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2012年12月07日

『共同体経営とは?』4~人類の統合様式 ②私権原理・序列原理

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みなさん、こんにちは。
今日の記事は「共同体企業とは何か?」の5回目の記事です。本シリーズではこれまで、
新シリーズ『共同体経営とは?』~プロローグ~
『共同体経営とは?』1~遺伝子の共同体~
『共同体経営とは?』2~群れのもつ意味を探る~
『共同体経営とは?』3~人類の統合様式①共認原理
と見てきました。
私たち人類がもつ「共同性」について、起源まで遡ってより深く理解する試みです。前回の記事でやっと人間まで進化しました。
共認機能を頼りに、自集団のみならず他集団とも友好関係を築いてきたご先祖様。この回では、そこに大きな転機が訪れます。ご先祖様は、どんな道をたどるのでしょう。大集団となった人類の、現在までつながる道筋です。

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■自然外圧と集団意識
1万3千年前に弓矢を発明し洞窟を出た人類。すべての大陸に拡散した後も、集団は共認原理によって統合されていました。
一方、世界中に拡散したがゆえに、地域により生産様式と集団の意識には違いが生じます。たとえば、水が豊富で動植物に富む環境では、死に物狂いで食料を確保する必要はありません。結果として、採集生産を営む民族は、自然に対する感謝の念が深く、温厚な意識を持つようになります。
反対に、森が豊かではない等、自然外圧が強い地域では、死に物狂いで獲物を確保する必要があります。結果として、狩猟生産を営む人々は高い闘争性を背景にした、やや警戒心の強い意識を持つようになります。
共認原理により統合される集団も、このような自然外圧の違いによって、生産様式のみならず意識構造にも違いが生じるわけです。「良い・悪い」の問題ではなく、これは必然。まずは、そのような前提をもって出発しましょう。
■共認統合の崩壊前夜
1.牧畜
狩りによって獲物を得る狩猟生産は、大変厳しい生産様式です。獲物が獲れるかどうかわからない不確実性は絶対に排除できません。この欠点に対して、獲物を狩るのではなく飼育するという逆転の発想が生まれます。これが「牧畜」です。牧畜は、狩猟の民にとってこの上なく画期的な発明だったに違いありません。他方、この牧畜によって、狩猟民族の意識に変化が生じます。

牧畜によって何が変わったのか?
①財産意識の登場
森林よりも貧しい草原において生産性を上げるために登場した牧畜によってはじめて、常時蓄積された財が登場する。それ以前も例えば、洞窟に動物の死骸の骨を溜めることはあったはずだが、そこでは財という意識はなく、収穫物の蓄積財が登場してはじめて財産意識が登場したであろう。
②自然外圧への反発
もっと大きな転換は、動物を飼い馴らすという自然の摂理に反する行為が登場したことである。それまでは自然(動物)は畏敬の対象であり、生命をいただく代わりに感謝の念を捧げていたわけだが、その自然を人間が飼い馴らすというパラダイム転換が起きた。
牧畜では家畜を制御・統制する必要があるが、それはアメとムチによって家畜を支配することと同義である。また、去勢をはじめ性を抑制・管理してゆくが、それらは自然の摂理に反する相当残虐な行為である。このような家畜の制御・統制→アメとムチ→去勢という自然の摂理に反する行為を通じて、家畜を管理・支配する部族に残虐性が刻印されていった可能性も考えられる。

牧畜は、狩猟生産の不確実さを克服し生産性を向上させた一方で、それまでの人類ではもちえなかった財産意識(所有意識)と自然を支配する行為を現実のものとしました。これが牧畜の本質部分であり、意識変化です。
2.遊牧
安定した牧畜生産によって一つの部族の人数が増えてくると、さらなる食料の確保が課題になります。豊かな牧草地は限られていますから、そこを飛び出していく必要性が生ずるわけです。こうして生み出された生産様式が「遊牧」です。遊牧では、集団の意識のみならず、婚姻様式も変化します。

遊牧によって何が変わったのか?
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①母集団と遊牧男集団という重層社会の登場
②婚姻制が母系婿入り婚から父系嫁入り婚に転換し、同時に母権集団→父権集団に転換
③人類500万年間、女たちは女集団の中で生きてきた。母系の段階では女たちの生まれ育ちはみんな一緒であったが、父系になるとそれぞれの集団の女たちの出自はバラバラなものになる。女たちの共認充足空間の中に隙間風が吹くようになり、とりわけ、嫁取り交渉では集団の財が多い方が交渉が有利に運ぶので、各氏族の蓄財意識が高まってゆく。こうして出自の違う女同士の間で私益の対立が発生しはじめる。これが相対自我の芽生えであり、遊牧→父権転換(嫁取り婚)から自我が発生したと考えられる。

