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2012年04月20日

環境産業の可能性はどこにあるのか?(前編)

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前回は、産業シリーズ第1回として、「建設産業・都市の未来はどうなる?」リンク リンクを扱いました 😀
第2回である今回は、「環境産業の可能性はどこにあるのか?」です
昨今、環境問題はさまざまなメディアによってクローズアップされ、環境に関する言説を見聞きしない日はほとんどありません。国民の関心も年々高まっており、特に東日本大震災・原発事故を受けて、「節約」「もったいない」といった意識が急速に顕在化しています。そうした意識潮流を受け、国や各企業も環境技術を重点的に研究・開発し、積極的に環境問題に取り組む姿勢を見せています。
一方で、CO2排出量の少ないエコ商品が流通すればするほどCO2排出量は増加しているという研究結果も出ているように、環境ビジネスの欺瞞性も顕わになっています 😡
つまり、環境産業は、自然の摂理に則った暮らしがしたいという国民の期待に本当に応え得るのか、応え得る環境産業とはどのようなものなのか、あらためて考える必要に迫られています。この問いに答えを出すため、まず環境問題の構造を明らかにし、その上で今後の可能性を提示します

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■“公害”から、漠とした環境“問題”への移行
○近代化→市場拡大に伴う公害の発生
120414%E5%B2%A9%E4%BA%95%EF%BC%A7%E4%B8%83%E8%89%B2%E3%81%AE%E7%85%99.jpg日本における環境問題は、他国と同様、産業革命→近代化の進展とともに発生します。
明治以降、近代化への道を歩み始めた日本は、戦前、そして戦後高度経済成長期にかけて、製造業を中心に産業を急速に発展させ、飛躍的な経済成長を遂げます。(参考:戦後産業史シリーズリンク
近代産業を牽引した繊維業や銅精錬業、製鉄業などが拡大するにつれ、汚染が進行し、健康被害をもたらすほど深刻化します。全国各地で、工場からの排煙・排水・煤塵が大気・水質・土壌を汚染し、他にも騒音・振動問題など、多くの公害問題に発展します。
国は、産業型公害の発生を受け、各産業に対して対象となる化学物質を明文化し、排出規制を行います。日本の製造業も、高い技術力をもって公害に対応し、人体に被害を及ぼすような公害は徐々に減少していきます。
<公害と対策年表1>
◇1876年    足尾銅山鉱毒事件
◇1882年    別子銅山亜硫酸ガス被害発生
◆1911年    工場法の制定
◇1910年頃   日立鉱山における煙害
◇1940年頃   イタイイタイ病
◆1948年    瀬戸内海環境保全臨時措置法が制定(’53年;恒久法化)
◇1953~1960年 水俣病(’56年;第1号患者)
◆1958年    水質ニ法(水質保全・効用排水規制法)の制定
◇1960年代前半 四日市ぜんそく(’72年;四日市公害裁判の判決)
◆1962年    ばい煙規制法の制定
◇1964年頃   第二水俣病(新潟県)
◆1967年    公害対策基本法の制定
◆1968年  大気汚染防止法、騒音規制法の制定
◆1970年  公害国会の召集
※◇:問題等、◆:対策(法律等)

○過剰消費による環境負荷の増大
120414%E5%B2%A9%E4%BA%95%EF%BC%A7%E8%BB%8A%E7%A4%BE%E4%BC%9A.jpg高度経済成長期を経て、1970年ごろに豊かさを実現した日本経済は、低成長時代に入ります。
市場縮小の危機に対し、国は、市場拡大を維持するため、国債を発行して市場に資金を供給し続けます。
企業も、商品を販売するため、古い製品から新製品に買い換えれば快適で優雅な生活が送れるという幻想を、CMなどを通じ、国民に繰り返し植え付けます。
国民生活も、個人主義思想の浸透により、次第に集団生活から個的生活へと移行します。家庭は大家族から核家族、一人暮らしへ、車は一家に一台から一人一台へと、より多くの物、大きなエネルギーを消費する生活へと移っていきます。
こうして、市場原理が隅々まで浸透すればするほど、大量生産・大量消費は加速し、環境負荷は増大していきます。
○実感を伴わない環境問題への変化
このころから、世間で騒がれる環境問題の性質が、かつての公害問題とは変わってきます。
これ以降に取り上げられるようになった問題の多くは、ピークオイル説や地球温暖化など、影響範囲が非常に広く、原因が多岐にわたる、もしくは特定できないものです。既に、公害問題等を通じ、人間生活が環境に対して過大な負荷をかけているという感覚は誰もが持っており、環境問題への関心も徐々に高まっていました。この意識潮流を基盤とし、原因はよくわからないが、対策はしなければならないという、実感を伴わない環境問題が扱われるようになっていきます。
また、中には、地球温暖化問題のように、本当に人間活動によるものなのかさえはっきりしない問題も含まれます。
<公害と対策年表2>
◆1971年 環境庁の発足 
◆1973年 科学物質審査規制法の制定
◆1973年 公害健康被害補償法の制定(’87;一部改正)
◆1974年 硫黄酸化物(SOx)総量規制の導入
◆1978年 日本版マスキー法(自動車排出ガス規制)の実現、二酸化窒素(NO2)の大気環境基準の改定
◆1981年 窒素酸化物(NOx)総量規制の導入
◆1985年 オゾン層の保護のためのウィーン条約の採択
◆1987年 WCEDレポート(持続可能な開発)の提出
◆1991年 リサイクル(再生資源利用促進)法の制定
◆1992年 自動車NOx法の制定
◆1992年 地球サミットの開催
◆1993年 環境基本法の制定
◆1997年 環境アセスメント法の制定
◆1997年 京都議定書の採択
◆1998年 地球温暖化対策推進法の制定
◆1999年 ダイオキシン類対策特別措置法の制定
◆1999年 PRTR(特定化学物質の管理促進)法の制定
◆2000年 循環型社会形成推進基本法の制定
※◇:問題等、◆:対策(法律等)

