2013年08月25日
未来を拓く、社会事業の可能性-5- 自分たちで共同体社会を実現する。
社会事業の可能性シリーズでは、ここまで社会事業を取り巻く状況を俯瞰し、多くの実例を紹介してきました。
これまでの記事のポイントを簡単に整理します。
未来を拓く社会事業の可能性-1- なぜ今社会事業が注目されているのか?(リンク)
今、社会事業が注目されている背景を、意識潮流や社会事業の歴史から分析しました。
社会背景:社会閉塞から来る危機感と、人々の活力源が大転換(私権(お金や地位)から共認充足へ)
企業の価値転換:企業も利益追究第一という従来の企業の枠を超えないといけない時代へ。
未来を拓く社会事業の可能性-2- 成功事例から学ぶ社会事業継続の秘訣 (リンク)
企業の枠を超えた企業の事例として、社会事業を目的としてつくられた企業を紹介しました。
・充足発の提案:理屈抜きで良いと感じられる充足発の提案あることが重要。自然と仲間も集まり成功の可能性が大きくなります
・今あるものの組み合わせ:今ある技術、施設、人などをどう組み合わせて使っていくかが重要
・供給者のネットワーク化による事業継続性: 互いに供給し合う信認関係のネットワークが、継続的に新たな可能性を発掘し発展性を実現している。
・現実直視:身近にある違和感や、ちょっとの工夫で良していくなど、生活の場(現実)に直結した場を変えていく事業。
未来を拓く社会事業の可能性-3- 企業の枠を超える時代(リンク)
一般企業が本業を持ちながら、新たに社会事業に取り組み始めた事例を紹介し、市場時代と現在での企業の変化を分析しました。
・喜んでもらえるなら何でもやる姿勢:充足を軸として業界の枠を超えた事業を展開。経営効率という発想とは無縁。
・地域の経営も企業が担う:地域や社会の課題そのものを担い、地域の期待に応える。グローバリズムと全く逆の経営路線。
・信任関係による企業ネットワークの構築:みんなで力を合わせて事業を実現する充足が軸。得意な分野を活かし合う対等な関係。
利益追求第一の時代につくられた企業の枠を越えていく事がこれからの企業には求められている。
未来を拓く社会事業の可能性-4- 市場が作り出した枠組みの崩壊⇒地域共同体の再生(リンク)
複数の企業や集団による組合などで行う社会事業を紹介しました。
・市場社会がつくり出してきた概念の融解:生産者と消費者が一体となって社会や生活の場そのものをつくっていく活動に変化。
・第一次産業を基盤とした自給志向と地域共同体の再生:一次産業を基盤に自給し、他地域に依存しない自立型の経済圏を構築。
・最先端の根源回帰:根源回帰・本能回帰の潮流が、第一次産業と結びつき、地域共同体を再生する。
ここまでに紹介してきたように、現在は、様々な形で社会事業が立ちあげられ、これらの社会事業が社会を変えていく礎になっていくのか非常に楽しみなところです。
しかし、新しい社会は一朝一夕に形成されるものでもありませんし、社会事業の多くがまだまだ模索中という段階です。
今回は、これらの活動、事業が次の社会を築く礎となり得るのか?今後どのような姿で進化してゆくのか考えてみます。
今後の社会像を描くためにも、まずは背景にある最先端の意識潮流を押さえます。
■意識潮流:脱市場から根源回帰、自給期待・自考志向の生起
バブル崩壊以降、相次ぐ企業の破綻や不祥事、繰り返される国家財政危機、08年リーマンショック、3.11東日本大震災と国家レベルの危機が次々と起こる中で、人々は大きな不全感を心底に蓄積し続けてきました。
そのような状況にも関わらず、アベノミクス、TPP、原発再稼動、消費税増税、不正選挙などをなんの衒いもなく推進し、盲目的に市場拡大を強行するマスコミ、学者、官僚、政治家の暴走振りは目に余ります。
大衆は特権階級に不信感を募らせ、さらには、お上を見限り自分たちで何とかしなければならないという意識が急速に顕在化しています。
今後、市場拡大を軸とした統合原理では全く統合できなくなり、制度と意識の断絶はますます拡大していくことは間違いありません。
’12衆院選~’13都議選・参院選の不正集計で、大衆は支配層を見限り、自分たちで考え始めた より抜粋
’11年3・11原発事故で顕在化した危機感⇒支配層に対する不信感(判断)こそ、史上初めて大衆がマスコミ支配(洗脳)から脱して主体的な判断を下し始めたことの顕れであり、そういう意味で3・11は大衆意識の画期的な転換点となった。
