今、社会は混沌の度を深めており、企業経営者にとっても社員たちにとっても、この先の見通しが非常に立ちにくくなっています。
こうした時代こそ、社会の表層の変化だけでなく、もっと深い地平で何か起こっているのか、どこへ向かおうとしているのか、根底的に思考することが求められるのではないでしょうか。
本シリーズ【いま、社会の基底部で何が起きているのか】では、人々の意識潮流がどのように変化しているのか、その構造を明らかにし、大転換の時代に対応する方向性を追究してきました。
本稿がいったんの最終回となります
まずはこれまでのダイジェストから・・・
1.いま、社会の基底部で何が起きているのか
これほどの大転換期には何が起こるか分からない。
重要なのは、いかに状況が変化しても答えを出せる柔軟な認識力であり、そのような能力こそが、真の安定基盤になる。
では、現代=大転換の時代とは、一体どういう時代なのか。
国の借金は、今や1000兆円に達している。この社会を差配する統合者たちは、経済成長を装ってきたが、騙されてはならない。’70年頃から市場は実態的には拡大停止状態に陥っていたのである。
2.私権の終焉と市場の縮小と権力の暴走
豊かさが実現されると、事態は一変する。
飢餓の恐れが無くなると、私権の強制圧力によって加圧され肥大されてきた物的需要も衰弱してゆく。従って、市場も縮小してゆかざるを得ない。
ところが、市場拡大は至上命題であるという固定観念に囚われた学者・官僚・マスコミ・政治家および財界は、不足する需要を補う為に、国家に巨大な借金を作らせて次々と市場の人工的な拡大を演出してきた。
そして’00年に入ると、彼らは遂に打てる手が無くなり、あろうことか自分たちの作り出した借金を国民に穴埋めさせるべく鉾先を国民に向けて暴走し始めた。
3.新しい活力源=周りの期待に応える充足
破滅に向かう旧社会の深層では、すでに新社会へ胎動が始まっている。
私権圧力が衰弱した以上、その強制圧力によって抑圧されてきた人類本来の活力源が再生されてゆくのは、当然の理(ことわり)である。
’70年以後、貧困の消滅に伴って私権追求はもはや第一の活力源ではなくなり、代わって、周りの期待に応えることによって得られる充足(安心や喜び)、すなわち共認充足こそが最大の活力源となっている。
現在も私権から共認への大転換は進行中である。
そしてこの大潮流は遂に「自分たちの手で作り出せる能力」「自分の頭で答えを出せる能力」への期待、云わば自給期待の潮流を顕在化させた。
これらの潮流が指し示す次の社会は、おそらく「自分たちで作ってゆく」共同体社会となるだろう。
4.先行して共同体を実現した類グループ
市場社会の常識を破った共同体・類グループを生み出せたのも、様々な壁にぶつかりながらもあきらめず共同体を進化させてこれたのも、「私権から共認へ」という確かな時代認識があったからである。
おそらく、今、人々が求めている自給能力期待という最先端の欠乏も、突き詰めればそのような事実認識⇒認識力に行き着く筈である。
類は、これまでの40年に亙る事実追求の成果として、既に多くの歴史認識=事実認識群を構築してきた。
共同体の統合軸となっているのは事実の共認である。
事実の認識体系は無限に進化してゆくと共に、事実の共認によって統合されている共同体も、無限に進化してゆく。
5.共同体の母胎は女性が生み出す充足空間
共同体の推進力になっているのは認識力だけではない。
その認識力を生み出す母胎となる充足空間と、それを形成する充足力こそ、全ての活力の源泉である。この充足空間あるいは充足力の中身は、共認充足である。この共認充足は、その土壌となるお互いの肯定視や感謝の想いが深いほど大きくなる。
そして自主活動をはじめ、営業上・経営上の諸問題から理論問題まで、全ゆる情報が発信され、最大の共認形成の場となっているのが『社内ネット』である。
充足力と認識力を育成してきた様々な活動の成果は、共同体・類グループが設計事業から始まり、教育・地所・農園そして社会事業と、次々と新事業を生み出し軌道に乗せてきたことに、はっきり表れていると云えるだろう。