「女が動く時代」シリーズ第2回。
本日は、「自給期待に応えて活躍する女性達」をテーマにご紹介します。
どんな方が登場するのでしょうか?たのしみです★
|山形ガールズ農場
やまがた-がーるず-のうじょう
〈女子だけで運営する農場〉女子から始める農業改革を実践中。
女子だけで農場を営む「山形ガールズ農場」とは、代表の菜穂子さんが「母となる女性たちに、もっと食や農業を知ってもらいたい」という想いで2009年に設立された農場です。
女子だけで農業ってできるの?という固定観念を破りながら、それでいて、女でいること、女の感性を大切にしながら、取り組んでいることがHPやブログから伝わってきます!
そんな彼女達の取り組みは、生産だけでありません。販売、加工、飲食店など、農業の上流から下流までをひとつなぎに結び、農業を魅力あるものへ変えていこうとします。
そんな菜穂子さんが考える「これから」について。
「これからは共同体の時代」より引用します。
≪現在の社会認識≫
「若い人の多くがお金を稼ぐことの意味を考えたり、生きることの意味を考えています。そんな中で、若い女性が農業をやりたい、という事自体が今の社会を写し取っていると感じています。目先の市場動向に振り回されるうちに、働くことの意味がわからなくなる。そんなことより、地に足の着いた“生産”で充足を得たいと考える人が増えているのだと思います。」
≪農業と女性≫
「農業は、元々男性の領分であるかのような固定観念があります。でも、どの地域でもそうやって囲い込んで、結局は嫁不足だのと不満を漏らしています。
農業にも女性が増えれば、必ず男性も増えるはずです。自分たちでどこまで出来るかはわかりませんが、まずは女性だけでも出来ることを示せたら良いな、と思っています。」
山形ガールズ農場HP
山形ガールズ農場ブログ
|狩猟女子
しゅりょう-じょし
〈狩猟をしながら自給自足の暮らしを実践する女の子〉生きること、食べること、命のことを考えながら、自分の暮らしを自分で作るべく活動中。
続いて紹介するのは、狩猟女子の畠山千春さん。2013年に狩猟免許を取得し、生きるために必要な肉を狩猟し、解体し、料理する。その流れの中で、いのちの食べかたを模索し、身の丈にあった生活を送っています。
SOCIETY 畠山千春さんに聞く、いのちの食べかた「丸ごと大切にいただきます」より引用
■震災後、「自分の暮らしを、自分の手で作る」と決意
「狩猟女子になったきっかけは、東日本大震災だった」と語る畠山さん。それまで狩猟の経験はなかったという。
「あの日は、当時勤めていた会社の横浜のオフィスにいましたが、とにかく怖かったですね。こんなに大きな地震があると思っていませんでしたし、買い占めのようなこともありました。お金があってもモノがなければ、手に入れることができないんだと実感しました」
3月13日、埼玉の実家に集まった家族に対して、畠山さんの父は「家族を守りたいなら、まず自分自身が絶対に生き抜くこと」と伝えた。「自分が生きていれば、家族を助けられる」という父の言葉を聞いて、畠山さんには「家族を守る為に、何があっても絶対に生き抜いてやる」執着心が芽生えたという。
(中略)
「大学で環境問題や地域コミュニティを学んでいたので、いつかは自然豊かな田舎で、身の丈にあった自給自足のような暮らしをしてみたいという漠然とした思いはありました。でも3.11で『本当に死ぬかもしれない』と感じたことで、いつかじゃなくて今から始めなくてはと思ったんです」
■手に入るまでプロセスを知るために、肉の解体を開始
福島第一原子力発電所の事故やその後の計画停電によって、電気が届くまでのプロセスを想像できていなかったことを知った畠山さん。同じように、食べものについて考えたとき、「肉」のプロセスを想像できていなかったことに気づく。
「原発事故があって計画停電が行われるまで、スイッチひとつで電気がつく暮らしが当たり前になっていて、電気が家に届くまでのプロセスを想像できていませんでした。「お肉」であっても同じことがいえると思ったんです。お米や野菜と違ってプロセスが見えづらい。スーパーの店頭に並んだお肉から、生きていた動物を感じることはできませんでした」