但し3・11では支配層に対する「おかしい」という不信(否定)に止まっており、その意味では受身の反応で、真に主体的な決断(実現)には至らなかった。
しかし、’12年12月の不正選挙=民主主義を破壊した支配層の暴走を見て、遂に知的インテリ層を始めとする大衆(の3割)は、絶望感と共に「もはや、これまで」「もう、お終い」という形で、支配層(or現体制)を見限り、脱体制の方向に舵を切った。
この「支配層を見限った」とは「もう、お上には頼らない⇒自分たちで生きてゆく」という決断に他ならない。
これは史上初の、大衆の主体的決断であり、3・11以降の「判断」と’13年初頭の「決断」こそ、共認革命⇒共同体社会の実現の出発点となるものである。
この共認収束の潮流は、今後100年は続く大潮流であり、現在も私権から共認への大転換は進行中である。そして、その途上の’11年、3.11と統合者たちの暴走を契機として、大衆はマスコミの洗脳から脱して主体的判断を下すようになった。
そして、’12年衆院選と’13年参院選の不正集計を契機に、遂に大衆はお上を見限り始めた。そして、この大潮流は遂に「自分たちの手で作り出せる能力」あるいは「自分の頭で答えを出せる能力」への期待、云わば自給期待(自考思考)の潮流を顕在化させた。これらの潮流が指し示す次の社会は、おそらく「自分たちで作ってゆく」共同体社会となるだろう。
共同体社会に向かう大潮流の中に、事例紹介に挙げたような社会事業も位置づけられます。そして、多くの社会事業を生み出す原動力となっているが、まさに大衆の脱市場から根源回帰の潮流と最先端で生起している自給期待、自考志向の意識です。
これらの意識の先に、実現すべき共同体社会の姿があります。
では、その新しい社会を実現していくために、社会事業として注目すべき点は何なのでしょうか。また、実現すべき共同体社会の姿はどのようなものなのでしょうか。
■共同体社会を実現する社会事業
社会全体が大きく共同体社会に移行していく中で、多くの社会事業が登場しています。社会事業が中核となり、変革を推進していくには以下のポイントが重要でしょう。
実現すべき、脱市場・自給・自考の社会像を持ち得ているか。
社会企業家やNPOなど社会貢献を標榜した活動は多数見受けられますが、市場を前提とした社会像や本質が市場の補完物となってしまうような活動では、脱市場や自給期待に応えていくことはできず、結果、新たな社会の構築には向かいません。重要なのは、それらの活動の先に皆の期待に応えうる社会像が描かれ、その実現にベクトルが向いているかどうかです。
現実に根差した生産集団
社会事業は社会統合課題といえます。そして、社会統合は全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保障されなければなりません。しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことができる半事業組織でなければなりません。
ですから、実現性・継続性を考えれば、生産基盤をもった企業・集団が半専任で担う事業になると考えられます。
企業・集団という枠を越えた関係構築
ひとつの企業・集団が個々に社会事業に取り組んだとしても、ばらばらな状態では社会の構築に向かわないでしょう。
活動を継続し、社会の期待を事業化し、実現するためには、ネットワーク化が不可欠です。
おそらく、共同体企業や集団の複層的なネットワークとなり、ネットワーク内やネットワーク間で学びあい、協働関係や認識闘争関係の構築が突破口となります。
いくつもの企業ネットワークと地域ネットワークが相互に連携していく先に、市場の枠を超えた自給体制の構築、さらには共同体社会の実現があるのだと思います。
「実現論:4部 場の転換 ト.万人が半専任(副業)として参画するhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=9&t=7」より引用
彼らに代わって、万人が参画して、社会を統合するための新しい組織が必要である。今や誰もが、行き詰まったこの社会を変える必要を感じている。
万人が属している社会を統合する仕事は、万人によって担われなければならない。それに本来、社会を変革し、統合してゆく仕事ほど、面白い、充実できる仕事は他にない。
集団原理を超えた社会統合システムの原型となるのが、半専任(副業)の人々で組織されたネットワーク集合である。共認の輪を広げてゆく仕事の成果に応じて収入を保障するシステムによって組織されたネットワークの下では、各人の思想や集団の違いなど、どうでも良くなる。