あまり知られていませんが、人類は本来「母系」集団でした。母系集団と言うのは、女性が生まれた集団に居残り、男性が婿入りする婚姻様式です。「父系」はその逆。今現在の婚姻様式は、多くの場合、父系です。
遊牧集団は、牧草を求めて遠征し時には狼を追い払ったりする危険な生産様式です。そのため、男手が必要になり、男優位な闘争集団として「父系」に転換していきます。
上記の引用では、遊牧で誕生した父系制が、それまでの人類では顕在化しえなかった集団的な自我、正当化観念を発現させるにいたった、といっています。これが、略奪闘争=戦争を引き起こす火種となっていくのでした。
■略奪闘争(戦争)→超集団=国家の形成
自然を支配すること財産意識(所有意識)をもつこと父系転換した闘争集団になること集団的な自我や正当化観念をもつこと。これらは、遊牧生産に至って存続する過程で塗り重ねられてきたことです。いずれも、自然外圧に適応するためのこと。悪意を持ってそうなったわけではありません。が、しかし、この遊牧集団が発端になって略奪闘争=戦争が勃発します。以下、自我と私権による統合様式、『私権統合』の始まり。その概要です。

2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
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人類は、500万年の歴史を通じて、ほぼ一貫して飢餓の圧力に晒されてきた。そして、人口が増え、各部族が境界を接するようになった約6000年前、乾燥(→飢餓)を契機に、略奪闘争の幕が切って落とされ、玉突き的に、世界中に略奪闘争が広がっていった。その勝ち抜き闘争の結果、力の序列原理によって統合された国家が形成され、国家は力の序列に基づく私有権の共認を統合軸として、安定した秩序を形成する。
この私有権がいったん共認されると、社会の全ての土地と物財は私有の対象となり、人々は私有権を獲得しなければ生きていけなくなる。従って、誰もが私権(地位や財産)の獲得を目指して争うようになり、私権闘争の圧力が社会の隅々まで覆い尽くしてゆく。かくして、飢餓の圧力を下敷きにして作り出されたこの私権闘争の圧力は、否も応もない強制圧力となって人々をその中に封じ込める。こうして、私権社会が成立した。それは、500万年におよぶ共同体社会を覆す、人類史上の大転換であった。

全生物を通じて本能に刻印されていない「同類殺し」。そのパンドラの箱を開け、略奪闘争に勝ち抜いた末に「力」に勝る者が大量の敗者を従えるようになります。そして、奪い取った土地に根を下ろし数万~数十万もの超集団=国家が誕生します。もはや本源的な共認は成立しません。時代は、私権統合という第二の統合様式に流れていくのでした。
■私権圧力と市場社会
私有権の獲得を目指して互いに相争う(私権闘争を繰り返す)のが私権社会。世界史の教科書で飽きもせず繰り返す巨大国家の栄枯盛衰は、国家レベルでの私権闘争です。一方、国家として安定した状態であっても、個人レベルでも私権闘争が繰り広げられています。たとえば、友好的な交換取引に見えて、その実、己に都合が良いように契約を成立させようとする(相手を騙す)こと。このような駆け引きは立派な私権闘争です。
時代を経て、万人が私権拡大の可能性を得、欲望を増幅させる時代が訪れます。(西欧ではルネサンス以降の)市場社会です。

2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
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~前略~
飢餓の圧力を下敷きにしたこの私権の強制圧力の下では、力の序列に基づく収奪によって、人工的に貧困が作り出される。従って、そこでは人々の物的欠乏は、あたかも不変で無限なものであるかのように見える。従って、次の市場社会が、人々の物的欠乏が無限であると錯覚したのも当然かもしれない。
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次の市場社会とは、人々を私権の強制圧力で追い立てた上で、私権拡大の可能性を囃し立て、あらゆる手段を駆使して人々の欲望を刺激し続ける社会であり、それによって私権闘争(利益競争)を加速させた社会である。
そこでは、利便性や快美性を煽る情報によって人々の欲望が過剰に刺激され、その結果、移動や消費の回転スピードがどんどん高速化してゆく。むしろ、欲望の過剰刺激と生活回転の高速化によってこそ、市場拡大は実現されると言ってもよい。~後略~
事実は、こうである。この過剰刺激による物的欠乏の肥大化は、誰もが私権の獲得に収束する絶対的な私権欠乏があってはじめて成立する。そしてその私権欠乏は、飢餓の圧力を下敷きとする絶対的な私権圧力の下ではじめて成立する。つまり、過剰刺激による物的欠乏の肥大化は、飢餓の圧力に基づく絶対的な私権圧力が働かなければ、成立しない
その証拠に、’70年、貧困(=飢餓の圧力)が消滅するや否や、たちまち私権圧力は衰弱し、それとともに過剰刺激によって肥大し続けてきた物的欠乏も衰弱していった。

