☆ランキング☆
にほんブログ村 経営ブログへ

最新記事一覧

最新コメント

最新トラックバック

2020年09月04日

【実現塾】~人類はなぜ移動していったのか? なぜ寒い北方に行ったのか? なぜ可能だったのか?

ここまで、サル・人類の追求から、サル・人類だけがもつ「共認機能」の起源構造、人類の祖先が「カタワのオランウータン」であること、人類だけがもつ「観念機能」の起源構造を見てきました。
この史観からくる構造認識は、大転換期の現在から未来に向け、何を守り・何を変えていくのか、その羅針盤となる摂理になります。

【実現塾】~ 原猿の登場
【実現塾】~ 原猿の(+)(-)価値混濁 → 親和本能の混濁 ⇒ 一体充足
【実現塾】~ 親和共認の母体の上に闘争共認が上部共認として形成
【実現塾】~ 自我とは何か? 自我肥大どうする?
【実現塾】~ 真猿(オナガザル)との縄張り闘争に敗れた原猿→新テナガザルの中から類人猿に進化
【実現塾】~ 人類の祖先は「オランウータン」
【実現塾】~カタワの母子オランウータンが観念機能を獲得し人類に進化していく

今回は、観念機能を獲得して人類になってから、人類はどのように進化していったか?
その際、未明ポイントとして、なぜ人類は長い距離を移動したのか?

ジャワ原人→2020.09.04

にほんブログ村 経営ブログへ

密林から逃げて海辺の洞窟に隠れ棲んだカタワのオランウータンは、奇跡的に生き残りジャワ原人にまで進化し、現生人類に繋がっていく。
【原人】・ジャワ原人:170万年前、身長1~1.5m、脳容量900㏄
北京原人:78万年前、身長1~1.3m、脳容量900~1100㏄
【旧人】・ネアンデルタール人:30万年前、身長1.5~1.7m、脳容量1400~1600㏄
【新人】・ホモ・サピエンス:20万年前~現在、身長1.5~1.7m、脳容量1350㏄

人類発祥の地スンダランドのジャワ原人から北京原人やアフリカ原人や南欧原人が枝分かれしていく。
30万年前のネアンデルタール人や4万年前のデニソワ人は、現生人類と交配可能なので、大きくは彼らも現生人類の一種である。
北京原人は日本の北海道くらいの緯度である中国・北京まで北上し、ネアンデルタール人はヨーロッパ~西・中央アジアにまで移動している。
さらに驚くことに、デニソワ人はヒマラヤ山脈からチベット高原を超えてバイカル湖付近(ロシア・アルタイ地方)にまで北上し、高地・寒冷適応している。

Q.何でこんな長距離を移動したのか? 何で寒い北方へ行ったのか?
極限時代の長距離の移動は「決死行」
普通に考えれば、その場所で適応して生存できるのなら移動する必要はない。行くしか生き残れない極限状況だから、生死をかけて移動する。
外敵が殆どおらず、果実や木の実が沢山ある「樹上空間」を失い、「地上の洞窟に隠れ棲む」しかないカタワのオランウータン(→ジャワ原人)は過酷な飢餓状態に置かれ続けたが、それは火山爆発や地震・津波などの自然圧力とともに、日常的にトラなど肉食動物の種間圧力からの危険に晒され、恒常的に極限の生存圧力がかかっていたから。
それゆえ、始原人類は、少しでも自然圧力、種間圧力(外敵)の脅威に晒されない地を求め続けたと考えられる。

Q.人類が移動・拡散し北上した理由は「食料」か「逃走(=安全)」か?
食べものは、ミズゴケ、海岸沿いに生えている木の実や、草や草の根、昆虫。危険を冒して夜間に洞窟から出て密林に行き、肉食動物が食べ残した頭蓋骨の脳髄や骨髄を探して啜る。しかしそれすら稀で、死肉に群がる蛆虫(うじむし)を食べなければ生きていけない。
温暖な地に居てもこれほどの恒常的な飢餓状態であれば、北上しても食料の状況は大きくは変わらない。
始原人類にとっての第一義課題は、食べることよりも何とか生き残るための逃走(=安全)と考える方が整合する。

Q.では、どうやってそんな長距離の移動を果たせたのか?
「カタワのオランウータン→始原人類」が隠れ住んだ洞窟のほとんどは、石灰岩が雨水などに溶かされてできた石灰洞で形成されている。
洞窟を形成する石灰岩は世界中にほぼ分布しているが、特に東南アジアに多い。
カタワのオランウータンが奇跡的に生き延び、観念機能を獲得してジャワ原人にまで進化できたのは、挑発機能と性充足を強化していった母子オランウータンだったからこそ可能であった(リンク)。
それと同時に、「海岸沿いに洞窟が多数ある東南アジア」という環境だったからこそ可能性があった。
(※アフリカの平原ではカタワのサルは生き延びられない。)
始原人類のジャワ原人は、安全を求めて海岸沿いの洞窟を転々と移り、長距離を移動し北上していったと考えられる。

Q.筏(いかだ)を使った海上移動を行ったか?
洞窟の外に出ればすぐに捕食されてしまう人類にとって、密林ではなく海岸沿いとはいえ、歩いて洞窟から洞窟へ移動するのは距離もあり危険すぎる
そのため、昼間でも肉食動物に襲われず、遠距離を移動できる「筏(いかだ)を使った海上移動」の手段をとったか?
ジャワ島の東側、インドネシアの南側のフローレス島のソア盆地で、人類の下顎骨1点と歯6点が発見され、その年代は80万年~65万年前と推定されている。
84万年前にインドネシア・スマトラで(7.4万年前の1/5規模)トバ・カルデラ(火山噴出量500Km3)が起こっているが、その後もジャワ原人が生存していることから、このトバカルデラで絶滅せず避難して生存したことになる。
その際の避難経路は、北の大陸側にしろ近隣の島々にしろ南のオーストラリアにしろ、距離のある海を渡る必要がある。
このことから、(78万年前に)観念機能を獲得したジャワ原人の初期段階で、複数の成人男女と子供を輸送しえる最低の安定性と耐久性を持つ筏(いかだ)を利用する航海技術を獲得していた可能性がある。
また、12.5万年前の遺跡から日常の広範囲で火の使用を示す証拠が発掘されている。
また、3万年前には「針と糸→衣服」が発明されていた報告もある。
観念機能を獲得したがゆえに、長距離を移動し北上できた。
観念による進化は、外圧への適応スピードがDNA進化とは比べようがないぐらい早い。
五感を超えた可能性に導かれた知能・技術の観念進化が、東南アジアのスンダーランドから長距離の移動を可能にしたのだろう。

Q.間氷期に北上したか?
地球の環境は殆どが氷期だが、約260万年前~ヤンガードリアス期(1.2万年前)は、氷期と間氷期の気候変動が明瞭に存在する。
酸素同位体比の変動パターンで101回も発生したという報告や、(北京原人が誕生した)78万年前に地磁気が逆転し、70万年前から10万年周期で氷期と間氷期の気候変動が起きたという報告がある。
寒冷化から間氷期に暖かくなると植生帯が変わるため、南方にいた動物は生存域を広げ北上する。
それによって、人類は、北上してきた動物から逃げて更に北上し、北方適応・高山適応していったと考えられる。

今回はここまで。
次回は、ここまでの内容の更なる追求ポイントは? それも踏まえた「人類の集団原理」について。

by麻丘

 

コメントする

comment form

trackbacks

trackbackURL: