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2023年03月25日

【新しい言葉】「SDGs」は人類一丸となった追求時代の幕開け?

今や新聞、インターネットや書籍などでおなじみのSDGs。2015年9月の国連サミットで採択されたもので、2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた17の目標、169のターゲットからなる。参照:SDGsとは?外務省ホームページ / MDGsとは?外務省ホームページ

■SDGsはこれまでの環境運動とは一味ちがう
人類が経済発展を旗印に市場を拡大させていく一方で、周辺環境への有害物質の排出、開発行為にともなう生態系そのものへの大規模な改変など、自然環境に対する無視できない負荷が様々な問題をもたらしてきた。「かけがえのない地球」を掲げた1972年のストックホルム国連人間環境会議以降、1997年の「京都議定書」、2015年にはパリ協定が採択されるなど、単に環境保全にとどまらず、持続可能で豊かな生活を求めるための活動が、文字通り世界中で取り組むべき課題としてみなされるようになってきた。

写真はコチラ()()からお借りしました

ところが、これらの問題は、どれもマスコミなどで取り上げられると一時は盛り上がりを見せるものの、そのイベントが終わればいつもの日常に戻る、そういう感覚でとらえてきたのではないだろうか。しかし、今回のSDGsは、これまでとはどこか一味違う。

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2023年03月18日

『学びの行方』~「働く意味」があって「学ぶ意味」が生じる~

前回の記事では、小・中学校の生徒数が減少しているにも関わらず、不登校児は9年連続で増加、令和3年度には過去最多の24万人を超えたことから、この不登校児の異常な急増について、「学校は見捨てられたのか」と投げかけました。(『学びの行方』~不登校児の異常な急増。学校は見捨てられたのか~http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2023/02/11939.html)
しかし、追求を進めていく中でこれは学校だけの問題ではなく、学校は学びの場なのだから問題の本質は子どもたちの「学ぶ意味(動機づけ)の喪失」にあるのではないかというところに行き着きました。

それはどういうことなのか、今回明らかにしていきたいと思います。

◆そもそも何のために「学ぶ」のか?
不登校が急増する10年ほど前の2004年、日本経団連は「ものごとの本質をつかみ、課題を設定し、自ら行動することによって問題を解決していける人材を求めている」との提言を発表し、現在の教育はそれに応えていないと指摘、教育の根本からの改善を求めました。
それに対して文部科学省は2004年、「キャリア教育」の指針を発表。多くの学校で職場体験等の活動が実践され始め、現在ではほぼ全ての学校(2017年度には98.6%)で実施されていることは、前回の記事でも触れました。

しかし直視すべきは、「それでも不登校は増加し続けている」ということ。これは、職場体験などの体験学習は、直接学びの意欲にはつながっていないということです。

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2023年03月09日

【次代の先端市場を切り拓く】日本はどの領域で世界に立ち向かおうとしているのか?~創造性を備え始めたAI

今年注目を集めた「スタートアップ」に対する政策。前回まで、日本はどの領域で世界に立ち向かおうとしているのか?『国の産業政策』から経済産業省、企業の動きの検証を深めてきました。
特に、『政府の重点投資対象 :AI、量子技術、バイオ、再生医療、大学教育』の分野を中心に、企業もCVCを発足して、研究開発を強化していく萌芽が見えてきます。

本記事より、政府の重点投資対象5分野に着目していきます。
今回は「AI」について、検証します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①なぜ注目されているのか
②どういった展望(将来的発展)があるのか
③企業と大学の連携
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
の視点から、その特徴についてさらに追求を深めていきます!!

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2023年03月06日

先端企業の戦略(3) ~・企業が「戦う場」とは②・~

■メルカリ、D&Iへ転換

企業や会社は、その企業や会社が「戦う場」によって社内カルチャーは大きく違ってきます。逆にいえば、例えば地域の家族経営の会社が世界の市場のど真ん中で戦うなら、その社内カルチャーを国際市場の「戦う場」に合わせなければ、全く戦えないということになります。

今回、この「戦う場」をしっかりつかんで対応した企業の一例を紹介したいと思います。それは何度か取り上げたメルカリです。

メルカリは、フリーマーケットのプラットフォームをネット上で提供する、日本発のITサービス企業です。

メルカリは日本生まれの企業ですが、その中身はグローバルな国際企業です。稼ぐ主戦場は主に日本ですが、創業者であり代表の山田慎太郎社長は海外でも戦うことを表明していて、実際アメリカでもサービスを展開しています(アメリカ法人の置かれている場所はパロアルト。インターネット時代を切り拓いたヒューレットパッカードの研究所や今はテスラがある、シリコンバレーの最前線です。ここに米国本社を置くメルカリの本気度がよく分かります)。

このようにメルカリは、世界経済のど真ん中(つまり資本主義のど真ん中で)アメリカにも会社を置き、外国籍社員を増やしていきました。そうなると、日本の会社文化はそのままでは通じなくなり、その対応をとりました。具体的には日本で働く外国籍社員には通訳を付けたり、生活サポートも行って手厚く支援――したつもりでした。しかし、外国人社員から、組織情報が公平に共有されないことや組織の意思決定に参加できないことに対する不満が続出したそうです(浜田敬子著「男性中心企業の終焉」から)。これではだめだと、同社は本格的にD&I(ディー・アンド・アイ。ダイバーシティー(多様性)とインクルージョン(包摂)という意味)を推し進めることにしたそうです。

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2023年03月02日

先端企業の戦略(3) ~・企業が「戦う場」とは①・~

■家族的な会社の「戦う場」は?

