2012年04月13日
■日本の建設産業・都市の未来はどうなる?(後編)
画像はこちらからお借りしました。
前回の記事「日本の建設産業・都市の未来はどうなる?(前編)」では、建設産業・都市開発の盛衰を振り返り、現在直面している課題を整理しました。
市場の縮小、需要がない
・・・建設・都市開発の需要はピーク時の約半分に。過当競争から売上確保圧力、利益確保圧力。
世界経済危機、巨額の財政赤字、市場活性化の手立てがない
・・・国の借金1000兆円。国債経済は崩壊の危機。バブル頼み、国債頼みの手法はもはや通用しない。
戦後に築き上げられてきた都市構造は、これからの時代に対応できない
・・・市場化とともに形成されてきた、都市―郊外―地方という都市構造の機能不全。
建設業界の活力衰弱、技能や技術の伝承はどうなる?
・・・業界の疲弊、人材育成や体制の機能不全。
大きくは「市場の縮小」「市場化がもたらした様々な歪みの蓄積」という問題ですが、
こうした状況下でどのように舵を切るべきか?
八方塞がりの中で各企業は生き残りに必死です。
新年度を迎えて建設関連各社で中期経営計画が発表されていますが、「受注競争力の向上」や「利益重視」に加え、「海外シフト」「首都圏重視」「震災復興対応」「新分野進出」などが共通するキーワードとなっています。
やはり、残された市場を求めて海外進出、国内では経営効率を求めて首都圏(≒地方はリストラ)、復興需要を当て込んで東北、という動きになっているようですが、おそらく売上確保のための過当競争、利益確保のためのリストラはいっそう進行すると思われます。また、新分野進出という方向性もありますが、各社とも長期的な経営計画には苦慮している、もしくは見通しが立っていない様子がうかがえます。
「市場の縮小」「市場化がもたらした様々な歪みの蓄積」という壁は、一足飛びには乗り越えられない問題ですが、今回はいくつかの事例を検証しながら、今後の可能性を探っていきたいと思います。
■建設・都市開発の新しい方向性???
コンパクトシティ
コンパクトシティとは・・・都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に中心市街地の活性化が図られた、生活に必要な諸機能が近接した効率的で持続可能な都市、もしくはそれを目指した都市政策。
高度成長期やバブル期に拡大した地方都市や郊外が、高齢化や人口減少により機能不全(スプロール化、中心市街地の空洞化)に陥っていることが背景にあります。
それに対して、市街地を小さくコンパクトに保ち、コミュニティの再生、環境への負荷を低減、住みやすいまちづくりを目指そうというコンセプトなのですが、本音の目的としては、市街地の再活性化→消費等の市場活性化と、行政コスト削減という狙いがあります。
(自治体にとっては地方税増収の意図も。地価の高い中心部に新築マンションなどが増えれば固定資産税が増え、また都市計画区域内の人口が増えれば都市計画税も増える。つまり同じ自治体内の郊外から中心部に市民が住み替えるだけで地方税の増収に繋がるとか)
※参考:コンパクトシティ
※コンパクトシティの概念 画像はこちら
東北大震災の復興策として、被災者を集団移転してコンパクトシティを形成するというような提案もあります。
震災前から東北では人口減少や高齢化のペースが全国平均より早く、小さい集落を震災前と同じように復興しても、若者は出ていって老人だけが残り、医療費や移動に伴うエネルギーコストが増大する。人口減少局面で行政コストを下げるには、中心市街地などに人口と都市機能を集約したほうがよい、という話のようです。
※集団移転型のコンパクトシティの復興モデル 画像はこちら
スマートシティ
スマートシティとは・・・スマートグリッドなどによる電力の有効利用に加え、熱や未利用エネルギーも含めたエネルギーの「面的利用」や、地域の交通システム、市民のライフスタイルの変革などを複合的に組み合わせた、エリア単位での次世代エネルギー・社会システムの概念。世界各地で既に実験が始まっており、将来は巨大市場に成長する可能性もある、と言われています。
日本では特に震災以降、省エネルギー(節電、脱原発)の観点から注目を浴び、被災地復興のまちづくりに適用しようという動きがあるようです。
産業界としては、スマートグリッド(次世代送電網)、電気自動車(EV)、省エネ家電などの市場活性化にも期待しているというところでしょうか。
※スマートシティの概念 画像はこちら
※スマートシティの実験:マスダールシティ 画像はこちら
この「コンパクトシティ」「スマートシティ」といったコンセプト、一見納得できそうな、可能性を感じさせるところもあるのですが、何か大きな違和感も残ります。
「コンパクトシティ」は確かに、人口減、少子高齢化、財政赤字(行政コストの削減)といった新しい状況を捉えて対象化したアイディアだと思います。しかし、これで本当に中心市街地の活性化は実現するのでしょうか? あるいは、そこまでして市場の再活性化を目指すべきなのでしょうか? 根本的には、「あくまで市場主義的な効率化を目指すべき」という旧い観念から脱し切れていないように思われます。
「スマートシティ」も同様に、省エネルギー、石油代替エネルギーへの転換という意味では新しい状況を捉えて対象化したアイディアですし、意味はあると思います。しかし、「あくまで市場主義的な利便性、快美性の追求は正しい(捨てられない)」という前提から脱し切れていません。また、環境をスローガンとしながら新しい市場拡大を目指していることも矛盾を感じさせます。
つまり新しい時代状況を一定捉えながらも、根本的には「市場主義」の価値観から転換できない、したがって市場社会の延命策にしかならないのではないかという疑問が残るのです。
時代はかつてないほどの大きな転換期を迎えており、それは近代市場社会200年の終焉を意味しています。そうだとすれば、こうした市場主義にしがみついていては(一時的な業績確保にはなるかもしれませんが)、時代の大転換期を乗り越えることはできないのではないでしょうか。
■脱市場主義の方向性は?
今後の建設業界において、従来の市場主義的な価値観のまま、海外進出、リストラ、ニッチ市場への進出などを繰り返しても、おそらく長期的な展望は開けてこないであろうと思います。
真に新しい方向性は、市場主義から脱した意識潮流とそれを対象化した企業から登場するように思われます。
利益第一ではなく、社会にとって必要なことを着実に事業化してゆくこと。例えば地域産業の振興による雇用の創出、地域社会への貢献、次代の担い手の育成など、地に足を付けて成果を上げている企業の事例を紹介します。
◎自前で人材を育て、活力を引き出す、顧客の期待に応える 平成建設
多くの建設業が後継者不足・質の高い職人不足に悩みながらも、リストラや下請け叩きを行わざるを得ないジレンマに陥っています。これは、仕事をするのはあくまで人であるのに、市場主義では社員や労働力はコストと見なされる、そうした矛盾でもあります。
平成建設は「大工・多能技能工を社員として育てる」「職人大工集団を主体とした内製化システム」「職人の多能技能工化」によって躍進していますが、これは「人材の能力と活力を高めることで顧客・社会の期待に応える」ことに真正面から向き合った結果ではないかと思われます。
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◎地域共同体の再生を事業化 中島工務店
一企業という枠を超えて地域共同体の再生を事業化している企業です。林業の衰退、地場産業衰退による人口減など、危機に陥った加子母村を、中島工務店が中心となって、地産材の生産加工から住宅建設、村ぐるみの宣伝広告活動、都市と山村の交流を通じて山村の産業と経済を復興させました。また職人と技術者の人材育成にも力を入れ、雇用の創出や維持、さらにスーパーマッケットの経営に参入して流通・販売を手がけ、村の人々の消費を支えています。
このように、自社の利益を上げるためではなく、地域の一員として何が必要なのかを判断軸に事業を手がけ、村の人たちみんなで力を合わせて、知恵を出し合い、助け合って、自然と共に生きるコミュニティを作っています。
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中島社長のコラム(「もう電気はいらない」)からも明確に脱市場の本源社会を志向していることが感じ取れます。
私は昭和19年11月19日の戦中生れ。(中略)とにかく何をやるのにも殆んど電気は使わない。ラジオが珍しかった。あれから60年余。何をするのも、電気、油、ガス。これが無ければ一日だって生活出来ない。産業も経済もストップ。そしてこの度の大震災。地震だけなら。津波だけなら。そう誰しも考える。原発が無ければより力強い日本が再生出来たのに。こうなってしまってから気付くのは余りに遅すぎる。でも、福島だけならと思う。これだけの事故を起しまだ原発で何とかしようとあがく人達の気持ちが分らない。そこまでして何の得があるの。
油が倍以上に値上りして、これで車も少なくなる。これで世のスピードが落ちると期待した。でも落ちない。それどころか高速料金を千円にして無駄な車を動かせた。
原発の事故で電気が少なくなる。そうすればスピードが落ちる。でもそうしない。何故。
海水の温度が大幅に上り、大気の温度が大幅に上り、毎日の様に地球の何処かで天災が起っている。それでも懲りない人間は利口か馬鹿か。長いながい地球の歴史の中でたった半世紀でこの大切な地球環境を壊してしまった私達は重罪だ。私達にとってこの地球よりも大切なものがあるのだろうか。
私はかしもむらに66年生きて来て、今の地球の危機的状況を毎日心配し乍ら仕事をしている。これを何とかしなくてはとずっと考え続けている。
もう電気は要らない。
※引用はこちら
■市場社会の終わりと共同体社会の実現に向けて
3.11の大震災以降、大衆の意識下では市場拡大とは180°反対の、節約やもったいない、社会の当事者欠乏や集団再生期待などの本源期待が高まっており、最先端層では近代思想や市場原理が全ての根源であると気づき始めています。
市場の縮小と根源回帰の大潮流は今後さらに加速していくだろうと思われます。
そうだとすれば企業の経営戦略としては、多少目新しくとも「市場主義(市場拡大絶対)」という古いパラダイムの中にあっては、決して突破口にはなりえず、社会の期待に全く応えてゆけない=生き残れない可能性が高いと言えるでしょう。
建設・都市開発の産業においても、社会の本源期待に応える新たな社会の姿を追求し、その実現のために一企業の枠を超えて、どんな役割を担ってゆくことができるのか、真剣に考えていく必要があります。
そのたたき台として、るいネットの「実現論序:共同体社会の実現に向けて」には新たな社会像が提言されています。
「ゼロ成長を基本とした、農と新エネルギーの振興に重点を置く経済運営」「社会統合を担う統合機関の担当の交代担当制」「企業の共同体化」さらには、「生産と生殖、教育を包摂した農(漁)村共同体の建設」という、新しい生産のあり方、集団統合のあり方、社会統合のあり方です。
大転換期を生き残るには、現在既に形成されつつある新たな活力源とそれが生み出す新しい社会の姿を明確につかむ必要があります。
参考:序7.企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする
- posted by kurokawa at : 20:11 | コメント (0件) | トラックバック (1)
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