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2014年09月15日

新しい「暮らし」のかたち 第5回 集団と住まいの歴史(明治以降から現代まで、そして新しい暮らしへ)

■集団と住まいの歴史(明治以降から現代まで、そして新しい暮らしに反転していく)

○     年々、シェアハウスが増加しており、様々な事例も出てきています。人々の住まいは、洞窟(本源時代)~縄文~農村集落~長屋(江戸時代)までは元々共有的・シェアハウス的なものだったようです。

○     今回は人類の集団と住まいの歴史を過去に遡って見てみるとどうだったかという視点のなかで、江戸時代まではおおらかだった人々が、明治時代以降に所有意識を高めていった(私権収束に向かった)時期から現代まで(各人が個室に入った)の住まいを見てみたいと思います。そこから新しい暮らしとしてのシェアハウスは、各人が個室に入った住まいが反転したものであることが見えてきます。

○     集団と住まいとの関係を歴史的に考察するには、生産様式(生産体制)、婚姻様式、集団統合体制を構造的に見ていくことになります。特に明治以降は政策的制度確立や教育、マスコミ(新聞、小説、ラジオ、映画、テレビなど)、が影響していた(江戸時代まではなかった)という特徴があるようです。

・新しい「暮らし」のかたち 第1回 ~シェアハウスの今~http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2014/07/2875.html

・新しい「暮らし」のかたち 第2回 『家』は【所有】から【シェア】するものへ その意識潮流を探るhttp://bbs.kyoudoutai.net/blog/2014/08/3011.html

・新しい「暮らし」のかたち 第3回 新たな生き方と日々の生活にスパイスを!http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2014/08/3288.html

・新しい「暮らし」のかたち 第4回集団と住まいの歴史を考える(洞窟~縄文~農村集落~長屋)http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2014/08/3305.html

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それでは明治以降から現代まで、そして新しい暮らしに反転していく経過を見ていきましょう。

■明治時代 ~日本人の生活が劇的に変化し、私権収束が始まる

明治時代になると、日本人の生活が劇的に変化していきます。

明治時代の初めまでは、日本人は、和服を軽くひっかけるようにして着ていたので、すぐに着物がはだけてしまうようなおおらかな服装でした。ペリー宣教師ウィリアムは、「婦人達は胸を隠そうとはしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き・・・」というように語っています。そこで明治政府は、「裸体」の風俗を取り締まり、明治元年、横浜を皮切りに、続いて明治4年に東京でも「裸体禁止令」が出され、全国に普及していきました。

また江戸の町では平均2~3回結婚離婚するのが一般的だったそうです。江戸時代までは性に対しておおらかな生活だったのが、明治になって性を大切にする、私有意識が高まるなど西洋的価値観に急激に変わっていきました。

明治時代のくらしを変えさせたものは何かhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=295288

【生産様式】

○生産様式の変化

富国強兵殖産興業ということで、産業(工業、商業など)、資本主義、市場化を推進していきます。炭鉱や鉱山、製紙紡績工場、金属・機械工場(武器工場)などが作られます。

 

【婚姻様式】

○生涯固定の一夫一妻制の奨励

日本の男女のあり方に批判を出し始めたのがキリスト教で、明治二十年ごろになると、矢島楫子(かじこ)がキリスト教夫人矯風(きょうふう)会を創立し、一夫一妻制を唱え始めました。恋愛を主題とした文学や雑誌も刊行されました。人々の考え方は、平均2~3回結婚離婚するのが一般的だったのが、一夫一妻制の生涯固定の結婚が素晴らしいというものに変わっていくのでした。

 

【集団統合体制】

○明治民法の制定

明治29年に制定された明治民法では,戸主権と長男単独相続の家督相続とに支えられた戸主を家長とする〈家〉の制度や戸籍制度が確立されました。日野富子や北条政子の例でもわかるように、結婚しても氏が変わらないのが日本の伝統でしたから、明治民法が成立するまでは、戸籍上も夫婦別姓の国でした。