企業が生き載っていくために大事な要素は何でしょう? いろいろありますが、その企業が「どこの場」で戦う(稼ぐ)かは、非常に重要な要素ではないでしょうか。

とはいえ「戦う場」は企業によってまちまちです。地方の限られた地域がテリトリーである会社なら、その地域に合う商品・サービスが必要でしょうし、従業員もその地域の実情をよく分かっている人(たとえば地域の人間関係をよく知っているなど)を採用する方がいいでしょう。そんな会社は小規模で(2、30人から150人前後まで)、疑似家族的なつながりが特徴です。

例えば、会社代表が「社員のA君はお子さんが学校に上がる歳だから、残業をがんばってもらって業代で稼いでもらおうか」と考え、実行すればどうなるでしょうか。疑似家族的な会社なら、従業員Aさんは「ありがとうございます! がんばります(いい会社だなあ)。」となるのではないでしょうか。得てして、こういう社内の話は、社員やその家族によって地域に出ます。そしてこの会社の地域評価も上がります。

逆に、そんな地域に根差した人たちに対して冷徹に扱うような働かせ方をすれば、すぐに悪評が立ち、地元からマイナス評価を得てしまいます。

■大企業の「戦う場」は?

では、都市に本社がある大企業、世界的規模で事業を展開している名だたる企業はどうでしょう。そんな企業の上司が部下に、上記のような「子どもが進学年齢なんだろ? 残業して残業代で稼げ。それがうちの会社だ」なんてことが公になれば、その大企業は大炎上になるはずです。「なんて前時代的な企業なんだ」と。

残業の話以外でも、上司が部下に対して「みなまで俺に言わせるな。言わずとも俺の言わんとしていることを汲み取ってくれ」とか「俺の酒席にお前は付き合えないのか」なんて発言があるものなら、国際的な大企業としては失格で、ヘタしたら訴えられます。訴えられないにしても、人事・人材活用やの面で他者に比べて大いに不利になり、その会社の衰退の一因になりかねません。

ですので、今の大企業はこの辺りの社内カルチャーと呼ばれるところは現在、コンプライアンスの観点から見直し、徹底的に常時「改善」しています。専門的には「D&I(多様性と包摂)」という視点で対応していこうとしています(これは次回詳しくやります)。

疑似家族的会社なら+評価、強みになることでも、大企業では真逆の事態になります。「これは疑似家族的会社がいい、大企業はダメだ」とか「大企業の在り方の方が正しい」という2項対立ではありません。その会社の「戦う場」によって対応しなければ、その会社は生存できないということです。

■で、どっいがいいの?

この「『戦う場』による会社の違い」論を出すと、「じゃあ、そんな利益目的で会社はポリシーをコロっと変えていいのか。家族的な会社の方が儲かるとなれば、多様性と包摂とやらを捨てて、そっちに転ぶのか」という指摘も出てきます。これは明確な答えを出すのがとても難しい指摘です。

というのも、企業や会社は利益を求める集団です。その集団が存続していくためには、社内社外さまざま関係を築かなければなりません。もし自らの組織が存続していくために新しい観念や考え方(疑似家族的、多様性を認めるなど)が必要だと思えば、そこに収束していくのは必然です。

企業や会社も社会の一員ですから、社会の「向かう先」に関心があります。企業や会社によってはその「向かう先」に適応するまでまで時間がかかるかもしれませんが、それを「遅い」と言って急がせるのは、それこそ多様性や包摂の否定につながるのではないでしょうか。

例えば、イスラム教地域の会社が欧米流のSDGsを受け入れるとしたらどうでしょうか。実情を考えれば、いきなり欧米レベルまで行くのは難しいかもしれません。しかし、そのことに対して、欧米のNGO等が「努力が足りない!」というふうに糾弾すれば、逆に反発を招いて、その地域で変化を受け入れられる可能性が低くなるでしょう。

なんだか奥歯にものが挟まったように感じるかもしれませんが、元々、D&Iやジェンダーなどの観念は「平等性」「男女」「人権」などという欧米発の近代的な考え方から発生しています。それを世界共通だと思うのはとても危険なことなのです(私たちは今、そんな危険な衝突を生みかねない時代の入り口に立っています。たかが企業や会社のことを考えるにしても、その奥行きはとても深いのです)。