ポイントは、私権圧力を生じさせるためには「飢餓≒貧困の圧力」が必要ということです。平たくいうと「貧乏だからお金が欲しい」という心境。そして、頑張ってお金を得たら「コレも、コレも、便利でキレイなものがありますよ(買ってね)」と欠乏を生起させ続ける。そんな圧力と仕掛けがセットになって市場社会は成立しているわけです。確かにそうでしょう。高度経済成長期、瞬く間にテレビや洗濯機が普及した過程は、まさにこれでした。いずれにしても、原理的に「万人が貧困」であれば「万人が私権に収束」する。それによって私権社会は存続し得る。・・・貧困が続けば、ね。
■貧困の消滅と市場の縮小
先進国(日本も)は、1970年頃に社会的な貧困を脱しました日本では「一億層中流」と呼ばれる時代です。すると、前項の「万人が貧困」であれば「万人が私権に収束する」という私権圧力の原理が成り立たなくなってきます。加えて、心の底で意識の変化が始まります。

3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
70年頃、先進国ではほぼ豊かさが実現され、飢餓の圧力が消滅した。すると、たちまち私権圧力が衰弱してゆく。そうなると、これまで、私権の強制圧力によって追い立てた上で利便性や快美性を囃し立て、過剰刺激によって水膨れさせてきた物的欠乏は、衰弱してゆかざるを得ない。
それは、市場の縮小を意味する。
~中略~
社会の深層では、私権圧力と物的欠乏は衰弱し続けてゆく。そして、私権圧力の衰弱は、市場活力を衰弱させると同時に、他方で、新たな活力を再生してゆく。それが、根源回帰による活力の再生である。私権の強制圧力が衰弱すれば、これまでその強制圧力によって歪められ、あるいは抑圧されてきた人類本来の活力源に回帰してゆくのは当然の理(ことわり)である。~後略~

貧困が消滅すると、私権闘争に駆り立てる強制的圧力という呪縛がとかれます。すると、私たちの根源にある活力源が再生していきます。加えて・・・

4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
過去5000年に亙って人類を封じ込めてきた私権の強制圧力の衰弱とは、この人類本来の共認充足と共認統合の実現可能性が開かれたことを意味する人々の深層意識は、当然、開かれた可能性に向かって先端収束し、共認収束の大潮流を形成してゆく。~後略~

前回の記事と併せて広く人類史を俯瞰すれば、私たち人類の集団統合の様式は、「共認統合」と「私権統合」の二つしかありません。この二つは、時間的な比率でいうと前者が99.9%、後者が0.1%です。私権統合社会は、たった0.1%ながら直近の6,000年間続きました。今を生きる私たちは、私権統合社会しか知りません。それが、今、変わろうとしている。行く先は、人類史の99.9%を占める「もとあったところ」。すなわち共認統合の社会へ。この認識は大変重要です。
■まとめ:新しい共認統合の時代へ
これからの社会が、共認統合の社会へ向かっていくことは論を俟ちません。しかし、これから訪れる共認統合社会は、実は、人類史「」の段階です。なぜかというと、現在は、過去にあった「飢餓の圧力」がない。飢餓の圧力という否も応もない強制圧力がないなかで、共認統合を実現するというのは、実は、誰もやったことがありません私たちは、全く新しい共認統合社会へ向かう、その転換点にいるのです。
では、これからの共認統合社会はどうなるのか?それを考えるために、本シリーズの主旨でもある企業系の話を紹介します。「共認統合の時代に求められる能力」です。

