☆ランキング☆
にほんブログ村 経営ブログへ

最新記事一覧

最新コメント

最新トラックバック

2014年08月07日

第4回 次世代戦略研究会「近代市場の成立と金貸し支配」レポ1

DPP_0498 DPP_0501 DPP_0502 DPP_0504 DPP_0505 DPP_0521  
第4回 次世代戦略研究会「近代市場の成立と金貸し支配」

「市場とは?お金とは何か?」の追求、2回目です。

※前回レポート
第3回次世代戦略研究会「市場とは?お金とは何か?」その1
第3回次世代戦略研究会「市場とは?お金とは何か?」その2
第3回次世代戦略研究会「市場とは?お金とは何か?」その3
第3回次世代戦略研究会「市場とは?お金とは何か?」その4
第3回次世代戦略研究会「市場とは?お金とは何か?」その5

前回は、市場の起源~古代市場の誕生までを扱いましたが、今回はまずその復習から。
IMG_8138

そして、新たな試みとして「本文熟読・発表」形式での追求議論を試してみました。研究会の様子を、2回に別けてレポートします。

★本文熟読・発表形式とは?

IMG_8141これは、事前にしっかりと追求して論理的に組み立てられた文章を用いる事が前提となります。人類の観念能力は、不適応・不整合な状態を突破する為に生み出された機能の1つ。つまり、目の前の現実を捉え、まだ整合していない点をどうしたら整合させられるか?という視点こそが追求の源泉となります。そこで、日頃「わかったつもり」で流してしまうような部分に焦点を当てて、じっくりと読み込む中から、「気付き」や「可能性」、あるいは「追求ポイント」を掘り当てていく事で、参加者全員が頭を使いながら場に参加して行ける手法です。

実は近代教育や数多くの研修の類いは、「講義型」授業となっていますが、この「教える」形が、人々の追求力に蓋をしてしまっているのです。受講者は、ただ聞くだけで「だいたい解ったつもり」になり、それ以上は考えない。つまり、全く追求しない。結果、何も進展しないままに終わってしまう。教える教育は、人材育成の弊害にしかなっていない、という事実から編み出された類グループ独自の手法です。

という事で、改めて熟読形式での復習からスタートしました。

にほんブログ村 経営ブログへ

テキストは、「るいネット」に多数蓄積されている歴史認識を編集して作成された、グランドセオリー
「経済破局は来るのか?~金貸しが創りあげた近代市場の崩壊~」
から一部を引用して行われました。

復習とは言え、テキストを熟読してみると、やはり出てきました。気付きだけでなく、まだまだスッキリできない所、追求ポイントが発掘され、会場全体が追求モードへ。

◆市場の起源、おさらい

「市場の起源とは?」まとめ
○市場の起源は、物々交換ではない
○略奪戦争前は、集団間緊張緩和のための贈与
○生活必需品(食料)を他部族にゆだねる部族などいない
○原資拡大の1つ目の手法:略奪

市場拡大=原資拡の原動力。その原動力とは・・・
1.略奪
2.だまし
3.幻想共認
4.価格格差

以上の前回復習を通じて出てきた、新たな疑問。

Q:集団間の緊張緩和が必要だったのは解るが、なぜ交換ではなく贈与なのか?

A:相手集団に対する友好関係を築こうと思った時に、いきなり交換を求める事はあり得ない。交換とは“見返り”を期待するものであり、贈与は“相手に喜んでもらうこと”だけを考えた行為。初対面の方にいきなり見返りを求められて、好感を得ることは無い。これは現代人にも深く残っている心理であり、例えば“引越しそば”なども見返りを求めて配るものではない、という事例にも当て嵌まるもの。

Q:幻想共認の基となった「希少価値」って何なの?なぜ希少だと思ったのか?

A:贈与物に使われていた物は、部族ごとに異なるが、各部族内の精神的支柱とされていた物が対象となる。縄文人は黒曜石、南国のパラオやヤップ島等では宝貝や樹木、大きな石貨など、祭祀や装飾品として使われていた物が届けられている。

これら贈与の品々は、恐らく当時の人々にとっての精霊信仰や守護神信仰とも綿密に絡んでおり、自集団にとっての貴重品であったからこそ、相手に渡すことで喜んで貰える、という可能性収束先としての行為であったのだろう。人類集団の原点はやはり「同化」にあり、自分たちの充足源は相手にとっての充足でもある、という本源性は現代人の心にもしっかりと残されている。むしろ、近代市場の行き詰まりを突破する可能性すらも感じさせる部分。

◆近代市場の成立過程

DPP_0494さて、ここから今回の本題に入って行きました。略奪物を原資としつつ、武力支配によって力を蓄えていった古代王国が成立。力の序列によって統合されると、税の収奪により圧倒的な力差が形成され、力では覆せない。この序列闘争の“抜け道”として登場したのが、市場

財産を蓄えた王侯貴族を相手に、その土地では手に入らない物を“希少価値”として売りつける事によって、ジワジワと財の掠め取りをして行ったのが、商人。いずれの国家にも属さず、道(交易路)の支配者となっていった者達。つまり、遊牧部族の末裔で、かつ略奪闘争の果てに山賊や海賊として生計を立てていた者達。道の支配者とは情報の支配者でもあり、周辺諸国の情報を外部から掴み、巧みに価格操作をしながら差益を生み出して行った

Q:幻想価値を共認する観念はどのように展開、共有されていったのか?

20110507121358903A:希少価値を高める事自体が、観念によるもの。当初、交易に使われていたラピスラズリは、青い鉱石の中に光る物質が含まれている。暗闇の中で光り輝くもの。夜空の星空を思わせるような幻想的な物質を、言葉によって価値に置き換えていく。例えば、「空から降ってきた“星の欠片”でめったに手に入らない代物だからこそ、王族のような力のある方に相応しいものなのです。」と売り込まれれば、王様も悪い気はしない。喜んで褒美を使わす、というような形で、拾ってきた石が宝石に化ける仕組み。

Q:幻想価値であっても、交換した当人がそれで喜んでいるのであれば、問題なさそうにも思えるんだけど…

A:騙されている事に気付かないから、騙しが成立する。ばれなければ良いという発想は、秩序破壊に繋がる行為であり、実際に世の中の不均衡の原因にもなっている。詐欺が許される社会を認めるに等しい行為であり、決して正しいとは言えない。

議論はここから、貨幣~紙幣の流通過程へと進んでいきます。

本文熟読・発表形式により、参加者相互に気付きを共有しあい、追求ポイントをさらに深めていくような流れとなりました。
一般的な勉強会や講演会などは、講師の話している事をひたすら聞くだけで、殆ど「解ったつもり」になって、参加者自身が何も追求せずに終わってしまいます。しかし、今回は全員で同じテキストを読み込み、参加者の発表内容自体が気付きや疑問を深めていく。

また、議論というと「それぞれの主張をぶつけあうこと」と捉える向きがあるが、果たしてそのような主張合戦から「新しい気付き」がどれくらい生み出されるものか?と考えると、極めて疑問が残る。「朝まで生テレビ」のような不毛なやり取りは、結局答えが出ない事が始めから解っているようなもの。

むしろ、日本古来の「寄り合い」などに見られる「全員一致の合意形成」こそが、本来の集団統合の在り方なのだと、改めて実感。

参考リンク:寄り合いという合議制は徹底的なすり合わせ

以上、続きは次週をお楽しみに♪

 

コメントする

comment form

trackbacks

trackbackURL: