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2016年01月04日

共同体と教育~日本人なら、「やまと言葉」を大切にしよう~

あけましておめでとうございます。今日のテーマは「やまと言葉」。正月らしいテーマでご紹介したいと思います。名詞の多くは漢語です。でも動詞になったら、ほとんどが大和言葉です。動詞で、蝶が飛ぶ、アリは這う、となる。すると、そこで蝶は何してるの?アリはどうなってるの?と次の問いが出てきます。何かを問うて考えようとしたら、動詞でなければダメということになる。つまり「やまと言葉」は追求ことばなのです。

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山折哲雄×中村桂子の対談

「日本人なら、「やまと言葉」を大切にしよう―動詞で考えることで見えてくることがある」

山折:源氏物語で言いますと、明治以降、谷崎潤一郎をはじめとして瀬戸内寂聴さんなど多くの方が現代語訳に取り組まれましたが、みんな標準語なんですね。でも本当は京都が舞台ですから、なぜ京都ことばにしないのかという問題がありましてね。これを現代の京ことばに訳した方がいるんですよ。京都の中井和子さんという国文学者です。それを声に出して読むと、それだけで、すっとあの時代に行ける。そういう点では方言といいますか、その土地土地の言葉で表現するということが大事ですね。 大和言葉のすごさは、そういうところに出てくると思います。

中村:それは読んでみたい。実はもうひとつ、「動詞で考える」ことをしています。生命誌研究館には年間テーマがあり、最初が「愛(め)づる」で、それから「生る」「めぐる」「遊ぶ」など生き物らしい言葉で考えてきました。小泉純一郎首相がワンフレーズ政治と言われていましたね。

山折:連体止めね(笑)。

中村:ワンフレーズだと、「生命尊重」となるわけです。これでは「ああそうですか」で終わりです。でも動詞で考えると、蝶が飛ぶ、アリは這う、となる。すると、そこで蝶は何してるの?アリはどうなってるの?と次の問いが出てきます。何かを問うて考えようとしたら、動詞でなければダメということに気がついて以来、ここでは動詞で考えるということにしているんです。

山折:いいですね。名詞止めは、頭の中だけの話ですよ。動詞は暮らし、生活そのものを表しますからね。

中村:名詞の多くは漢語ですよね。でも動詞になったら、ほとんどが大和言葉です。動詞で柔らかく考えていくのは、生き物を考えるのにいちばん適しています。さきほどから山折先生は技術の暴走をご心配なさっています。私もそれはよくわかりますし、考えなければいけないと思いますが、動詞でじっくり考えていると、「できることは何でも勝手にやる」とはなりません。

山折:なるほど。その動詞で考える主体は人間ですが、その人とか人間を表す大和言葉は何かというと、「一人」という言葉です。これは「人」から出た言葉だと思います。「人」という言葉を生み出した考え方の基礎にあったのは「一人」。だから行動する主体は一人。一人を非常に大事にした文化だと私は思うようになりましたね。その一人というのは、平仮名の「ひとり」、一人(いちにん)の「一人」、それから孤独の孤を「独り」とあてる。
一人という言葉が最初にどこに出てくるかというと、万葉集に出てきます。

中村:どの歌でしょう。

山折:柿本人麻呂の「あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」という歌です。人を思いやって一晩待って寝る。思いやるという人間関係が背後にある。これが中世になると、親鸞の『歎異抄』の中に出てきます。「弥陀の五劫思惟の願を よくよく案ずれば ひとへに親鸞一人がためなりけり」というところ。阿弥陀の救済力は万人に注がれる力だけれども、よくよく考えると自分一人にだけ注がれているという意味です。信仰告白ですね。それが近代になると、福沢諭吉の「一身独立して 一国独立す」の独立。あの独立をわれわれはインデペンデンスという英語の翻訳だと思っているし、その通りだろうけれども、「独り立ち」と読んでいたに違いない。そこにもやっぱり「ひとり」が入っています。

 

【日本文化には「一人」の伝統がある】
中村:人麻呂の歌から独立へ繋がっていく。驚きました。

山折:そうするとね、日本の文化の中で、個人ということを考える場合、「一人」の伝統を考えることは必要じゃないかと。これをわれわれは戦後やってきていませんよね。大和言葉の復権のためには、一人と個をどう考えるかが、どうしても必要だと思うようになってきました。

中村:大事な御指摘です。その一人は、いわゆる屹立している個というよりは、もうちょっと柔らかく、自然を含んだかかわり合いの中にいる「一人」のような気がします。

山折:だから虫愛づる姫も、虫と対面するときは一人だったと思いますよ。

中村:なるほど。日本人は個が確立していないなどということはないですね。ただ確立の仕方が西洋とは違うだけで。

山折:それは自然とともに一人でいるわけです。

中村:生命科学と生命誌の大きな違いがそこです。科学の場合は客観性を大事にしますから、すべてのものを外から見る。だけど生命誌は、38億年の生命の歴史をずっとたどって来ると、自分もその中にいるのです。

 

 

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