■環境ビジネスによる市場拡大という矛盾
○環境を隠れ蓑にした市場拡大
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これは、豊かさの実現による市場の縮小という危機に対し、政・官・財、及びマスコミが一丸となり、環境意識の高まりを強引な市場拡大戦略に利用しているからと言っていいでしょう。
現在、環境問題解決のための技術の開発・普及等は、国が補助金を出しながら市場に任されているのが実態ですが、市場原理では、儲かる環境問題しか取り上げません。実際、現在の市場では、「エコ」は一種のブランドとなり、消費の免罪符となっています。つまり、根源的な環境意識の高まりを、目先の「エコ」に向かわせ、商品販売=市場拡大に利用しているのです。
環境問題は、市場拡大によって生み出されており、市場拡大と環境保護はそもそも矛盾した課題です。現在は、環境を守ることよりも市場拡大が絶対的に優先されているのです。
○環境運動を主導する傍観者
これら「エコ」の根拠を作り、環境運動を主導しているのは、「環境専門家」等と自称する人々です。実は、彼らの中には、市民運動や労働組合の衰弱に伴い、左翼運動家から環境運動家へと転身を遂げた人々が多数存在します。中でも、「赤から緑へ」と言われるように、「反」の塊である新左翼運動家が環境運動家に転身した事例が多いようです。(参考:「新左翼」はそう呼ばれたときから、反の存在だった
このことが意味するのは、彼らは環境問題を解決しようとして専門家になったわけではなく、メシの種にするために、関心の高まっていた環境問題を利用したということです。そのような状況では、当然解決に向けた実現方針など、提示されるはずもありません。
○国民意識を形成、市場拡大を推進するマスコミ
国民の目先的な環境志向は、主要にマスコミの発信によって形成されてきました。豊かさが実現した’70年以降、共認原理の時代において、マスコミは第一権力となります。
マスコミはスポンサー企業によって成り立っている以上、構造的に市場拡大を推進せざるを得ません。よって、上記「専門化」等を使い、過剰な環境問題報道で危機意識を煽るとともに、エコ生活やロハス等の耳障りのいい生活観を提唱し、徐々に社会に浸透させていきます。そして、大量の情報で思考停止させられた国民は、目先的な活動に収束し、市場拡大に貢献、結果的に環境を悪化させる片棒を担ぐことになってしまっているのです。
○市場拡大と環境保護という矛盾した課題
国は、地球環境問題に対し、法律等を制定し、基準を設けます。
しかし、原因がはっきりしない、かつデータも出揃っていない問題のため、京都議定書などが典型ですが、その対応は迷走します。
そしてそれ以上に国の対応を混乱させたのは、国が固執する市場の拡大と、取り組まなければならない環境問題が、絶対的に矛盾した課題だからでしょう。ここまで見てきたように、環境問題を生み出したのは、市場拡大そのものです。しかし、市場拡大を前提とする以上、構造的に、正面から環境問題に取り組むことはできず、市場拡大を阻害しない規制、もしくは市場を拡大させる口実となる規制しか制定できないのです。
その結果、地球環境は破壊の一途を辿ります。
以上のように、市場の競争圧力を利用して環境問題を解決するというのは、市場原理の本質を考えれば、幻想に過ぎないと言わざるを得ません。

■儲かる環境問題しか取り上げない環境ビジネス
そのような状況の中で行われている環境ビジネスの実態を、いくつかの事例を参考にみていきます。
○リサイクルビジネス
3R(Reduceリデュース:減らす、Reuseリユース:繰り返し使う、Recycleリサイクル:再資源化)という概念がありますが、「リデュース」<「リユース」<「リサイクル」の順に耳にする機会が多いのではないでしょうか?
では、果たして他の2つに比べて本当に「リサイクル」は環境問題の解決に貢献しているのでしょうか?