○地租改正

明治6年にできた租税制度。日本に初めて土地に対する所有権が確立しました。ただし当初、小作人たちは所有意識が高まらず、庄屋さんに買い取ってもらう方が多かったようです。この制度は税金をもれなく徴収するという政府の狙いがありました。

○教育勅語

明治23年に明治政府から制定された教育に対する方針を示す文書です。伝統的な道徳観(目的は全国民に国の役に立つことが重要という考え方を広めること、国家総動員に繋げる)を、天皇を介する形でまとめたものが教育勅語でした。教育勅語の内容は、「家」に規範の軸を置き、父母への孝行や夫婦の調和、兄弟愛などの友愛、学問の大切さ、遵法精神、事あれば進んで国と天皇家を守るべきことなど、守るべき12の徳目(道徳)が列挙され、これを行う国民は天皇の忠臣であるばかりか、国民の先祖の伝統であると述べていました。

 

 

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画像はこちらからhttp://blogs.yahoo.co.jp/a6m8c_sea/folder/340849.htmlお借りしました

■明治から大正、昭和戦前までのくらし  ~都市流民は貧困で、そこからの脱出が目標になり私権収束が始まる

生産様式が農業であった地方は大家族が多く、江戸時代のくらしと大きくは変わっていませんでした。しかし東京など都会のくらしは資本主義、市場化を推進することで、農村から都市へと人口移動が起き、大きくかわりました。純文学という家族や恋愛を題材の中心とした小説、家庭を題材にした新聞や雑誌が刊行されました。都市流民は基本的には貧困であり、そこからの脱出が最大目標になりました。私権収束が始まったのでした。

○都市流民の住まい

東京などの大都会は1880年から人口増加が始まります。農村から都市へと人口移動が起きたのでした。長屋、寄宿舎が彼らのすまいとなりました。都市流民一人あたりの専有面積は1畳程度であったそうです。一人で寝れば、あとはなにもできないスペースで、簡易な間仕切り(襖や簾のようなもの)がありました。明治時代に流行した西洋館は一部の富裕層のものでした。
○炭鉱や鉱山、製紙紡績工場のすまい

炭鉱や鉱山のすまいは納屋と呼ばれました。都市の長屋とほぼ同じサイズ1畳程度でした。建屋1棟につき5~10戸が長屋のように繋がっており、そのうちの1戸が4.5畳の部屋で5人程度が住んでいたようです。

製紙紡績工場の女子寮は寄宿舎と呼ばれました。間仕切りなしの大部屋(間仕切りなし)になっていて、20畳で20人が昼夜2交代で利用していたそうです。

富岡製糸場錦絵

○西洋化

明治中頃には鉄道・道路・電気が整備され、生活の様子も変わります。都市への人口集中が激しくなります。畳1畳から始まった都市流民は俸給生活者となり、彼らを中心に洋服の着用、洋室を備えた住居、洋風の食事などがすこしづつ一般化し始め、和風様式に洋風を加えた生活様式が定着していきます。間借り、下宿、長屋などがすこしづつサイズアップしていきます。たとえば5人で住んでいた長屋のひと部屋4.5畳に男女2人やひと家族が住み始めました。それでもお風呂は銭湯が主流で、木製の床(簀子)に木製の浴槽でした。

座敷

明治大正期の一般家庭(座敷風景)https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2490/tokubetuten/6.html

■昭和(戦後)以降の暮らし  ~サラリーマン主流の核家族へ変化、住宅はどんどん核家族中心に閉じていく

「家」の秩序は、戦後の改正によって民法の条文からは失われました。しかし、本当にその秩序が崩れたのは、20世紀の間に日本の社会や家族が 大きな変貌を遂げたからでした。大家族で農業を営む家族はごく少数派となり、サラリーマン家庭が激増しました。妻の多数派は、農家の労働者である嫁から専業主婦に変わり、 やがて主婦意識(私権意識)を持つ賃金労働者の伴侶、また共稼ぎ賃金労働者となりました。大家族が「家」から独立しても食べていけるようになったので、「家」の拘束力は崩れていき、そこで登場したのが「家庭」という生涯固定の一対婚を前提とした集合体でした。家庭の内容も当初下町の工場(こうば)や商店を担っていた3世代家族(おじいさん、だんな、孫まで)が主流でしたが、高度成長につれてサラリーマン主流の核家族へと変化していきました。

