2016年05月18日
全員経営~自律分散型イノベーション企業④~釜石の奇跡・・・Ⅰ.防災教育のきっかけ
「釜石の奇跡」を皆さんはご存知ですか?
岩手県釜石市は、東日本大震災において津波の直撃を受けながら、小中学生たちの生存率が99.8%という驚異的な数字を記録し、「釜石の奇跡」と呼ばれています。この奇跡を実現した根っこには、一人の学者による地道な津波防災教育があります。
前回までの記事は
・①プロローグ
・②ヤマトは我なり~クロネコヤマトの挑戦
・③ヤマトは我なり~バスとの連携
今回は企業とは違いますが、自立的組織の一つの作り方が浮かび上がります。
一般的な防災教育は、ルールやマニュアルを教え、災害発生時に秩序ある行動が取れるようにしようとしますが、現実にはその通り、行動できるかどうかは不確実です。一方、その学者が行った防災教育は「率先して逃げる」「家族のことも気にせず逃げる」と、一見無秩序のカオスを引き起こすような内容でありながら、実際には生徒たちを自己組織化させ、他者も助けていく結果を生み出しました。ではその「釜石の奇跡」に至る経緯を、Ⅰ.防災教育のきっかけ、Ⅱ.姿勢の防災教育、Ⅲ.避難の三原則、Ⅳ.3.11避難のとき、と4回に分けて見て行きまます。今回はⅠ.防災教育のきっかけ、です。
◆ 指導者・片田敏孝教授が語る「異色の教育」の全容
< 子どもの命という最大の関心事を通して親たちや地域を巻き込む >
群馬大学広域首都圏防災研究センター長片田教授が三陸の地に足を踏み入れたのは2003年。その年の5月、東北各地で震度4~6を観測した三陸南地震の際の住民の避難行動を調査するためだった。避難率は津波が予想されたにもかかわらず、わずか1.7%、50人に1人にも満たなかった。
三陸地方は1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸大津波と周期的に巨大津波が来襲する。もし今、それが現実となったらどうなるか。防災教育の必要性を呼びかけると、応えてくれたのが、明治三陸大津波で住民の3分の2を失いながら、住民の危機意識の低さに悩んでいた釜石市だった。片田は防災講演を繰り返した、毎回、来場者は意識の高い同じ顔ぶれだった。
「問題は来場しない人たちとのコミュニケーションのチャンネルを持てないことでした。ならば子どもたちの教育に取り組もう。10年で子どもは大人に、もう10年で親になる。20年ふた区切りでやり抜こうと腹をくくりました。これにはもう一つ腹積もりがあって、子どもの命という最大の関心事を通して、親たちを、さらには地域を巻き込むことでした。」
学校での防災教育の第一歩は、子どもたちに一つ質問をすることだった。
「家で一人でいるとき大地震があったらどうする?」。「お母さんの帰りを待つ」と大半が答えた。回答を親に見させ、「次の大津波のとき、お子さんは生き延びることができますか」と尋ねた。
翌日、学校の電話が鳴りまくった。「子どもたちへの津波防災教育はどうなっているのか」。狙いは的中した。
『子どもを守る』というキャッチフレーズは、地域の共認形成しやすい重要なキーワードである。しかしそれを“大人の課題”にしてしまうと一方通行になってしまう。子どもを守るという課題に子ども自身が取り組むことが、親自身の課題意識に連鎖する。こうした災害対策であれ、社会問題であれ、子どもたちを巻き込むことが、大人自身を大きく動かす重要な要素なのです。
- posted by komasagg at : 21:10 | コメント (0件) | トラックバック (1)
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