2014年08月06日
高齢者の可能性を活かした新事業計画 02 未知収束が高齢者の可能性を開く
前回のブログでは、高齢化が進む日本において、高齢者の可能性を活かす新事業の発掘が期待されていること、そして、高齢者を活かした事業を考える上で最も重要になるのは、「社会的需要のありかを探ること」と、それに応える上で「高齢者に期待されている役割」を明らかにして行くことであることが提起されました。
この参考になりそうなのが、現実社会の最先端で活躍している、スーパー高齢者といわれる人達です。彼らは、なぜ高齢になっても社会で活躍できるのか、彼らの活力の源泉は何なのでしょうか。
「やなせたかしさん」この画像はこちらからお借りしました。
01.スーパー高齢者の活力源は未知収束
■参考投稿”スーパー高齢者”に共通するもの~未知への収束。未知収束が高齢者(事業)の可能性を開く
現代社会においても、驚嘆に値する能力・活力をもたれている高齢者が数多く存在するが、歴史を紐解いてみても、年老いてから驚くべき発見や発明をしている人物は非常に多い。
以下の引用文にあるように、確かに好奇心が旺盛で、向上心があり、くじけない精神をもった方々、そして、そのような意識を生かせる仕事を行っている方々に、このような「スーパー高齢者」が多いが、その分析ではやや弱いと感じる。歴史を紐解いてみるに、これら「スーパー高齢者」は、とことんその道を追求する”求道者”であり、道の先に広がる”未知の世界”を追求しようとしている点が共通している。
人の能力・活力を規定するのは”未知への収束度”であり、そしてそれは年齢を重ねるほどに対象世界が広がる。すなわち高齢者になるほど世界への”未知収束”度合いが高まり、活力も能力も開花していくのではないか。そして高齢者の持つ、真の可能性とはこの無限の未知への収束にあるのではないか。
以下の引用にもあるように「隠居」、現代的に言えば定年退職すれば、それまでの課題への追求は一切失われてしまう。逆に、隠居した先、定年退職した先に「未知なる課題」を見いだせば、全く新しい可能性が広がるように思われる(ex.隠居してから日本地図を作り出した伊能忠敬など)。高齢者の事業化への取り組みを考える上で、最も重要になるのは、この「未知なる課題」への取り組みではないだろうか。
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「スーパー高齢者」は、とことんその道を追求する”求道者”であり、道の先に広がる”未知の世界”を追求しようとしている、未知収束が活力源になっていると言うことです。スーパー高齢者は若いころから未知収束の活力を持って追及を続けてきたから、スーパー高齢者になったのだとも言えます。高齢者になっても若い人に負けない活力が維持できることから、未知収束は人類にとって最大の活力源だと言えます。では、なぜ未知収束が人類にとって最大の活力源になったのでしょうか。
02.未知収束が活力源になったのはなぜか
全ての生物にとって、外部世界の状況を把握する機能=外圧認識機能は、生存していくために不可欠の機能であり最先端機能となります。そして、外圧を認識した生物は外圧に適応するために本能を発達させます。一度、本能で外圧に適応すれば、その本能と外圧は整合することになり、世界は単純に本能で対応すればよい対象となり、未知なものではなくなります。
しかし、猿と人類は本能で外圧に対応できなくなったことで他の生物と大きく変わって生きます。猿は樹上という最高の生産力と防衛力を持つ第三の世界を獲得したことで、本能では対応できない集団同士での同類闘争という外圧にさらされます。そして、本能を超えた共認機能を獲得します。(詳細は実言論サル時代の同類闘争と共認機能参照)
さらに人類は木に登れなくなったカタワの猿であり、最高の生産力も防衛力も失い、本能でも共認機能でも適応できない極限状態にさらされます。人類は本能でも共認機能でも外圧に適応できない不適応態なのです。適応態たる動物にとって、その本能と外圧は整合していますが、不適応態である人類は外圧と整合していません。従って人類にとって外圧は「いつ何が起こるかわからない」未知の世界であり、当然、未知なる物の把握が最先端課題となったのです。
この未知収束回路はDNAに深く刻印されています。だからこそ未知なる物(当時は自然)の追求が第一義課題となりその結果、追求共認→追求充足の回路が形成されたことによって一段と追求力を上昇させ、ついに未知なる外圧の中心に精霊を見る(観念回路を形成する)に至ったのです。過酷な自然現象も、その背後に精霊の働きがあると考える=観念機能を働かせることで、人類は不整合だった外圧を整合させることができたのです。人類にとっては、未知なる外圧への収束と追求が第一義課題であり、この未知収束こそ追求充足と観念機能を生み出した源泉なのです。
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03.現代における未知収束とは
観念機能を獲得した人類は、その後、未知収束と追求を重ね、自然の外圧を克服して行きます。そして、人類はこれまでどの生物も体験したことがない、社会形成という未知の課題に直面します。自然の外圧を克服した人類は、人口増加と気候の寒冷化から人類同士の略奪闘争を開始し古代国家を形成し、本源集団による共同体社会から、地位や財産などの私有権を絶対とする私権社会へと転換します。そして私権獲得に収束した人類は、さらに生産力を上昇させ市場社会という新たな社会関係を形成し、その結果1970年、先進国で豊かさを実現します。
豊かさが実現すると今度は、地位や財産を手に入れたいという私権収束の活力が衰弱し、人類本来の共に認め合うことで充足する共認収束への大転換が始まります。現代は私権社会から共認社会への大転換の時代なのです。
ところが政治家や官僚、マスコミなどの社会を統合する階級の殆どは、私権社会の維持を絶対と考え、相変わらず市場拡大を第一の課題として消費税増税や原発の再開など暴走を続けており、予断を許しません。もはや統合階級に期待できないと直感した大衆は、反統合階級の意識から、脱統合階級の意識へと転換し、自らの社会は自ら再生するしかないという、自給期待を生み出しつつあります。現代の未知収束は、この先社会はどうなる、新しい社会、社会関係の形成は出来るのか、という未明課題に強く収束しています。
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04.大転換の時代だから、高齢者に出来ることがある
ここで、高齢者の可能性を活かす新事業に視点を戻すと、社会的需要のありかと高齢者に期待されている役割は、新しい社会・社会関係の形成にあることがわかります。では、現代の高齢者に新しい社会・社会関係を形成するために未知収束し追及する能力は期待できるのでしょうか。先に見たスーパー高齢者のような未知収束力は特殊な能力でごく一部の人だけが持つ能力のようにも思えます。さらに、新しい社会を形成する大きな未知の課題にどれだけの高齢者が未知収束できるか不安も感じます。
しかし、このような不安は、近代・現代の高齢者の多くが無力だったから感じるのだと思います。これまでは私権統合の時代で、私権を持っていなければ何も出来ませんでした。引退した高齢者は社会的地位という最大の私権を失っておりこれまでの時代は必然的に無力であり、従って未知収束の活力も封鎖されていました。しかし私権統合の時代は終焉を迎えています。そして、いま高齢者に期待されているのは私権統合を脱した新しい社会・社会関係を形成することです。であれば、私権を持っていないと何も出来ないのではなく、逆に私権競争を離脱した高齢者だから、しがらみを脱して、新しい社会を追求できる、未知収束できるのです。私権収束から共認収束への大転換の時代は、高齢者が時代の最先端を切り開く役割を担うことが出来る時代ではないでしょうか。
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- posted by kawai at : 21:00 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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