● ペットボトルのリサイクルが環境にいいって本当?実は、ペットボトルの分別回収が増えるにつれて、販売量はうなぎのぼり(H5年12万t→H16年51万t)となった。つまり「リサイクルできる」という錦の御旗を手に入れたことで、ペットボトルの消費量は増大し、環境負荷は増大したのだ。しかも「リサイクルできる」というのも大嘘で、実はペットボトルのリサイクル率は6%弱に過ぎない。しかもリサイクルには膨大な設備投資と人件費が投入されており、リサイクルによって資源は7倍も多く使われている。まさに「リサイクルは環境に優しい」という大義名分の下で、資源の無駄遣いが進んでいるのである。リンク

つまり、リサイクルが取り上げられるのはビジネスとして使いやすいからであり、逆にリデュースがほとんど聞かれないのは、ビジネスにならないからなのです。
○エコカー
エコ商品の筆頭のひとつと言えるエコカーはどうでしょうか。
エコカーの販売台数は、エコカー減税やエコカー補助金といった国からの援助もあり、増加しています。
エコカーは、ガソリンを使わずに走れるため、CO2を排出しないということがエコである根拠となっています。確かに、エコカー自体からのCO2排出量は、通常の自動車に比べて少ないのは事実です。
しかし、エコカーのための電力を発電するためには、当然ですがCO2が排出されています。また、発電所からの送電や供給時のロスなど、トータルで考えた場合、通常の自動車と比べ、どの程度エコなのかは、疑問の余地が残るところです。また、それ以前の当然のこととして、自動車など、作らない、使わないほうがエコであることは自明であり、その意味ではその存在が既に環境破壊に繋がっているとさえ言えます。
このように、少し冷静になって考えれば、エコカーという商品が、自動車メーカーの販売戦略上の欺瞞だらけであることは明白です。
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○原発ビジネス
次に、過去最大規模の環境ビジネスとも言える原子力発電はどうでしょうか。
東日本大震災以前、原子力発電は、CO2を発生することのなく半永久的に電気を作れる夢のようなクリーンエネルギーだと大手マスコミを通じて喧伝され、日本各地に54基もの原子力発電所が建設されてきました。
しかし、震災の際に起きた原発事故を契機に、それは原発利権に群がった政治家・官僚・マスコミ・企業等の「原子力村」によって作り出されたウソだったことが白日の下にさらされてしまったのです。
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画像はこちらからお借りしました。

当事者の一人として原発問題と向き合ってきた、前福島県知事の佐藤栄佐久氏は、こう語る。
「日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っています。『原子力発電は、絶対に必要である』『だから原子力発電は、絶対に安全だということにしなければならない』。リンク

財団法人・日本原子力文化振興財団、社団法人・社会経済国民会議、その他、おびただしい数の組織や団体が頻繁に一般市民への世論調査をやり、その世論に影響を与える専門家、ジャーナリストたちに対しても面接調査を繰り返した。合計すれば膨大な費用か投じられている。そしていわゆるPA戦略なるものが練りあげられていくのだ。(中略)同財団の企画委員会(委員長・田中靖政学習院大学教授・当時)によって展開され、累積されたそれらの調査結果は、専門家グループのなかでもとりわけ評論家、ジャーナリストが原子力に対して「最も強い不信感を抱いているグループである」との結論を導き出したうえで、今後の゛PA戦略゛では、何よりもその評論家・ジャーナリストを見方につけることが重要であると強調している。新聞社内の記者、デスク、整理部などの役割分担まで仔細に分析されている。以後、はるかに壮大な規模で、PA戦略がくり広げられ、実践されてきたことが分かるだろう。リンク

参考:東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否か23 「原発は、頭のてっぺんからつま先まで“ウソ・騙し”」
■自然の摂理から逸脱した環境ビジネス
例に挙げたもの以外にも、さまざまな環境ビジネスが立ち上げられてきましたが、環境問題は一向に解決に向かっていません。これは、先に述べた、市場には環境問題を解決することはできないということの証左と言えるでしょう。
市場が拡大するほど環境は破壊され、国民が本当に望む、自然の摂理に則った暮らしから遠のくことは明白です。その意味では、環境ビジネスという言葉自体が、既に絶対的な矛盾を孕んだ言葉なのです。
果たして、環境産業に可能性はあるのでしょうか。今回記事からは可能性が見えてきませんが、次回は、今回扱った事実に加え、本当の意味での環境産業の可能性基盤を発掘し、可能性を提示したいと思います

 

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