 

○核家族 ~都会の生活と生涯固定の一対婚

戦後、日本は高度成長期を迎え、地方からの移転者や出稼ぎが増加し、都市の住宅が不足します。都会での生活は、生涯固定の一対婚が主流となり、新婚当初から家庭に親はいないのが一般的で、結婚するなら次男が良いとまで言われるようになりました。相続は平等にという戦後の法律の改正も原因していました。

住宅は「間借り」、「下宿」、「アパート」、「長屋」、「文化住宅」、「団地」(公営、公団住宅)、「マンション」、「テラスハウス」、「戸建」と貧困脱出・豊かさ実現の明確な道しるべ(「住宅すごろく」と呼ばれました)として用意されました。

貧困脱出・豊かさ実現の道しるべ「住宅すごろく」http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=295224

【間借り】

一戸建ての建屋のひと部屋を借りるという形式です。1~2部屋貸して大家と2~3家族が住んでいるということもありました。水回りは共同になります。

【下宿】

形式は「間借り」と同じですが、ひと部屋に一人が原則で、大家1家族と複数の単身者が共同で住むという形でした。水回りは共同になります。

【長屋】

部屋が外に直接面して、玄関をあければすぐ部屋という構造で1棟のなかで部屋が並んでいるという形式です。水回りは共同で外にある(井戸だったりする)というのが一般的でした。お風呂は銭湯を利用します。

【アパート】

大家はその建屋にはおらず、廊下をはさんで部屋が連なっており、ひと部屋(水回りなし)を借りる、玄関、水回りが共同という形式です。便所、台所などの水回りはアパート内廊下にあり、お風呂は銭湯を利用します。

【文化住宅】

外廊下に面した玄関から2部屋程度の間取りの1戸がありトイレ、台所も1戸内に入っているという形式です。お風呂は銭湯を利用します。少しづつ水回りが共同化から個室化していくという流れが見えます。

【団地】(公営、公団住宅)

これまでの木造から鉄筋コンクリートに変わるという変化がありました。また団地の初期については、お風呂は銭湯を利用していました。やがてお風呂も1戸の室内に入るようになります。水回りの共同利用がなくなりました。当初2K(風呂なし)から作られましたが、高度成長期に2DK、3DK(このころは風呂付き)、最後は3LDKと進化していきました。

【マンション】

団地の民間開発型がマンションです。エントランスやEV、メールコーナー、ゴミ置き場などは共用部となります。共用のエントランスから入り、個別の住宅に入るという形式です。公営住宅は平等・画一的となりますが、民間開発のマンションは顧客の需要に合わせて次々と進化(面積も拡大)していきました。当然水回りはすべて室内にあります。それも時代とともにサイズアップ、仕様アップ、ユニットバス(綺麗でかつ工業製品化で工期短縮)、オートロックなど進化していきます。部屋も3LDKなど各人の個室とみんなが集まるダイニングリビングとで構成されるようになりました。各人が個室に入る時代が来たのでした。エントランスはホテルのように、図書室や宿泊室、キッズルームなど共用部が充実する大型マンションも登場しました。

【テラスハウス】

戸建が連棟式(1棟に2~3戸繋がっている、2階建てが多い)となっているものがテラスハウスです。個別に玄関、庭や駐車場も付いています。当然水回りはすべて室内にあり、各人の個室もあります。共用部はありません。しかし壁ひとつ向こうには別の家族が住んでいました。

【戸建】

個別に玄関、庭や駐車場も付いています。当然水回りはすべて室内にあり、各人の個室もあります。完全に独立した1敷地に1戸が建つという形式です。密集地に建つミニ戸建から、郊外や田園調布のような大型街区の戸建まで大きさは様々あります。共用部のない戸建住宅は完全に核家族の中心に閉じられたのでした。

 

 

人々の生活も1950年代の日本人にとっては、白黒テレビと洗濯機、冷蔵庫が3種の神器となり、1960年代には、自動車とクーラー、カラーテレビがそれに該当しました。海外、特にアメリカの家族をテーマとしたテレビ番組(奥様は魔女、名犬ラッシーなど)も放映され、人気がありました。1970年の貧困脱出、豊かさ実現以降もバブル崩壊後までは、住宅の豊かさ実現志向は「住宅すごろく」(新婚時は間借りやアパートから開始してマンション、最後は戸建に住むのが夢という価値観)と呼ばれたように住宅は貧困脱出以降も豊かさ実現まで私権収束先として継続しました。

昭和1.jpg

画像は昭和のくらしhttp://poptrip2.seesaa.net/article/119407336.htmlからお借りしました。

■新しい暮らし ~ひとりで住むことに限界を感じ始めた層による新しい暮らし「シェアハウス」が増加傾向に

ほとんどの人が生涯固定の一対婚を前提とし、家庭という集合体がほとんどの世帯であった時代はいつまでも続きません。現在は学生になったら家から出て一人で住むことからはじまり、結婚をしないまたは遅い、離婚をした人など、すなわち独身者やシングルマザー(ファザーもあり)も増加しています。伴侶を亡くした、または離婚した高齢単身者も増加しています。ちなみに東京都の平均世帯人数は2人/軒を切っています。このような背景もありニッチな住宅として単身者を前提とした住宅「ワンルームマンション」が過去から相当数供給されてきました。そしてついにその形態(ひとりで住むこと)に限界を感じ始めた単身者やシングルマザーなどを対象とした「シェアハウス」が最近は増加傾向になってきました。

 

○ワンルームマンション  ~日本独特の住宅様式、「個室収束」の最終型

ワンルームマンションというのは、実は日本独特の住宅様式で、欧米にはあまり例のない住宅形式です。ワンルームマンションは優良な投資の対象でもあったので、都市部の単身者増加という背景と相まって日本では供給されてきました。欧米では単身者でもワンルームマンションではなく、「シェアハウス」に住むのが一般的です。京都文教大学文化人類学科教授の西川祐子さんは、都会のワンルームマンションを「子供部屋が分離して、別の都市へ遊離した形」と表現しています。家庭において子供に部屋(個室)を与えるようになったことから始まったということです。「個室収束」と呼びましょう。学生になったら家庭から出て一人で住むことからはじまり、恋愛の場としての機能、おたくの閉じこもり、結婚をしないまたは遅い人、離婚をした人、伴侶を亡くしたまたは離婚した高齢単身者など、様々な単身者にとってマッチした住宅形式となりました。クリックすると新しいウィンドウで開きます

画像はhttp://blogs.yahoo.co.jp/mori152329/13416939.htmlからお借りしました。

○シェアハウス  ~増加傾向で様々な事例も、「個室収束」の反転

ひとりで住むこと「個室収束」に限界を感じ始めた単身者やシングルマザーなどを対象とした「シェアハウス」が最近は増加傾向になってきました。とうとう反転しはじめたということではないでしょうか。シェアハウスに住む目的は、課題共有型、親和解脱志向、節約志向など様々なものがあります。また女性が多く利用しているという特徴があります。

今後の将来性も鑑みていただくために、シェアハウスの事例を前回までのブログ(第1回~第3回)で紹介させていただきました。参考にしていただければと思います。

画像はhttp://we-will.be/archives/192からお借りしました

■まとめ

人々の住まいについて、洞窟(本源時代)~縄文~農村集落~長屋(江戸時代)までは元々共有的・シェアハウス的なものだったようですが、今回は明治以降から現在まで検証しました。江戸時代まではおおらかだった人々が、明治時代以降に所有意識を少しずつ高めていき、家族形式は大家族から家庭、個室(住まいは、長屋~マンション~戸建~ワンルームマンション)へと変遷しました。ついに現代の住まいは各人が個室に入ってしまいました。

一方で、年々シェアハウスが増加しており、様々な事例も出てきています。各人が個室に入ってしまったことに限界を感じた層がみんなで住む形式のシェアハウスを志向しはじめたということです。シェアハウスという新しい住まい方から本源集団の再生がはじまったと言えるのではないでしょうか。

 

 

 

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