食べることが大好きだった畠山さんは、見えなくなっている「肉」のプロセスに目を向け「お肉を食べるからには、自分で全部解体して、食べられるようになりたい」と考えたのだ。
つづきは、こちらを
狩猟・解体を通じて、「自分が、どうやって肉を食べたい人なのかわかってくる」と畠山さんは話します。彼女は、「自分でさばき切れないから、四足歩行の動物を食べるのは控えよう」と思い、現在は菜食中心の食生活になったそうです。
HP:ちはるの森
|防災ガール★
最後に防災ガールについて紹介します。
ぼうさい-がーる
〈身近な人を助ける意志のある女の子〉緊急時だけでなく、平時から防災意識高く、自主的に楽しみながら防災を学べることができ、さらにそれを広めることができる女の子のこと
防災ガール★は、田中美咲さんを中心に2013年3月11日に立ち上げた、「防災」をもっとおしゃれでわかりやすく伝えることを目的として活動するプロジェクトです。立ち上げから一年経過し、メンバーは80名ほど。その他、彼女らを支えるサポーターや専門アドバイザーがいます。
ホームHPはこちらを
これまでにも防災訓練は、自治体・消防庁・学校など、公共団体中心に行ってきましたが、これらの活動との違いは、防災ガール★は、最も防災意識の低い20~30代若者をターゲットに、彼らの生活リズムや感覚的なところなどに合わせて、見たくなる、伝えたくなる(シェアしたくなる)ものを発信していくことにあります。
防災ってなんかオシャレじゃないし、
わかりづらいし、いつくるかわからないことに時間とお金と労力をかけるの面倒なんだもん。
・・・という、若い子のホンネをまず共有しつつ、そこから、どれだけ楽しく学び、実践し、広げていくか。そこにポイントがあります。
ですので、活動内容も幅広く、単に知識を学ぶのではなく、体験型ワークショップの開催、おしゃれ防災グッズの販売、非常食のケータリング、おしゃれカフェで 「防災」について気軽に話すイベント、WEBやメディアでの発信、寄付の呼びかけ等、どれも気軽に楽しみながら活動できるという点に力点が置かれています。
そんな防災ガール★代表の田中美咲さんのblogから引用します。
3.11
あれから3年間。
私はなにをしてきたんだろう。
サイバーエージェントに入社して、
コーチングを学んで、
福島に引っ越して、
助けあいジャパンに転職して、
鬱を経験して、
どん底を経験して、
防災ガールを立ち上げて、
今に至る。
あのとき、地元の駅の改札で大きな揺れを感じて、
揺れに酔って気持ち悪くなって駅のベンチでしゃがんで。
冷静になりたくって、駅のカフェに入って、ミルクティーを頼んだ。
でも店員さんが不安そうな顔をずっとしているから冷静になれなくって。
家族と親戚に連絡をして安否が確認できたから、家に帰って。。。
京都にいた仲間たちと32人でskypeを繋げてずっとずっと何が出来るか話し合った。
東日本大震災は、私の人生に大きな影響を与えたし、与えてくれた。
大切な人をもっと大切に、
一秒たりとも後悔しないように、
大好きな人に大好きと伝えるように、
本当に必要なものだけを身の回りに置くようになった。
そして、やっぱりおもうのは、
もう我慢したりしない。嫌だと思うことはしない。
自分に素直に、自分に誠実に、自分に正直でいようと心に誓った。
私は、これからなにがあろうと、
少しでも多くの人が心から幸せであれる世の中をつくるために、
「対話」を通して変えていく。
アクションを起こし続ける。そう決めています。
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みなさん、いかがでしたか?
本日は3名の方をご紹介しました。
― 自分たちの生きる場を、自分たちでつくる ー
この当たり前のことに向き合い実践中の彼女達は、とても輝いていますね。
そして、彼女らは特殊な考え、境遇にあったわけではなく、フツ―の女の子だった。
違いあるとすれば、社会の出来事に対して、心の声で向き合い、先入観にとらわれずに、素直に行動した。
ここに、彼女達の「強さ」があると思います。
次回は、「育児・教育を取り巻く女達のネットワーク」について、ご紹介します。
お楽しみに。