2016年07月28日
全員経営 自律分散型イノベーション企業⑩~時代にかみ合うために古い規制や固定観念を取り払う
前回は、官僚組織のようなツリー型組織より、非ツリー型組織(セミラティス)の方が可能性があり、それは大規模開発された人工都市より京都の町並みの方が居心地良く感じるのと同じである、と書きました。そのことをセミラティスの考えを導入した高松市丸亀商店街の再生を通して確認していきます。
今回も「全員経営~自律分散イノベーション企業成功の本質」(野中郁次郎・勝見明著:日本経済新聞出版社)をベースにしていきます。
ちなみに前回までの記事はコチラ
・①プロローグ
・②ヤマトは我なり~クロネコヤマトの挑戦
・③ヤマトは我なり~バスとの連携
・④釜石の奇跡~Ⅰ防災教育
・⑤釜石の奇跡~Ⅱ姿勢の防災教育
・⑥釜石の奇跡~Ⅲ「率先避難者たれ」の意図
・⑦釜石の奇跡~Ⅳ故郷を大切に想う心が皆の命を助けた
・⑧企業内特区が既成概念を突破する
・⑨非ツリー型組織に可能性あり
高松丸亀町商店街の起源は1588年と古く、四国でも「格の高い商店街」とされていました。売上高も通行量もピークを打ったのは400年祭が開催された1988年のことで、その年瀬戸大橋が開通します。
橋の開通で中央の大手資本が一気に流入すれば、郊外の大型店に対抗する方策を持っていない商店街は一瞬で消滅する、と予測した振興組合理事長は、「賑わいが100年続き、500年祭を迎えられるように」と、若手リーダーたちに改造計画の立案を指示します。
調査を始めると、地方都市の再開発事業は失敗例ばかりでした。駅前の一等地が地盤沈下すると「お役所に丸投げ」する形で再開発が始められます。行政はマネジメント機能を持たないため、開発ディベロッパーに丸投げする。ディベロッパーはビルを建て、キーテナントの大型店に破格の条件を示す「土下座外交」で誘致し、ビルがオープンすれば引き揚げる。大型店は3~5年経っても満足できる収益が上がらないと撤退。空きビルが生まれる。地域は再開発に賛成派と反対派に分かれたため崩壊する。このパターンでした。
若手リーダーたちは、民間主導での再開発を決意。通産省の若手官僚から紹介された専門家の中に建築家の西郷真理子さんがいました。この西郷さんが傾倒していたのが、アレグサンダーのパタンランゲージの理論でした。
西郷さんはこう話します。
「社会の実体は秩序だけでなく、複雑さとのバランスで成り立っています。例えば、縁側が内でも外でもあるように、店の庇の下がどこか心落ち着くのは道路というパブリック空間と店というプライベート空間のどちらにも属すセミパブリック空間だからです。だからセミラティスのまちは心地いい。」
ツリーではなくセミラティスで住みやすいまちをつくる。1990年、丸亀商店街は再開発事業に着手します。目指すまちの姿として浮かび上がったのは、少子高齢化とスプロール化で減少した居住者を取り戻すため「ものウリのまちから人が暮らせるまちへ」というコンセプトでした。
どんな空間が暮らしやすいのか。地元の意向と専門家のアイデアを擦り合わせながら、居住者の目線で「デザインコード」と呼ばれるルール集が作られていきます。アレグサンダーは人が心地よいと感じる都市や建築物の要素を「通り抜け道路」「座れる階段」「玄関先のベンチ」など253のパターンで示し、その組み合わせによるまちづくりを提唱しました。これがパタンランゲージです。
例えば、「空中歩廊」はまちの縁側を想定し、「外階段」は建物上層階につながる通りの延長をイメージし、「通りと会話する窓」には店内と外をつなぐ適度な開放感を求める・・・といった具合です。それは地域の新しい意味を紡ぎ、物語を生成するプロセスでした。
それを最も象徴するのが、南北に続く通りの北側の起点にある高さ32mのガラス張りの天蓋が載ったクリスタルドーム広場。中心となる空間として市民に提供され、各種イベントが開催されます。ここは元々、江戸時代も法令を板面に記した高札が立てられた「札の辻」で歴史的にも人が集まる場所でした。再開発にあたり、民間の土地も供出して広場を倍くらいの大きさにしています。
公共の土地の場合、「あれダメ」「これダメ」と規制が多いのですが、半分くらいは民間の土地なので、行政も規制がかけづらい、一種の自治権を確立した広場になっているのです。これにより自由にイベントを開催できるようになり、市民からの持ち込みイベントも積極的に受け入れ、2009年には206本のイベントが開催されました。
又、商店街なのにビル内に医療モールも開設。整形外科、循環器内科、内科、リハビリテーション科などの科目が並びます。重度疾患が見つかれば、後方支援の大学病院などで高度医療を受け、長期入院せず、ビルの上のマンションの自宅で療養し、医師の往診を受ける。
こうしてツリー状に機能を分化するのではなく、多様な要素が重なり合った居心地のよいセミラティスな空間が作られた結果、商店街の売上は3倍以上、通行量は2.5倍に拡大しました。
古い規制や「商店街はこうあるべき」という固定観念を取っ払い、時代のニーズにかみ合うことで、生きたまちに復活したのでした。
- posted by komasagg at : 20:49 | コメント (2件) | トラックバック (0)
コメント
私は、アメリカに住んでいますが、山形で生まれ育ちました。帰国するたびの山形の町の変化に、街づくりに対する、全体を俯瞰した大きい視点、ポリシーなどが感じられず、なんとかできないのか、と思っていました。
今回、街づくりの素晴らしい考え方を知って良かったです。
コメントありがとうございます。
まちを再生するためには、済んでいる人が持てる共通の「核」が必要だと思います。
それはそのまちの歴史だったり文化だったり自然だったり。山形も素敵なところだと思います。多分、住んでいる人が当たり前で見えていないだけなのでしょう。
その再発見もまちづくりに必要なことなのだと思います。
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