状況に対して、様々な歪みがあらわになってきています。
都市住民は根無し草となり、郊外も廃れ、地方の自立性も損なわれつつあります。また市場拡大期につくられた都市構造を維持管理するだけでも膨大な行政コストがかかり、これをどうするかも大きな問題です。
こうした問題も根本的には、市場拡大を信じ続け、利便性、快美性、効率性の追求を是としてきた結果です。「市場社会の終わりとその先」を見据えて、人々の生活をどうするのか、産業・仕事をどうするのか、地域共同体をどうするのか、考えるべき課題です。

○建設業界の活力衰弱、技能や技術の伝承はどうなる?
建設・都市開発の市場縮小は不可避であり、いくつかの企業が淘汰されていくことも避けられないでしょう。
しかし、建設やまちづくりの需要は、人が生活する限りなくなるものではないし、市場縮小に関わらず「必要」なものは必要、また時代を見据えた技術や創造性は社会から期待されているはずです。
その意味でも、現在の業界における人材育成や体制の機能不全は大きな問題です。
待遇の悪化から、現場で働く職人になろうとする若者が減少し、高齢化が進み、技能・技術の喪失が懸念されています。
建設業の現状と今後の課題について

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■市場の縮小、市場化がもたらした様々な歪みの蓄積という逆境の中で、いかに新たな可能性を発掘してゆけるか、いかに新たな活力を引き出してゆけるか、まさに正念場にあると言えそうです 😮

 

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