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2015年02月19日

新聞の歴史とこれから⑪~マスコミの「中立」「不偏不党」の言葉に騙されるな!

このシリーズもいよいよ終盤です。過去記事を是非どうぞ!
①専業でも政治主張でもない、企業発の新聞が新しい
②瓦版の普及からみえる日本人の情報への関心の高さ
③新聞の登場とそれがもたらした日本への影響
④日本人による日本語の新聞の誕生と発禁処分
⑤読者の声(評価)が信頼を形成していく
⑥庶民向け新聞の登場と皆で記事を語る場で新聞は浸透していく
⑦発禁・廃刊こそが大衆発の印(しるし)
⑧今の配達販売につながる郵便報知新聞の登場
⑨戦争を契機に新聞社は社会的信用と商売の成功を獲得する
⑩新聞情報は受け皿となる組織内で熟成されて運動へのエネルギーになる
白虹
大正時代における新聞の大事件としては、前回の大正事変の他に『白虹事件』というものがあります。 このシリーズで度々出てくる御用新聞登場と合わせて紹介していきます。
御用新聞とは、民間新聞という形式を取りながら、政府の広報誌として政府の味方の立場で、記事を書く新聞のことです。
最初の御用新聞といえば、明治維新を支えた政治家でもある木戸孝允の出資により、明治3年に発刊された「新聞雑誌」、続いて明治4年には前島密の秘書である小西義敬が発行した「郵便報知新聞」があります。
さらに巧妙になっていくのが明治11年に創刊された「大阪朝日新聞」です。前々回紹介しました北海道官有物払い下げ事件(≒明治14年の政変)によって、新聞の力をまざまざと見せ付けられた伊藤博文は、その明治14~26年まで、政府として三井銀行と共に大阪朝日新聞に極秘の資金援助を行い、その見返りとしてある密約を結んでいたのです。その内容は

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大阪朝日新聞が、表面的には政府を弁護することなく『中立ヲ化粧シテ』見せることでした。これは政府による新聞政策の一つで、当時“多事総論”を是とする言論活動を巧みに統制するために「中立」言論を育成し、新聞界での支配権を握る為のものでした。(thinker参照)

また明治21年には伊藤博文の腹心である伊東巳代治が「東京日日新聞」を買収し、伊藤系長州閥の御用新聞としました。
このように政府は、一方では新聞紙条例などで弾圧を行い、一方では資金援助をするなど、飴と鞭を使い分け、共認市場を支配しようとしていたのです。

これを受けて新聞社は、会社として生き残るために政府への迎合路線を取り、他方、学校教育で骨抜きにされた記者が増えていきますが、中には政府に真っ向から立ち向かおうとする気概ある記者もいました。そうした状況下で、大正7年に白虹(はっこう)事件が起こるのです。
それは大正7年、ロシア革命に対する日本軍のシベリア出兵の開始により、コメ価格の高騰を見込んだ買占めから始まります。これに怒った富山の漁村の主婦たちが大挙して米屋に押しかけ、打ちこわしを始める米騒動が起きたのです。騒動はたちまち全国に広がり、東京、大阪、神戸などの都市でも焼き討ちや強奪の大暴動が起き、警察だけでなく軍隊まで出動する事態となりました。この米騒動の波及を恐れ、政府は報道禁止を命じ、その標的にされたのが大阪朝日新聞の大正7年8月26日付け夕刊の記事でした。

「金甌無欠の誇りを持つた我大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいてゐるのではなからうか、『白虹日を貫けり』と昔の人が呟いた不吉な兆が黙々として肉叉(フオーク)を動かしてゐる人々の頭に電のやうに閃く。」
*金甌(きんおう)無欠:傷のない黄金のかめのように、完全で欠点のないこと。国家が強固で、外国の侵略を受けたことがないことをいう。

この中の『白虹日を貫けり』という一句は、荊軻が始皇帝の暗殺を企てた時の自然現象を表したもので、内乱が起こる兆候を指す故事成語です。(日は始皇帝を、白虹は凶器を暗示) これに反応した大阪府警察部新聞検閲係は、筆者の大西利夫氏と編集人の山口信雄氏2人を大阪区裁判所に告発し、検察当局は大阪朝日新聞を発行禁止に持ち込もうとしました。
また関西では大阪朝日新聞の不買運動が起こり、さらに右翼団体「黒龍会」の構成員によって、大阪朝日新聞村山龍平社長の人力車が襲撃される事件も起きました。
事態を重く見た大阪朝日新聞は、二度と政府批判しない「不偏不党」の方針を掲げ、発行禁止処分を免れました。その他の新聞各社もこれに追従し、以降政府を激しく追及するような言論は、新聞界から影を潜めていくことになるのです。この白虹事件は「ジャーナリズムの死」ともいえる重大な出来事だったのです。

私は、これまで新聞を含めたマスコミが言い放つ「中立」「不偏不党」という言葉は「公正」「正義」の象徴と捉えていましたが、こうして歴史を押さえて改めて考えると、いかに表面的でイカガワしく「政府の批判から逃れるため」実は「政府寄りであること」を誤魔化す言葉であったことがよく分かります。
武力行使の権力を持つ政府に対して、バラバラに解体された個人(当時は家族単位か?)が対抗できるはずもない。辛うじて対抗できるのは大衆の声を結集できる新聞等のマスコミしかないのです。「中立」という傍観者の立場ではなく、新聞社が徹底的に大衆の立場に立って初めて、政府と大衆とのパワーバランスが取れるのです。とすれば新聞社自身が自らの存在意義を見失ったことが、現代における新聞低迷の要因ではないか、と考えるのです。

 

 

 

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