疑似家族的、現代の大企業的な組織、どちらがいいとは一方的に決めつけられない、ということです。

とはいえ、現代資本主義の大通りで企業が勝負するなら、大企業がしのぎを削る「場」のルールでやりやっていかなければ、勝負参加の資格する与えられず、リングの外に退場させられます。

少し抽象度の高い話になりましたが、次回、日本の国内企業から世界へ出ていった企業メルカリを取り上げ、同社が今回の記事と同じ問題に直面して、そこから抜け出した事例として取り上げたいと思います。

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2023年02月27日

【教育ってなに?】~教育のあり様を歴史から深掘りする②

■どうすれば教育は良くなる? 教育の向かう先は?

前回の記事では、社会が収束している先に教育のあり様があることを書きました。昔なら、村や部族全体で、どうすれば皆が食べ物を手にすることができるか、村や部族がつつがなく存続していけるかなどが、教育の向かう先でした(狩猟方法を子どもに教える。村の守り神の昔話を子どもにして村の在り方を教える)。ここには村や部族という共同体のための教育があります。これを「集団収束の教育」と呼びます(「収束」は、「それに集中していく」の意)。

(明治以前は農村で集団を重視した教育が行われていた)

一方、近代になると部族や村のような共同体が解体され、国民国家が誕生します。「国家」と聞けば、「国民の集団」を思い浮かべるかもしれませんが、その実は「個人」が集まったもので、部族や村など、成員に一体感のある共同体とは違うものです。

「個人」が生きていくためには個人の利益を優先しなければなりません。必然的に国家は、個人の利益=私権を追求のための教育を提供することになります。それと同時に、国家は、国家を存続させるために必要な教育を行います。「私権を守るためには国土を守ることが必要」「私権を維持するためには税金をなどの富を集めて再配分することが必要」などです。つまり私権と国家統合は表裏一体の関係にあります。これを「私権収束の教育」と呼びます。

私権収束の教育では、親は子どもに「いい学校に入る」ことを望みます。いい学校に入れば、いい会社に入れたり、私権を支配する官僚や役人になれるからです。

(※1 私権という観念は、近代よりももっと以前に誕生していますが、ここでは分かりやすいように近代に絞っています)

(現代の学校制度は私権に収束する教育)

では現在はどうでしょう。「集団」はほぼ解体され、「個人」化はより進んでいます。それでいて私権はどうかというと、以前ほど人々を統合する力はありません(その主な要因は貧困の圧力が低下したからです)。

(※2 「貧困」はそれをどう考えるかによりますが、ここでは、昭和の戦後のように、働けども冬の寒い時期にコート1枚買うことができなかった貧しさを想定しています。食ベ物もろくにありませんでした。社会全体が貧困状態だったのです。現代も「貧困」が取りざたされていますが、社会全体で食べ物がない、着る服がない、なんていう貧困は現代においてほぼありません)

今の時代は、集団収束もない、かといって私権収束も弱まっている。つまり、教育観が各自バラバラになっている状態です(――ここまでが前回の趣旨です)。

■教育には「公教育」と「私教育」がある

教育の分類には「公教育」と「私教育」という分け方もあります。公教育とは国家の制度のもとに行われる教育です。簡単にいえば、現代の学校制度です。ここで誤解のないようにしたいのが公教育」=「公立教育」ではありません。公教育の“公”は国家を意味します。だから私立の学校による教育も「公教育」となります(私学も国の制度の中で規定されているので、“公”の中に入ります)

では「私教育」とは? 端的にいえば「公教育ではないもの」です。学校教育ではなく、親たちが「子どもにはこれを教えたい」と考えたものを子どもに教える教育です。現代では「私教育」はほとんど見られませんが、昔はありました。農民や職人の家庭内の教育、村などの共同体の中で国の統制を受けずに行われた教育などが「私教育」に当たります。

一方、近代の国家は前述したように、基本「私権収束の教育」です(私権圧力自体は弱まっていますが)。しかし、教育制度の設計や運営は国家がコントロールしています。つまり「私権収束の教育」は「公教育」なのです。

(公教育は私権収束の教育)

整理しますと、次のようになります。

公教育=私権収束の教育

・私権を維持するために、国土を守り、国家の富を最適に再分配するための手法や思考を学ぶ教育(→国家統合のために必要な教育ともいえる

私教育=集団収束の教育

・国家とは関係なく集団の中で培われてきた、根本的な世界観や職能(産業・事業を通して世界をどう見るか)を学ぶ教育。言語能力や人間関係をつくる力を育むことを目的とする。(→集団存続・繁栄のために必要な教育といえる