■共同体社会の姿
すでに特権階級を見限った大衆は、地域の生産者のネットワーク形成や食糧自給、エネルギー自給の模索等、脱市場、脱体制に向けて動き始めています。
この自給志向の潮流は、自然の摂理に則った生産・生活への回帰や人類本来の活力源である共認充足を高める業態や体制に回帰する意識を形成していくと思われます。
日々の生産活動を通じて、自分たちで摂理や充足できる形を追求し、実現態を塗り重ねていくことこそが「自主管理」、すなわち「自分たちが生きる場を自分たちでつくっていく」ということであり、その過程において、企業や地域、行政の有り様や働き方などすべてが変わっていくでしょう。
では、企業や地域、企業同士の関係はどのような姿になっていくのでしょうか。
企業:共同体化とそのネットワーク
・企業の共同体化
共同体社会の実現過程において、大衆の自主管理を前提とすれば、原点となるのは、現実に根差した生産体=企業です。つまり共同体社会の基礎単位は企業であり、各企業単位で生活基盤の確保、人材育成、体制構築、方針決定等を全員が自考・自給していくことが大きな方向性だと考えられます。
成員の充足を軸とする共同体企業では、社会的期待を追求し共認する場の運営と、その期待に応えていく生産活動が主要な課題となります。
・共同体企業のネットワーク
また、企業間の関係も、共に社会を実現していける志を共有し、実現に向けて協働していく関係へと大きく変化していくでしょう。社会的期待への応合や集団内の自給は、単一の企業で完結することは現実的には考えられません。共同体企業同士が信任のネットワークを構築し、各企業の得意分野を生かしながら皆が求める新しい業態を生み出し、実現の過程で共に切磋琢磨し、圧力を高めあうような姿が共同体社会における企業の関係となるでしょう。
・業態革命:仕事=社会事業
企業間の高い共認圧力やネットワーク間での圧力の高まりによって、企業、ネットワーク総体としての活力、認識力、可能性収束力等が問われる社会となるでしょう。
当然、己のことしか考えない私権企業は、市場に立脚した本業はとことん縮小し、淘汰の圧力に晒されることになります。仕事は常に社会貢献と一体であることが求められ、すべての本業が社会事業である状態へと移行していくでしょう。
参考:江東園、うちの実家、大里綜合管理
地域:市場の限界⇒地域共同体の再生
共同体社会における地域の姿としては、地域内の住民、企業が協働し、食糧、教育、介護、エネルギーなど必要な生産は自給していくことが大きな方向でしょう。
つまり、市場社会では常に分断されてきた生活(消費)と仕事(生産)が融合し、誰もが生産の当事者として地域に関わっていく形だと思われます。(参考:地方自治は今後どうなるのか)
事例編で紹介した大宮産業、大里綜合管理、中島工務店、工房おのみち等のように、現在すでに地方ではその萌芽がみられます。
共同性が残る地方では、完全に分断されてしまった都心部とは異なった形でネットワーク化されていくでしょう。
実際、急激な市場縮小により多くの地方ではどうやっても儲からないという現実におかれています。その現実を直視し、自分たちでなんとかしていくしかないという状況認識のもと、地縁を中心とした人間関係を基盤に企業や住民の協働ネットワークが形成され、地域の共同体化が進んでいます。
市場から取り残された地域は、一見遅れているとみられがちですが、そこで生まれている意識や生産活動の在り方は、実は最先端の可能性を秘めているとも捉えられるのではないかと思います。
行政・NPO:企業と行政という枠組みも融合。
企業は利益を追求し、利益にならない部分を補うのが行政、NPOという市場社会で形成されてきた概念も大きく転換していくでしょう。市場の中で商売として成り立つものは企業が担い、儲けがなくても確実に必要なものは国が運営し、その両方に当てはまらない環境保全、地域安全等についてはNPOが行うという構造であり、行政やNPOはあくまで市場の補完物として存在しているのが現状です。
しかし、事例紹介のコープ沖縄やなつかしい未来創造株式会社、デンマークの生協のように、
企業や地域ネットワークが、行政・NPOが担ってきた部分を事業として取組む流れも生まれていることから考えれば、企業、行政、NPOといった枠組みがなくなり、あらゆる課題を企業や地域集団で担っていくという姿も実現していけるのではないかと思います。
