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2015年08月16日

共同体と死生観~「唯一絶対神」と、「八百万の神々」の精神性の違い~

日本人は無宗教だとよく言われます。本当でしょうか。日本人と西洋人。明らかに異なる精神性の違いについて紹介します。

前回記事
生命循環
死を忌み嫌い遠ざける現代社会
命の重みを知る営み
江戸期までの日本人の死生観
自分の中に光がある。一神教の神を持たない人々

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月刊極北 西洋列強と日本~西洋文明と日本文化

神により霊魂を与えられ、神から祝福されているのが、ただ人間のみであるとしたら、人間は神の意を体して、万物・自然に働きかけて改造し、積極的に万物・世界を変えていかなければならない、それが人間の使命だ――そういうリクツにならざるをえません。唯一の神をおのが後見人として独り占めにし、その金看板のもとで万物(自然・世界)に対してフリー・ハンドの振る舞いに及んでよしとする、まぁ、呆れるほど傍迷惑な人間至上主義ではあります。

彼ら西洋人の文明・文化の、そうした側面は、彼らの言葉の使い方にも表れています。英和辞典をみると、たとえば state of nature は、「未開・野蛮の状態、野生、(宗教的には)天恵に浴さない罪人の状態」とあります。これだと、natureは “文明による改造” の対象であり、”矯正” の対象ですらあります。また native という単語があります。その国・土地に生まれた、という意味ですが、白人の世界観からすると、土着民・原住民・土人を指します。やはり、積極的に働きかけて文明化・近代化すべき対象です。彼らの価値観では、natureにせよnativeにせよ、否定・改造の対象であって、それ自体が尊い、という感じ方はもちろんありません。

洗礼

ところが、ぼくら日本人は、人間だからといって自然よりも立派だとか尊いというふうな、人間を特別視する考え方にはそもそも馴染めませんでした。万物・自然のもとで、人間もそのメンバーとして、ほかの生きとし生けるものたちとともに自然の富を享受し、ひとしなみに生きてきたわけですから。何千年も前から。

宗教と言ってよいのかどうか、神様も八百万の神々を崇め、仏様も草木国土悉皆成仏を信じて、生き生かされてきた、長い長い歴史を考えると、唯一絶対の神の代理人として生きてきた人たちとは、文化の質みたいなものは自ずから違ってくるのではないでしょうか。

ご神木

このように書くと、西洋人たちは得たりとばかりに決めつけてくるでしょう。 “それだと日本人は、自然と同じじゃないか、人間になっていないじゃないか” と。あるいは次のように言うかもしれません。 “ヒトが人間になるには神様の存在が必要不可欠であるのに、キミタチ日本人には神様がいないじゃないか” と。

西洋人の言わんとするところをぼくなりに噛み砕いて言うと、こうなります。

我々西洋人は神様から、一人一人が別々に、その人その人の「精神」spiritをインスパイアーしてもらっている。肉体という名の自然に、神様が「心」ないし「魂」を吹き込んでくれているのだ。我々はそういう存在だからこそ、「一人」という「存在」にかけがえのない価値があることを確信できるのだし、であればこそ「個人の人格」というものに侵すべからざる尊厳を認めることができるのだ“と。

彼らの言う通り、「一人」「存在」「個人」「人格」などの概念は、「唯一絶対の神」への上記のような信仰(=キリスト教)があるからこそ、成立するのかもしれません。そして、「自由」「平等」などの価値にせよ、「民主主義」や「ヒューマニズム」の理念にせよ、それらが生まれてきたのも、やはり「唯一絶対の神」への信仰があってのことなのでしょう。

そもそも、人間という存在の捉え方が、西洋人と日本人ではまるっきり違うので、「精神」が意味するところも全く違ったものになっていたのだと納得しました。

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