私教育が限りなく衰弱した現在、子どもたちに求められる人間関係をつくる力・言語能力がきわめて育まれにくい状況にあります。公教育でそれを代替できればいいのですが、そうなっていない。結果的に試験で点を取ることばかりに焦点が当たってしまい、子どもたちもやる気が起きないし、学力も薄いものになってしまっています。

(※3 公教育は、それまで村や部族で行っていた教育を「国家」という先に“外注”しているようなものです。個人化が進むと家庭だけでは教育できなくなるからです)

さて、私たちはこれからの教育をどのような方向にもっていけばいいのでしょうか。ここは、未来を見る前に歴史の中に可能性を探ってみましょう。

教育資料が十分に残っているのは江戸時代以降です。特に江戸時代後半は藩校、私塾、寺子屋がありました。江戸時代後半に教育のあり様を探れば、今の教育を考えるヒントや視点が見えてくるかもしれません。特に寺子屋教育は、庶民の識字率が飛躍的に伸びた教育でした。江戸時代末までに日本全国で1万5000を超える寺子屋がありました(下表)。人口は現在の五分の一程度(約25000万人=公家や武士を除く人口)だったにも関わらずにです。

次回以降は寺子屋を中心に江戸の時代の教育を考えてみたいと思います

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2023年02月23日

【教育ってなに?】~教育のあり様を歴史から深掘りする①

◆前回のまとめ ~各教育観が各当事者でズレている?

前回、日本人の活力不足が危機的状況になっていて、(国際競争力で日本は1992年に1位だったのが、2022年には34位/63カ国)、その原因の一つが教育にあるのではないかという指摘をしました。それには経済界も危機感をあらわにしていて、経産省を通してですが2022年に「未来人材ビジョン」なる提言をしています。

実は、学歴を立派だけど実際の仕事では全く通用しない人たちが増えていることに対して、経団連などはかなり前から「教育を改革してほしい」という要望を教育界や社会に向けて表明しています。

これらを受けて、文科省などを中心とした教育界はまず大学入試改革に手を付け、2021年からセンター試験を共通テストに替え、内容も(若干)記述式を増やしたりと、変化が見えました。しかし、何か大きな成果が現れている、というところまでは至っていません。

それもそのはず。実社会が求める人物像と、学校(教師)、親、こどもが見つめ考えている教育象が、それぞれズレているようなのですから。

こどもは「勉強しなくちゃいけないのはなんで?」、親は「自分たちの世代がそうだったから、こどもにも『いい大学』から『いい会社』に入ってほしい」、学校は「アクティブラーニングや主体的な学びを提供したいが、自分たちは経験していないのでどうすればいいか分からない」。考える以上に問題の根は深いおそれがあります。

こういうときは一度、「そもそも教育とは?」という原点(もしくはそれに近い点)にまでさかのぼって、つまり歴史を振り返って、教育のあり様を探ってみるのがいいでしょう。

 

◆人類の教育のあり様は? ~歴史を振り返って

大人がこどもに対して、生きる術や取り巻く環境との共存の仕方を教える――これが教育の原像であることは間違いないでしょう。

例えば、農民の親は子に、季節の変化など自然の摂理を通して、稲をたわわに実らせる術を暗黙に、時には言葉にして教えたでしょうし、子は子で親の働く姿を見て、それらの学びを自然とつかんでいきました。さらに集団の中の掟も教えました(農業生産は単一家族だけでは成立しませんので)。

この集団のための学びは「集団の中での学び」でもあるわけですから、親だけでなく、集団の中の他の成員がこどもを教育することもあったわけです。具体的には、長老が集団の在り方や道徳を物語にしてこどもたちに話すなどしていました。隣のお婆ちゃんがこどもに団子を上げると「他の子にも半分にして分けてあげるんだよ」と諭すのも立派な教育だったでしょう。そして、その集団としての教育の方が、生存という観点で見れば、親が個別で行う教育よりも重要度が高いといえます。それは、治水や灌漑、入会地の管理などを考える場合、「集団>個別」は当然といえるからです。

(田か害虫を追い払う「虫追い」に参加するする農民たちを描いた図・「農業全書」から)

ヒトの発生から狩猟部族、定住して農業を生産基盤とするまでの歴史を振り返っても人類が集団に属していなかったことはありません。現代は孤独社会といわれていますが、決して人は一人では生きてはいけません。その意味で、教育は本来、集団(の生産)に根差したものだったのです。

今ここで「根差したもの『だった』」と過去形で書きましたが、実は教育が集団にちゃんと根差していたのは昔の話で、今では教育が集団に根差しているとはいえなくなってしまいました。なぜなら「私権」(地位や財産、お金を獲得することが第一という考え方)という観念が社会にはびこったからです。そして、集団に根差す教育が衰退し、私権への収束させる教育が行われるようになりました。

※私権(観念)がいつごろから力をもつようになったのかを詳細に説明すると膨大になるのと、今回の記事の主旨とは違うので、それは避けますが、遅くとも近代社会ができた以後は観念の社会。日本の場合明治維新以後は私権社会がかなりの速度と規模で広がりました。例・明治の立身出世主義