そしてその延長線上には、共同体企業とそのネットワークによる統合機関の担当交代制も可能性として十分に考えられるでしょう。
参考:実現論 序7.企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする
■共同体社会を統合する新理論
新しい社会を描き、実現していくには、旧観念に変わる新理論の構築が不可欠です。現実社会を統合する新たな理論は現実を生きる大衆の英知によって構築される必要がありますが、いまだその理論は構築されていません。
今後も数多くの社会事業が登場してくると予測されますが、想いがあっても、ただ集まるだけでは、答えは出ず、旧来の社会運動に絡め捕られて何も実現できない状態に陥ってしまうことは明らかです。
新たな社会像を描き、共同体企業、企業NW、地域NWを統合し、確実に実現していくために、必要な不可欠である理論の構築に対する欠乏は今後ますます顕在化していくでしょう。
「実現論:4部 場の転換 ト.万人が半専任(副業)として参画する」より引用
この全く新しい万人参加の社会統合組織を導き、新時代を拓くみんなの統合理論は、それ自体が大衆の叡智を結集して構築される必要がある。それを可能にしたのがインターネットである。例えばLinuxは、OS=基本ソフトの中身をネット上に公開した事によって、それを使った様々な追加や改良が可能になり、研究者から学生までが幅広く参加して今やWindowsを凌ぐまでに進化してきた。同じ様に万人を導く統合理論も、志ある人々の協働によって、進化しつづけてゆくべきものであり、その為にはこの統合理論はあらゆるイデオロギーから脱却し、確かな事実だけに立脚した科学的な理論体系でなければならない。
個々の即自的な価値観念では、相互対立を孕んで統合できないことは明らかであり、諸々の思想=即自観念を超えた事実の体系こそが、万象を照らす鑑となり、社会統合の要ともなる。
事実の体系だけが、万人による『みんなの統合理論』の構築を可能にする。我々が30年を費やして体系化した事実の史観『実現論』を、その最初の結晶核として、ここに提示したい。もともと実現論は、共同体・類の仲間が会議を重ねて、みんなで作ってきたものである。それを延長して今回、実現論はサイト上でも公開され、各時代毎・テーマ毎の投稿板が用意された。多くの人々の手で実現論が改良され、成長して『みんなの統合理論』へと進化してゆくことができれば、これに過ぎる喜びはない。
類グループの社会事業部では、以上のような認識をもとに、社会事業として、新たな理論の構築と企業の共同体化とそのネットワークの構築に取り組んでいます。
現在、企業の共同体化に向けて様々な勉強会が開催され、どれも盛り上がりを見せており、皆の生きる場を皆でつくっていく社会を目指して、企業の共同体化が着実に進行中です!
新概念勉強会 開講!
類グループ社会事業の認識勉強会・研修会、盛り上がっています!(前編)(後編)
特別企画 新概念を応用したプレゼン講習会
新概念勉強会 成果発表会
第1期
第2期(前編)(後編)
第3期突撃レポート1、2、3、4
また、企業ネットワークの輪も広がりつつあり、その中には本業で成果を上げながら社会事業に取り組む企業もあります。
あきゅらいず美養品
「あきゅらいず」 = 原点回帰という社名にも表れているように、本業で成果をあげながら、あきゅ農園・森の食堂(地域開放の社員食堂)、森の楽校(出会いと創造の場)を運営し、お客様や地域の方々との連携を深め、地域共同体の再生に取り組まれています。
詳しくはこちら
丸二
東京武蔵野地域の方々と一緒に加子母に行き、森林体験を行いながら、森を守ることの意味を学習し、実際に目にして触った「ひのき」で、自分たちの家を建てたり、リフォームをしたりしようと「加子母森林ツアー」を開催。
「森を守ること」「食糧自給率を上げること」「子どもが心身ともに健康に育つこと」に、事業として挑戦されています。
詳しくはこちら
業界分析の社会事業編を通じてご紹介してきたように、日本各地でも次々と新たな社会事業が登場しています。共認社会の実現の可能性は大きく開き始めています。
企業としても、この新たな潮流にいかに柔軟に適応できるかが求められているのです。
- posted by misima at : 21:14 | コメント (0件) | トラックバック (0)
コメントする