これからの企業・人材に求められる能力は?
これから求められる能力を考える上で前提となるのは、「私権から共認へ時代は大きく転換している」という認識。この共認収束の大潮流は今後数十年続く。
共認の時代に求められる能力は、根本的には「みんな発の共認形成力(共認統合力)」と言える。
「自分発からみんな発への意識の転換」=「みんな発の充足性・肯定性」が能力を規定する根幹であり(「自分発」の心のありようではどんな能力も受け入れられない、役に立たない、成果が出ない、使い物にならない)、これを土台に皆を導き皆の活力を引き出す「共認形成力」こそが統合力であり制覇力となる。
(従来の人材育成の発想、例えば個々人のスキルアップをどうするかという発想では本質は見えてこない。またアメとムチで動機づけるやり方も全く通用しないだろう。これらは全て私権時代の発想、方法論に過ぎない)
※参考:私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力
※参考:闘争能力の基盤は、みんな発の充足性と肯定視
★「共認形成力」とは何か? 文字通り皆の共認を形成する力だがその具体的な中身は、、先の状況を見通す能力、本質を掴む能力、皆がスッキリできる答えを出す能力、論理的に伝える能力、相手のやる気を引き出す能力、相手を巻き込む能力、人間関係で充足を与える能力、場に充足を生み出す能力、その前提となる相手の期待を掴む同化能力、、、、様々な言い方ができるが突き詰めると、「認識力」と「充足力」ではないかと思う。
■認識力
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時代はかつてなかったような大転換期。これほどの大転換期には何が起こるか分からない。したがって重要なのは「いかに状況が変化しても答えを出せる柔軟な認識力」であり、これから生き残る企業の条件となる。
経営者、部門リーダーに最も期待される能力であると同時に、(経営者・リーダーでなくとも)社員ひとりひとりに求められる能力となってきている。認識力の獲得=人材の成長とも言える。現業においても、対象(顧客や競合)を掴んだ上で企画・提案→共認形成ができるか否かが成果に直結する。これは、当然ながら狭い職能(専門知識、専門技能)とは次元の異なる力=職能を超えた幅広い能力の育成という課題である。
※参考:これから生き残る企業に求められる能力は?
※参考:いま、社会の基底部で何が起きているのか
■充足力
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企業にとって推進力となるのは認識力だけではなく、もうひとつ欠かせないのが、その認識力を生み出す母胎となる「充足空間」とそれを生み出す「充足力」である。共認の時代において、共認充足が全ての活力の源泉である。この共認充足は深い安心感や一体感や喜びから生じるが、ここでも「みんな発の充足性・肯定性」が土台となる。ここは女性が最も得意とする領域、「女子力」「女性の活用」「女性が元気な企業が強い」etc 企業における女性の役割が注目されてきているが、その本質は「充足力」であり、充足空間によって成員の活力をいかに引き出せるかという点にある
※参考:今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる
※参考:共同体の母胎は女性が生み出す充足空間
★みんな発の共認形成力=認識力(最先端)+充足力(最基底)。この両輪こそがこれからの企業に求められる能力である。
★これからは「総力戦」の時代。企業の戦力とは、成員の共認形成力=認識力+充足力の総体である。
■自分たちの生きる場を自分たちで創ってゆく能力
「私権から共認への大転換」にともなって、人々の最大の活力源は「周りの期待に応える充足=共認充足」へと転換している。より多くのorより深く周りの期待に応えて充足したいという欠乏が、認識力の獲得、充足力の獲得への原動力となり、その先には、「自分たちの手で作り出せる能力」「自分たちの頭で答えを出せる能力」へと上昇してゆく可能性を秘めている。この潮流は企業自身の体制変革、「自分たちの生きる場を自分たちで創ってゆく=共同体企業の構築」につながってゆくだろう。

『自分たちの生きる場を自分たちで創ってゆく』。私権統合の時代、最も遠く、最も固く閉ざされてきた可能性がこれだと思います。皆が属する企業でさえ「自分たちで創ってゆく」ことができませんでした。それが一転、実現できる時代になったということです。そして、「自分たちで創っていく」ためには、純粋に「共認の力」が必要(試される)。何かに強制される事なく、主体的に活力を生み出していくために、純粋に「共認」こそが生命力となる。これは間違いないことでしょう。この認識をもとに、皆さんと共に歩んで行ければと思います。
次回は、『自分たちの生きる場を自分たちで創ってゆく』ことを普通にやっていた時代のお話です。
人類史初の共認社会へ向けて。その成功イメージをどんどん膨らませてください。
長々と失礼いたしました。

 

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これからは共同体の時代
[…] 様から180度逆転。 自己正当化の為の観念=「現実対象不在の架空観念」に堕してしまった、ということです。(参考『『共同体経営とは?』4~人類の統合様式 ②私権原理・序列原理』 ) […][続きを読む]

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