(写真は東大の赤門。近代日本の立身出世の象徴)

しかし、です。現代においては、集団もほぼなくなっていますが、私権も収束の力を弱めています。今の若い世代、こどもたちは特にそうです。彼ら彼女らに「地位や財産、お金を求めるために勉強をがんばれますか?」と聞いてみれば、おそらく、皆、首を振るでしょう。

時間的な流れで見ると――

「集団収束の教育」→「私権収束の教育」→現在「『集団は解体され、私権収束力もない』中での教育」—です。

まがりなりにも私権は収束力を持っていて、教育の軸となっていました。ですが、それも弱まり、現在の教育は軸をなくした、各当事者によって教育観がバラバラになっている状態なのです。ある意味、収束先を探している状態にある教育、といっていいでしょう。

国や実社会が声を上げて「教育を変えよう」としても、なんだか上手くいきそうにない、それは上で述べたように、皆を目標に向かわせる私権に替わる収束力(軸)がないからです。

さて、どのようにすれば教育は再生するのでしょうか。その有力な可能性はすでに今回の中で、ちょっと触れてしいます(お気付きになったでしょうか?)。それについては、この連載の中で今後、明確にしていきます。

次回、集団(生産)に根差した教育がまだ残っていた時代の教育に焦点を当ててみます。その時代とは江戸時代です。江戸時代には藩校、私塾、寺子屋という教育がありました。これらには集団に根差した教育がまだ見て取れました。その実態を掘り下げてみようと思います。

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2023年02月17日

『学びの行方』~不登校児の異常な急増。学校は見捨てられたのか~

◆増え続ける不登校児数
小・中学校の生徒数が減少しているにもかかわらず、令和3年度は不登校児数が24万4940人と前年度から4万8813人増で9年連続で増加し過去最多を記録しています。
10年前と比較すると小学生は3.6倍、中学生は1.7倍増となっており、不登校の内訳は小学校が8万1498人(前年比28.6%増)、中学生が16万3442人(同23.1%増)で増加率も過去最大値となっています。

ただ、実数としては中学生が小学生の2倍以上多くなっています。これは成績や受験といった問題も関係しているのではないでしょうか。

不登校の大きな要因は小中学校を通して「本人の無気力・不安」が最も多く半数に上っています。
上記の数値をみても不登校の生徒は、もはや現代では特殊事例ではなく、ごく当たり前に起きている事象であることがいえます。
次世代をになっていく“子どもたち”の今後の可能性を探索するためにも現状を明らかにし、可能性を見出す記事にしたいと考えています。

◆子どもたちの活力不全の原因はなにか
「勉強しようという気持ちがわかない」という思いは、2019 年(45.1%)→2020 年(50.7%)→2021 年(54.3%)となっており年々上昇しています。
※データは小学 4 年生から高校 3 年生のもの(子ども自身による回答結果)

ここで重要なのは「学ぶ中身」が問題なのか「学び方」が問題なのか。前者であればそもそも5教科といった勉強に興味を示さない、勉強内容自体が面白くないといった問題になり、後者であれば、従来通りの学校というシステムが現代の子どもたちにそぐわないという問題になります。

「学ぶ」は「真似ぶ」といわれるように本来、赤ちゃんのときから周囲の人を真似て様々なことができるようになっていきます。それは大人の「仕事の技術を上げたい」「語学力を高めたい」という感覚とも一貫している気がします。

◆社会が求める新たな潮流
そこで机の上の学習ではなく「現実課題」である職場体験や自然体験に焦点を当てました。
〈仕事を体験する”職場体験”〉
生徒が事業所などの職場で働くことを通じて、職業や仕事の実際について体験したり、働く人々と接したりする学習活動である「職場体験」。
文部科学省は職場体験の意義を

「職場体験には、生徒が直接働く人と接することにより、また、実際的な知識や技術・技能に触れることを通して、学ぶことの意義や働くことの意義を理解し、生きることの尊さを実感させることが求められています。また、生徒が主体的に進路を選択決定する態度や意志、意欲など培うことのできる教育活動として、重要な意味を持っています。」
としているように、働くこと、働くための学びに意義を見出すこと。つまり何のために学ぶのかを明確にすること。そして進路選択をすることを求められています。

実際にそれらの意義が求められてか、公立中学校における職場体験の実施状況は、2004年度の実施率が89.7%であったのに対し、2017年度には98.6%と、職場体験の実施校は常に増加傾向にあります。その結果、職場体験が生徒の進路や仕事に対するイメージが明確になり意欲を向上させ、 進学についても自主的に考えるようになる。さらに、職場体験後も効果が持続することが確認されています。

〈五感を刺激する”自然体験”〉
集中力や発想力、問題解決力、身体能力など、子供たちのたくさんの力を育むと言われる「自然体験」。実際の調査結果として、自然体験を多く経験した子供の方が、自己肯定感や道徳観・正義感が高い傾向があります。

また、自然の中で遊んだことや自然観察をしたことがある小中学生のほうが、「全国学力調査」での理科の平均正答率が10%以上も高いというデータがあります。
さらには、「自然に触れる体験をしたあと、勉強に対してやる気が出る子どもが増える」という調査結果もあります。

このことから、「自然体験」というと、子供の人間としての成長が着目されがちですが、実は学習面の意欲・能力の向上にも大きな効果があることがわかります。
その効果が認められてか、文部科学省の調査によると、公立学校における農山漁村での体験活動の実施状況は、2016年度→2021年度で、小学校では23.1%→34.0%、中学校では11.5%→13.3%と、新型コロナウイルスの流行があったにも関わらず、増加しています。

◆現実課題が活力再生の場になるのか
無味乾燥的な机上の“勉強”ではなく、現実課題に向き合い取り組むことで、対象が広がることで子どもたちは”学ぶ”意味が分かり、意欲や興味が上昇する。その結果学力向上にもつながっている。

この結果は5科目等の「学ぶ中身」が面白くないのではなく、根本的な「学び方」によって子どもたちの意欲・興味関心は左右されるということではないでしょうか。
だからこそ、子どもたちは学校に「行けない」のではなく「行かない」という選択を取りつつある。
これは、子どもだけの問題ではなく大人・社会側の問題として捉えて、現在の子どもたちは何を求めているのか、欲しているのかに耳を澄まし、追求し続け答えを出すことが求められます。

参照
・文部科学省『令和3年度児童生徒の問題行為・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査』」https://www.mext.go.jp/content/20221021-mxt_jidou02-100002753_1.pdf
・東京大学社会科学研究所・ベネッセ教育総合研究所 共同研究プロジェクト『子どもの生活と学びに関する親子調査 』
https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400186362.pdf
・文部科学省『職場体験・インターンシップ実施状況等調査結果』、https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/career/detail/1340402.htm
・山田智之氏『職場体験に よる中学生の 進路成熟及び 自律的高校進学動機の 変容と影響要因』https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssce/30/1/30_KJ00007475613/_pdf/-char/ja
・文部科学省『農山漁村体験活動実施状況等調査結果』
https://www.chisou.go.jp/sousei/about/kidstaiken/pdf/kopuro_jisseki_r3.pdf
・独立行政法人国立青少年教育振興機構『青少年の体験活動等に関する実態調査(平成28年度調査)』https://www.niye.go.jp/kanri/upload/editor/137/File/12_report1.pdf
・内閣府https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/b1_03_02.html

 

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2023年02月09日

【次代の先端市場を切り拓く】『国の産業政策』からの検証:日本はどの領域で世界に立ち向かおうとしているのか?


画像はこちらからお借りしました。)

前回記事では、今年特に注目された「スタートアップ」に対する政策の背景と実態について整理しました。見えてきたのは、日本の産業はものづくりで成長し、ものづくりの価値基準が強い。そして政府の支援が希薄で、スタートアップに挑戦する環境が整備しきれていない状況です。米国は価値を生み出すことを重視しており、CVCや政府の支援(産業確立に向けて長年の支援)が豊かで、スタートアップに挑戦する環境が整っていることが分かりました。

今回記事では『国の産業政策』からの検証:日本はどの領域で世界に立ち向かおうとしているのか?政府、経済産業省、企業の動きから検証していきます!

◆1.政府の動き:新自由主義⇒新しい資本主義への取り組み
・新自由主義:経済は勝手に動く。金が動けば回る。という考え方だった。→しかし、貧富の差が開く課題に直面した。そこで何がダメだったのか?を検証し『新しい資本主義』:貧富の差を解消する
⇒成長と分配の好循環が政府により提唱されました。(未来を切り拓く「新しい資本主義」)(参考)

具体的には、下記の特徴があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・持続的な成長をしていくことが国民の幸せ
・重点投資対象  ⇒①量子技術、②Ai 、 ③バイオ、④再生医療、⑤大学教育
・デジタル・エネルギーなど新分野が成長代だが、日本はスタートアップ支援が少ない ⇒ スタートアップ支援に力を入れる( 新しい資本主義実現本部/新しい資本主義実現会議より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さらに、政府の「新しい資本主義」の構想ポイントは下記の3項目にまとめられます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①成長戦略
(1)科学技術・イノベーション (2)「デジタル田園都市国家構想」などによる地方活性化 (3)カーボンニュートラルの実現 (4)経済安全保障
②分配戦略
(1)所得の向上につながる「賃上げ」 (2)「人への投資」の抜本強化 (3)未来を担う次世代の「中間層の維持」
③全ての人が生きがいを感じられる社会の実現
(1)男女共同参画・女性の活躍 (2)孤独・孤立対策 (3)少子化対策・こども政策
(4)就職氷河期世代支援 (5)消費者保護
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◆2.経済産業省、環境省の動き:政府に付随する政策
・政府の上記政策に呼応して、各省庁はどのような予算化要求戦略で、世界に立ち向かおうとしているのか。各省庁の動きを追っていきます。
■経済産業省の動き
・経済産業省は2023年度概算要求額を1兆3,914億円(前年度当初予算比13.7%増)と発表した。資源・エネルギー関係は同15.2%増の8,273億円。
そのうちグリーントラン スフォーメーション(GX)関連は同20%増の5,030億円で、 脱炭素に積極的に取り組む企業がルール作りの議論や自主的な排出量取引等を行う「GXリーグ」の実行などに取り組む。
・さらに、水素・アンモニアの大量導入に向けた、国内外での水素サプライチェーン構築や燃料アンモニア製造技術開発を支援することを目的に、新規事業として「競争的な水素サプライチェーン構築に向けた技術開発事業」に88.7億円を計上した。

■環境省の動き
・2050年カーボンニュートラルの実現に向け、環境省はカーボンニュートラルへの需要 を創出する経済社会の変革や世界的な削減への貢献等を各省と連携の元で推進する。
そのため環境省では、エネルギー対策特別会計を活用して、温室効果ガスの排出削減のために施策に取り組む。エネルギー対策特別会計の予算要求では、2,344億円を計上し、炭素中立型経済社会実現に向けた取組を強化した。(出展:月刊 事業構想 2023年2月号)

◆3.企業はどう動いているのか?
★そもそも【新事業はどうやって起こるのか?】
→新事業の起こり方は2つある。一つは現在の事業の延長での新事業(ex.宝酒造→タカラバイオetc.)。もう一つは、現在の事業とは全然違う新事業。普通は今までの経験がないところで新規参入すると負ける。

★なぜ、全く畑違いの新事業を起こすのか? ⇒最近新しい動きとしてでてきているのが、コーポレーションベンチャーキャピタル(CVC)。ベンチャーキャピタル(VC)の様に上場した際に売り払って利益を得るために投資するのではなく、今ある事業を発展させてくれそうという期待を込めて、全く異業種の企業に投資する。互いに成長していくための投資なので、共創に近い。

・CVC会員のメンバー企業 (参考)
・国内CVCの事例
・政府が重点投資対象としている 『①量子技術、②Ai、③バイオ、④再生医療、⑤大学教育』を中心に様々なCVCが発足している。その事例を一部紹介します。

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①量子技術:住友商事株式会社
量子技術を活用した事業高度化、新事業創出を目指し「QXプロジェクト」(Quantum Transformation Project、クオンタムトランスフォーメーションプロジェクト)を発足(参考)

②AI:TISインテックグループ
TIS、AI関連ベンチャー企業へ出資する「AI特化コーポレートベンチャーキャピタル」を新設。 出資に加えAIに特化した支援体制による多面的な連携を実施 。(参考)

バイオ:新日本科学
非臨床試験受託の国内最大手、新日本科学は創薬支援子会社のGemseki(東京・中央)を通じ、スタートアップ企業への投資事業を始めた。新薬候補になる研究の仲介事業で得た知見を生かし、国内外の医薬関連の企業に投資する。(参考)

④再生医療:日揮ホールディングス株式会社
出資先の2社は、MSCを用いた再生医療に取り組む株式会社ツーセル(本社:広島県広島市)と、脳卒中患者の歩行障害に対して独自の音楽療法に基づくデジタル治療を展開するMedRhythms Inc,(本社:米国メイン州)です。(参考)

⑤大学教育:学研ホールディングス
学研ホールディングスがCVC(Corporate Venture Capital)投資プロジェクトを開始する。教育と医療介護の領域でのスタートアップ企業との共創を加速させるため、2025年までに総額30億円規模の投資を実行する。(参考)
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※政府の政策や各省庁の予算化戦略と連動して、企業もCVCを加速させて投資を強めている動きが見えてきます。


◆結論

【日本が世界を相手に、戦っていける領域の萌芽とは?】
『政府の重点投資対象 :量子技術、AI、バイオ、再生医療、大学教育』の分野を中心に、企業もCVCを発足して、研究開発を強化していく萌芽が見えてきます。
☆また『水素・アンモニア』の大量導入も、各省庁の予算化から見えてくる注目ポイントです。
☆そして『企業と大学の連携強化』も東大、東工大、阪大、筑波大学等はじめ、大学債発行による投資を背景に力を入れていることもこれからの注目ポイントです。

次回以降の記事では、上記『政府の重点投資対象:5分野』について、各々
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①なぜ注目されているのか
②どういった展望(将来的発展)があるのか
③ ①②を踏まえて、どれぐらい投資されているのか
④企業と大学の連携
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の視点から、その特徴についてさらに追求を深めていきます!!
以上。

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2023年02月07日

先端企業の戦略(2) ~・メルカリの中にある温故知新②・~

前回、メルカリの仕組みが、経営学のテーマの一つである「アドバース・コレクション」と呼ばれる販売側と一般の買い手側の情報不均衡を解決していると説明しました。

「情報不均衡」なんて聞けば難しそうですが、そんなことはありません。要するに、売る側は商品について品質の良し悪しに関わる情報をたくさん持っていて、一般の買い手はそうそう詳しい情報を持っていない。そのため、買い手は、売り手からお値段以下のものを売りつけられる可能性が高まる。売り手の間の競争も、買い手に正直に情報を開示する売り手は儲けが少なくなり、適正価格よりも高く売る業者が生き残る――というものでした。

「騙し騙されなんて、商売では当たり前。そんなもの問題でもなんでもないよ」という人もいるでしょう。また「稼げない者が経済市場から退場していくというのは、当然ではないか」という人もいるでしょう。

ごもっともです。しかし、より良くなる可能性があるなら、それを追求するのが人類というものではないでしょうか。だいたい、「自分第一。そのためなら正直でなくてもいい」という集団や社会の在り方はいつか破綻を招く恐れが高い。

競争は否定しませんが、その労力はお客さんに喜ばれる方に向ければいいのでは。メルカリが目指している先はそこにあるように思えます。そのためにIT技術を使っているのであって、儲けるだけのためにテクノロジーを使用しているのではないように見えます。

ここで視点を変え、ヤフーオークション(ヤフオク)とメルカリを少し比較してみましょう。似ていると思われる両者を考えることで、メルカリの志向がはっきりするはずです。

●ヤフオクとの違いはどこ?

ヤフオクの「オークション」とは、一般的にオークションは富裕層が資金力を競い合って競り落とす仕組み「競り落とす」という言葉の通り、「競って、力(=資力)のある者が独り占め」します。ヤフオクは、本来、富裕層のものであるオークション(資力で競って、独り占めする)という仕組みを一般の人が利用できるようにしました。自分のお宝を売ることができる、その意味でオークションを大衆化したわけです。

ですが、どんなに大衆化させたとしても、オークションの本質は「資力で競って、独り占め」で、私権志向です。一方、メルカリのフリーマーケットは、売る方と買う方が相対して、互いを評価する中で成立します。「相対する」という言葉が示す通り、資力主義や私権志向とは違うものがそこにあります。

さて、フリーマーケットはそもそも「市(いち)」が原型で、市の始まりは物々交換なのです。物々交換は市井の人たちが日々の暮らしの仕組みで必要なものでした。ここに昔の商いの本質があります。

昔の人々は共同体の中で生きていました(例えば村落)。そこで、売り手がだますような商売をしているとどうなるでしょうか。恐らく、その売り手はその共同体から排除されてしまうでしょう。だから、昔の共同体時代の商売人は共同体に住む人のためになる商売を心がけなければなりませんでした。

しかし、時を経るにつれ、共同体外での商売が増えていきました。そして、それは売り手と買い手双方の「顔が見えない」商売となっていきました。

「顔が見えない」とは、それぞれの人間性が分からないということです。故に、原初に合った商売の本質「相手の役に立つものを売る」「相手がちゃんとつくっているものを買う」が無くなっていき、私権追求だけが目的となっていきました。それは、商いから人が疎外された状態であることを意味します。

産業革命を経てテクノロジーが発展し、大量消費社会になると、ますますこの疎外は大きくなっていきました。そして、その害が顕著になってきました。前述したアドバース・セレクションの問題です。

メルカリは、単なるネット上の仲介プラットフォームをつくろうと思ったわけではないでしょう。恐らく現代ビジネスの背後にある、売り手と買い手の疎外関係を解消し、何とかしたいという考えがあったのではないでしょうか。それは単に「ネットでフリーマーケットを実現できたら楽しいだろうなあ」という単純な思いだったのかもしれませんが、単純だとしても、そこに売り手と買い手の笑顔を思い浮かべていたことは間違いないと思います。

近江商人の理念に「三方よし」という考えがあります。「売り手よし、買い手よし、それが社会にとってもよし」というものです。先端企業のメルカリがこの理念と合致しているというのは面白いですね。

どんなに最先端に見えても、その奥には「人が笑顔になって役に立つ。それが社会にとってもよいこと」という、かつての共同体的な原理がなければならない――。メルカリはその好例を示してくれているような気がします。

ちなみに、ヤフオクとメルカリのスマホからの利用者は、2018年6月にメルカリが抜いて、1600万人(ヤフオク)、1750万人(メルカリ)となりました(その後も差は広がりました)。多くの人の中で「資力が勝つ世界」よりも、温故知新の「三方よしの世界」の方が価値あるものになってきているのかもしれません。

 

 

 

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